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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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選ばれた子、選ばれなかった子32

(兵が……兵が足りない……)


 夏侯淵は広げられた布を見下ろしながら、誰にもばれないように歯噛みした。


 布には定軍山を中心とした地図が描かれており、そこに自軍と敵軍を模した凸形の木型が置かれている。


 自軍は黒、敵軍は赤だ。


 赤の方が圧倒的に多い。


(やはり漢中では劉備が有利だな)


 改めてそれを思う。


 今は本陣で部下たちと作戦会議をしているのだが、誰もが思っていることだった。


 劉備は成都からの援軍を待ち、十分な兵力を得てから動き出している。援軍は特に障害もなく到着した。


 一方の曹操軍はそれが簡単ではない。本拠地から遠い上、険しい山岳地帯に阻まれている。


 しかも劉備は漢中を攻めるに前にその北西の武都(ぶと)を獲る姿勢を見せたから、そちらにも注意を払わねばならない。


 武都を失えば漢中の孤立は決定的なものになり、どちらにせよ維持は不可能になるだろう。


「夏侯淵様、やはり張郃(チョウコウ)様のところへ半分も送ったのは多すぎたのではないでしょうか?」


 部下の一人がそう尋ねてきた。


 張郃はここより東に陣を張っているのだが、そちらが劣勢になっている。


 初めこそ上手く攻撃を捌いていたのだが、時とともに崩れ始めた。


 それで夏侯淵は手元にある兵力の半分を割き、救援に向かわせた。当然のことながら、自分たちの守りは心もとなくなっている。


 しかし夏侯淵自身はその選択が間違っていたとは思っていない。


「いや、ここで張郃が崩れれば本陣も耐えられなくなる。生半可な援軍では劉備に弾き飛ばされるだけだから、仕方ないだろう」


 部下もそれは分かっているし、己の守りを薄くしても必要な援軍を送れる大将は偉いと思う。


 ただ、だからこの戦に勝てるかというとそれはまた別の話だ。


「しかし……このままではじわじわと追い詰められるだけでは……」


 先の展開まで見通すと、そういうことになるのだ。


 劉備はこの機を逃さず、夏侯淵のいる本陣への攻勢を強めてきた。現在はまず周囲の陣地を落とそうと、各個に仕掛けてきている状況だ。


 夏侯淵たちは少ない兵力でそれを防ぐため、頭を焦がしながら対応に追われているところだ。


 今のところ耐えられてはいるが、完全に綱渡りの状態だ。すでに手元の予備兵力はほぼ出し切ってしまっている。


 しかもこのまま耐え続けたところで、消耗戦になったら補給のしやすさで負けてしまうだろう。


 夏侯淵もどこかで何かを仕掛けないといけないとは思っているが、それがなかなか難しい。


「とりあえず今は陣地の死守だ。張郃の方が落ち着いてからでなければ攻めに転じられん」


 本当にとりあえずだが、そこはまず避けられない一山だろう。


 いったんは守り切る。まずはそこからだ。


 皆がそれを確認し合った時、伝令の兵から注進が入った。


「敵軍が火攻めを仕掛けてきました!距離を取り、火矢を射掛けてきています!」


 火攻めとは文字通り、火をかけて攻める戦術だ。防衛上価値のある建造物や逆茂木、兵糧などの物資を燃やすことを主な目的とする。


 基本的な戦術ではあるから、夏侯淵の軍でも対策はしてある。


 鎮火の準備・訓練は行っているし、火がついていない所にも水をまくよう指導している。季節は春だから、野山が焼ける可能性も低そうだ。


 だからそれで取り乱すような者は本陣にはいなかった。


「火攻めか。どこの陣地にだ?」


「この本陣以外、全ての陣地にです!」


 その返答に、今度はざわめきが上がった。 


「今、全てと言ったか?」


「はい!全てに同時に仕掛けてきたようです!」


「……ということは、火攻めを作戦の中心に据えているということだな」


 そういうことになる。どこかだけならその陣地を落とすための一手法に過ぎないが、全部となると作戦全体としての意図があるはずだ。


「恐らくだが……こちらを消耗させるのが目的か?」


 物資にせよ防御設備にしろ、焼かれれば補填、修復で消耗してしまう。


 それは確かにやられれば困ることで、しかも離れて火矢を射つだけの劉備軍は被害が少ない。


 矢や油などの補給も、劉備軍にとっては無限のようなものだ。


「火攻めを主導している指揮官が誰かは分かるか?」


「新たな旗は上がっていないので、黄忠(コウチュウ)法正(ホウセイ)のままではないかと」


 劉備はこの二人を組ませ、張郃救援で弱体化した夏侯淵を攻めさせている。


「黄忠は経験豊富な老将で、法正はかなりの切れ者だ。地の利を活かした消耗戦に引き込みそうな手合いではあるが……」


 一見そう思えるが、裏をかいてくる可能性も否定できない。


 そう考えた部下もいたようで、意見を述べてきた。


「しかし黄忠は齢に似合わず勇猛であると聞きますし、法正は油断のならない男だとも聞きます。火で翻弄したところで、本陣へ一気呵成に攻めて来ないとも限りません」


 夏侯淵もその通りだと思ってうなずいた。


 張郃の救援で本陣が手薄なのは確かなのだ。


「そうだな。兵たちには奇襲に備えつつ、落ち着いて鎮火に努めるよう伝令を出せ。今現在で被害の大きなところはあるか?」


「まだ仕掛けられたばかりですし

、今のところほとんどの陣地しっかりと対応できているのですか……」


 その曖昧な言い方に、夏侯淵は少し苛立った。


「ほとんどなどと言わず、具体的に報告しろ。危ない箇所があるのか?」


 伝令の兵は背筋を伸ばして言い直した。


「失礼いたしました。南の一番遠い陣地だけは、すでに火の手が大きくなりかけているとのことです」


 それを聞いた夏侯淵の表情は固くなった。


「……なんだと?あそこは特に厳重に陣地構築したはずだが……」


「そのため逆茂木の数が多くて密で、消火に難儀しているようです」


 場にいた兵たちは皆、地図上のその陣地に目を落とした。


 本陣からは一番遠い陣地だ。仮に奪われたとしても、すぐすぐの危険はない。


 そう思った一人の部下が提案してきた。


「これはもう、この陣地を諦めるしかないのではないでしょうか。回せる予備兵力はもうありませんし、むしろここの兵力をよそに回した方が全体として固くなると思います」


 部下たちの一人がそう提案してきた。


 実際、どこの陣地も応援を必要としている状況なのだ。万全の人員体制ならともかく、半数しかいない現状で全ての陣地を維持するのは難しい。


 ほとんどの人間はこの意見を妥当なものだと思った。今はしっかりと耐える時で、反撃の機を掴むまで本陣を守り切らなくてはならない。


 夏侯淵もそうかもしれないと思う。


 ただそれでも、簡単に首肯することはできなかった。


 その一番遠い陣地とは、徐林たちのいる村だったからだ。

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