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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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医聖 張仲景22

 張機は久方ぶりに抱擁した親友の背中から、岩でも抱いているような印象を受けた。


 あまりに筋骨隆々としていて、人の体とも思えなかったのだ。


張羨(チョウセン)のやつ、今でもかなり鍛えているんだな)


 張機も張羨も四十を超えた。それでこの体を維持しているのは凄いと思う。


 ただし、それを口にしたのは張羨の方だった。


「張機、元気そうだな。本当に元気そうだ。しかもこの歳になってもちゃんと鍛えてるじゃないか」


 張羨はこちらの背中をバシバシ叩きながら笑ったが、岩のような背筋をした男から言われても苦笑しか出ない。


「やめてくれよ、こっちは健康を維持するために運動してるくらいだぞ?張羨はすぐにでも前線に出られそうなくらいじゃないか」


「実際にそんなつもりで鍛えてる。軍学の研究だって続けてるしな」


 しかしそんな張羨は地方の一教師でしかない。


 そのことに色々感じないでもなかったが、今はそれよりも再開の喜びだ。


 文のやり取りは頻繁だったとはいえ、こうして顔を合わせる喜びに勝るものはない。二人とも細めた目に涙が滲んでいた。


「玉梅は元気か?子供たちは?」


「ああ、皆元気だよ。この後ろのが息子の(エキ)だ」


 言われて初めて気づいたが、張羨の後ろにはまだ幼さを残した十代半ばの青年が立っていた。


 顔の造作は張羨に似ているが、目は玉梅に似ている。


 その溌剌(はつらつ)とした目を輝かせ、機敏な動作で礼を取った。


「お会いできて光栄です。張機様のお話は父からよく伺っておりました」


 声には張りがあり、笑顔一つが光を放つようだ。もはや若いとは言えない張機にはその姿が眩しい。


「そうか、君が張懌(チョウエキ)か。張羨からの文でよく自慢を聞いていたから初めて会った気がしないな」


 張懌はそう言われて、目を丸くして驚いた。


「ち、父が?」


 どうやらその反応からすると、張羨が直に息子を褒めることはあまりないらしい。


 しかし実際に張機は親友の息子自慢を何度も読んでいる。


「ああ、張懌は学問も武術もすごいって……」


「張機、その話はいい」


 張羨は恥ずかしかったのか、ピシャリと遮ってきた。


 そんな幼馴染が張機には可笑しい。


「いいじゃないか。うちは娘ばかりだから男の子が羨ましいよ」


「うちも娘娘で、ようやくできた息子だからな。厳しく鍛えているんだ」


 張羨は息子の背中をバンと叩いた。


 言葉通り鍛えられているようで、音の割に張懌の体幹はビクともしない。


「こんな乱世だが、張機の家族は元気か?」


「ああ、皆元気だよ。近いうちに連れて行くから……」


「あー、張機殿?」


 と、二人の会話に割って入った者がいる。


 劉表だ。


 劉表はすまなさそうな顔をしてはいたが、二人をただ喜びの中に放置するわけにはいかなかった。


 実のところ、今はのんびりと再会を祝すような状況ではないのだ。


「すまないが、まずは袁術軍への対応を話したい」


 張機と張羨、張懌は三人だけで会っているのではない。張羨が劉表の軍営に赴き、そこで再会したのだった。


 張羨の来訪が軍議中の劉表たちに伝えられ、待ちきれない張機が本陣を飛び出して行った。


 それを劉表が追って来たところだ。


「袁術を干からびさせるための方策について、細かいところを早急に確認しておきたい」


 出陣した劉表軍の作戦目的はこれだ。袁術を干からびさせるために動いている。


 元々のきっかけは朝廷が兗州(えんしゅう)の刺史を任命したことに始まる。その前任者が黄巾党に殺されてしまったので、その後任だ。


 しかしこの時の朝廷はすでに全国的な支配力を失ってしまって久しい。乱世は進み、群雄割拠の時代を迎えている。


