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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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選ばれた子、選ばれなかった子9

「……かぁ〜、うめぇなぁ」


 と、幸せそうに酒をあおる張飛の顔を見て、桃花は幸せな気分になった。


 人が喜ぶ様というのは時に嫉妬に繋がりかねないが、張飛のは不思議と見ている方まで幸せにしてくれる。


 桃花はそのことに感心しながら、手に持った鳥の足にかぶりついた。


 張飛が焼いてくれたその肉は香ばしい焦げ目がつき、適度な加減で塩が振られている。


 これが不味いはずがない。


「美味しい〜」


 その幸せそうな顔を見て、今度は張飛の方が感心した。


(この娘が喜んでると、見てる方まで幸せになるな)


 そう思いながらまた酒に口をつけ、桃花を幸せにしてくれる表情を浮かべる。


 要は、二人とも幸せだった。


 二人が出会ってから一月ほど経つが、毎日のように顔を合わせている。


 場所は今は使われていない山小屋だ。張飛が地形などの調査中に見つけていた。


 かなりボロになってはいるが、一応雨風をしのいで火を起こせる。ここを待ち合わせ場所にして二人は頻繁に会った。


 張飛は食べ物を、桃花は酒を持ってくる。そして二人は束の間の幸せを享受した。


(すっごく楽しい)


 桃花は美味しいだけでなく、楽しいとも思った。


 これまでは伯母を恐れて悪いことなどできなかった。それが今は酒をちょろまかし、禁を破って隠れ食いをしている。


 背徳的な楽しさだ。


 それに、張飛との会話は楽しかった。


「じゃあ張飛さんは軍の中でもかなり強い方なの?」


「おう、強いも何も最強だぜ」


「すごい」


「そうだろ?樽を相手にして飲み切れるってのは、軍の中でも俺くらいだ」


「……え?強いって、お酒のこと?」


「なんだ、腕っぷしの方か。まぁそっちも酒が賭けられてたら最強だぜ?」


 終始こんな調子で笑わせてくれる。


 敬語はすぐにやめるよう言われた。だから本当に友達同士のように話をしている。


『齢なんて関係ねぇよ。俺のことは友達だと思って話しな』


『そう言われましても……』


『そういう言葉遣いの方が桃花らしいって気がするんだよ。本当はもっと明るい娘なんじゃないか?それが伯母さんに押さえつけられて、うつむいちまってただけさ』


『そうでしょうか……張飛さんはどうしてそう思うんです?』


『目の奥に、そんな光がある気がするんだよ。俺の知り合いに目を見るだけで相手の本質が分かる男がいるんだが、確かに人の目を見てると感じるものってあるだろ?まぁさすがにその男みたいにはいかないが、俺も感じた時は結構当たるんだぜ?』


 そういう話をされると、桃花自身もそんな気がして自然と顔を上げられた。


 そして言われた通りにしてみると、確かにしっくりくるのだ。


 ただこんなふうに話せるのは張飛だけなので、毎日ここに来るのが楽しみになった。


 もちろん時間が合わずに会えないこともあるが、そんな時には食料とともに書き置きを残されている。


『酒の女神に奉納品。ご利益は酒池が良い』


 これを見て、逆に桃花が酒を置いて帰る時にも書き置きを残した。


『肉の神様に奉納品。ご利益は肉林が良い』


 こんな他愛のないやり取りが桃花にはたまらなく楽しかった。


「桃花は出会った時とえらく変わったな。いい笑顔をするようになった」


 張飛にそう言われ、自覚もある桃花は大きくうなずいた。


「自分でもすごくそう思う。最近は生きてるのが楽しいって思えるの」


「前までは楽しくなかったか」


「楽しくなかったっていうか、自分は生きててもいいんだろうか?生きてるのが許されるんだろうか?って思いながら生きてた」


「そりゃ辛いな」


「辛かったよ。でも張飛さんのおかげで自分の気持ちを口にできて、すごく楽になったんだ。死んじゃった従兄はやっぱり可哀想だけど、これからは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』って思うことにする」


「そうだな。従兄だって、その方がずっと嬉しいさ」


 張飛は大きな体で小さくうなずく。


 その優しい仕草で桃花は心が暖かくなるのを感じた。


(これからもずっと、ずっとこうしていたいな)


 そのために、今後も細心の注意を払いながら酒をちょろまかしてやろうと思った。


 が、それからさらに一月が経った頃、養父である夏侯博(カコウハク)が突然桃花に告げた。


「桃花、お前はもう薪拾いには行かなくていい」


「……え?ど、どうしてでしょうか?」


 桃花は焦った。


 酒のことか、張飛との密会がバレたのではないかと思った。


 しかし養父の表情はそれにしては明るい。


「お前の縁談が決まったのだ」


「えっ!?」


 予想外の回答に、桃花は頭が真っ白になった。


 その白の中になぜか張飛の顔が小さく浮かんでいる。


「結婚前に山で傷でも作ったら大変だ。十日後の嫁入りまでは家でゆっくりしてて構わないぞ」


「と、十日後!?結婚まで十日しかないんですか!?」


 いくらなんでも早すぎる。ここまで時間的な余裕がないというのはどういうことだろう。


「色々事情があってな。落ち着いたら改めてちゃんとした式を挙げてやるから勘弁してくれ」


 夏侯博はその事情を話さず、それだけ答えた。


 しかし、さすがに十日というのは無理がないだろうか。


 結婚の早い時代なので、まだ十代の桃花でもいつ縁談があっても不思議ではない。


 しかし桃花は不思議と自分が見知らぬ誰かと結婚する様が想像できなくなっていた。


(結婚したら、張飛さんと会えなくなるのかな)


 まずそう思った。


 酒と食べ物を交換しているだけで別にやましいことなどないが、この時代の倫理観では許されることではないように思える。


(でも、もしこの近くに住むなら今みたいに薪拾いとかにかこつけて……)


 そういう希望のもと、尋ねてみた。


「あの……お相手はこの辺りの方ですか?」


「この辺りといえばこの辺りだが、一軍を率いる武人の方だからな。戦に合わせて住まいは変わるだろう」


「武人……ですか」


「武人といってもただの武人ではない。まぁ一応……中郎将(ちゅうろうしょう)だった方だからな」


(……一応?だった?)


 桃花は言葉の端に引っかかった。


 中郎将が高級官吏であることは知っているが、何か違和感のある言い方な気がする。


「どちらの軍の、どなたでしょう?」


 そう具体的に尋ねられた夏侯博は、なぜか一拍置いてから答えた。


 しかもどこか無理やり笑っているように見える。


「……まぁ、そういう立派な方だからお前は何も心配せずに嫁いだらいい」


 それだけ言って、背を向けて歩き出してしまった。


(え?どういうこと?)


 自分の結婚相手の素性を教えてもらえないということがあるだろうか。


 桃花は夏侯博の背中に訝しげな視線を送った。まだ頭が上手くついていかないが、明らかに何かおかしい。


 その視線に気づいたからではないが、夏侯博は去る前に一度振り返った。


「ああ。そういえばお前の食事だが、もう好きなだけ食べていいぞ。最近のお前はなぜかあの食事量でも肉付きが良くなっているしな」


 本来なら『好きなだけ食べていい』などという言葉は、この娘にとって跳ね回るほどに嬉しいものなはずだ。


 しかしこの時の桃花には、まるで空虚な言葉にしか聞こえなかった。

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