 兗州に立つのは激戦の末に黄巾党を降した曹操だ。朝廷が一方的に刺史を任命してきたからといって、その座を譲るはずがない。


 それで兗州に赴任できなかった新刺史は荊州南陽郡へと逃れ、袁術を頼った。袁術はそれを大義名分とし、曹操に攻め込もうとしている。


『こいつが正当な兗州の領有者だ』


 そう言って出陣したわけだ。


 ただし、実際のところは領土的野心でもって侵攻したに過ぎない。


 もう少し突っ込んだ話をすると、大元は袁紹に対抗する袁術の軍事作戦なのだ。袁紹派である曹操の領土を削り取ろうとしている。


 ちなみに劉表も袁紹派なので、今はただ南陽郡を獲るためだけでなく、曹操の援護も兼ねて出張っている。


「劉表様、お初にお目にかかります。張羨でございます。此度の糧道遮断、全て私めにお任せください」


 張羨はひざまずき、最大限の敬意を示してから己の胸を叩いた。言葉通り、任せておけという意思表示だ。


 息子の張懌も父から半歩下がって同じようにしている。神妙な顔つきで、真面目な性格が見て取れるようだった。


 袁術は軍の大半を自ら率いて出征しており、今の南陽郡はかなり手薄になっている。


 とはいえ、もちろん劉表が攻めてきても簡単に落ちない程度の守兵は置いていた。南陽郡は袁術の本拠地であり、おいそれとやれるものではない。


 が、張羨の目から見れば甘過ぎる出征だった。


「袁術は城攻めに耐えられる兵力を残してはいますが、城攻めに備えつつ糧道遮断を防ぐほどはおりません。南陽郡の道をよくよく検討すれば明白なことです」


 張羨は断言した。実際に自信もある。


 覇気の溢れるその様子に、劉表もこれは頼れる男だと感じた。


「地元の軍学者に言われると心強いな」


「この地の道なら大小獣道まで把握しておりますので」


 張羨は張機を通し、すでに具体的な策を伝えていた。


 今はそれに基づいて軍を展開しているところだ。


「なんにせよ、まずは本陣まで来てもらおう。細かいところで聞きたいことがいくつかある」


「御意に」


 張羨は慇懃に頭を下げてから劉表の後を追った。


 そこに張機も並び、張懌もついてくる。


「張羨の作戦、みんな感心してたよ。本当によく考えてあるって。道のことだけじゃなくて、相手の動きに合わせて何通りも対応策を練ってあったろ?大変な労力だ」


「そりゃ張り切りもするさ。身につけてきた能力をようやく実戦で使えるんだからな」


「ああ……僕も気持ちは少し分かるよ。医学書なんかで新しい処方を知ったら使ってみたくなる」


「それと違うとは言わないが、お前のは試すって感じだろ?俺の場合はもう少し鬱屈してる。ただ教えるためだけに学び続けるのに嫌気が差してたんだ。くすぶってるってのが正しい表現かもしれない」


 くすぶってる、という言葉が張機にはよく理解できる気がした。


 張羨の才の大きさは、確かに一教師に収まるようなものではないのだ。


「これからはきっと、張羨の能力を思う存分使う機会をもらえるよ。そうですよね、劉表様?」


「ああ、張羨殿には期待しているぞ。今回の作戦も案の時点で本当に素晴らしかった。見事成功すれば、当然それなりの役職で迎えさせてもらおう」


「ありがとうございます。必ずやご期待に応えてみせます」


 そう請け負った通り、張羨の糧道遮断作戦はこれ以上ないほどの成功に終わった。


 補給を断たれた袁術は反転して劉表を攻撃することも考えただろうが、そうすると曹操に背を突かれる。それで本拠地である南陽郡を放棄した。


 ここは思い切りの良さを評価されても良さそうなところだが、この後の戦で袁術は曹操に連敗を重ねることになる。


 敗けては逃げてを繰り返し、最終的には遠く寿春(じゅしゅん)という地にまで逃げ延びて、ここを新たな本拠地とした。


 寿春は南陽郡からはかなり離れている。劉表は南陽郡の支配を確固たるものにし、ようやく荊州の全域を手中にした。


 これは張機にとってもかなり大きなことだ。南陽郡は生まれ故郷であり、ようやく念願叶って帰郷できることになった。

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