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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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選ばれた子、選ばれなかった子5

「敵襲!背後の山からです!」


 徐和(ジョカ)は部下からの注進を信じられない気持ちで聞いた。


 どう考えても敵が現れる場所ではないのだ。


 事前に把握していた敵軍の位置や地形などを考慮すると、今その位置に曹操軍がいるのはおかしい。


 が、信じざるを得ない。


 背後を振り返ると、確かに敵軍が突撃してくるのだ。それがよく見えた。


 しかも山の斜面を下ってくるから恐ろしいほどに勢いがついている。


 いわゆる逆落しだ。


(背後からの奇襲、逆落し、そして本陣はごく後方に配置されている……)


 それらの状況を重ね合わせると、導かれる答えは一つだ。


(もはや、敗走するしかない)


 徐和はそう結論づけると、自らの犠牲を覚悟した。


「後方の敵にぶつかるぞ!本陣が逃げるまでの時間稼ぎをする!」


 徐和の部隊は軍全体のほんの一部でしかない。それで本陣が守れるなら払わねばならない犠牲だと思った。


 敵の勢いを見るに、ぶつかっても大した抵抗もできずに砕かれるだろう。そして自分たちの隊は潰走し、背後から追討ちに討たれる。


(それでも私は行かねばならん。黄巾の世を立て、人の世を救うと決めたのだ)


 そういう大義と決意のもと、黄巾軍に身を置いている。


 徐和には罪があった。


 飢饉の折、妻を犠牲にして自分だけ生き残ったのだ。


 といっても、自らすすんでそうしたわけではない。


 その日、妻自身が、


『私はもう食べましたから』


そう言って自らの分の食事を差し出してきたのだ。


 徐和は妻が食べていないことを知っていた。だがどうしようもなく腹が減っていたので、知らぬふりをして食べてしまった。


 そして翌朝、妻は冷たくなっていた。


 誰にも言えなかった。


 誰もが妻はただ飢饉で亡くなったのだと思ってくれた。


 しかし徐和だけは自分の罪を忘れられない。


 それ以来、徐和は床に入ると胸が苦しくなった。そういう気分というだけではなく、本当に死ぬのではないかと思うほどに息が苦しくなるのだ。


 それを救ってくれたのが太平道だった。


 教祖張角(チョウカク)に罪を告白し、懺悔すると不思議なほど心が軽くなった。


 もちろん傷は消えないし、今でも思い起こすと胸は苦しい。


 しかし少なくとも毎夜息ができなくなるというようなことはなくなった。


(罪の意識ほど人を苦しめるものはない。太平道はそれを救ってくれるし、罪というものを自覚させてくれる。己の罪を知れば、人はみな優しくなれるのだ)


 だから太平道の世、黄巾の世が来れば、世界はきっと優しくなれる。


 徐和はそう信じて今日まで黄巾党の一員として身を粉にしてきた。


 今日、玉砕覚悟で死地に突撃することなど何ほどのことはない。


(ただし、誰もが私のようにすればいいとは思わない)


 そうも思うから、そばにいた息子だけは逃がそうと思った。


「林、お前は私の部隊が足止めに突撃することを本陣に伝えろ。そして伝令が済んだらそのまま本陣と行動するのだ」


 徐林(ジョリン)は徐和のもう一つの罪だ。


 多を救うための少なる犠牲だと思い、幼子を暗殺者に仕立て上げてしまった。


 本来死ぬはずだった子に治療を施して救ったのだから、その後に負担を強いるのも罪が軽いのではないかと考えた。


 が、徐和は徐林を息子として愛してしまった。


 であれば、やはりこれは罪だと感じざるを得ない。


 今日もまだ十二なのに、戦場に連れてきてしまっている。いくら徐林が戦力になるとはいえ、酷い行いであるという自覚はあるのだ。


(この上、足止めのために死ぬことはない)


 そう考えた徐和だったが、息子は血相を変えて噛みついてきた。


「なんでだよ!俺も戦う!」


 徐林の目には怒りとともに、恐怖のようなものが浮かんでいる。


 こんな顔をされるとは思っていなかった徐和は戸惑った。


 そもそも父に歯向かうことなどほとんどない息子なのだ。


「……別に戦うなとは言っていない。本陣を守ってくれ」


「なら後ろに現れたあの軍をどうにかしなきゃだろ!俺も父さんと戦う!」


「しかし……」


「置いてかないでよ!俺はもう……置いてかれるのは嫌なんだよ!」


 徐林は必死の形相で父の腕を掴んだ。


 その意外なほど強い力に、父は息子の気持ちを悟った。


(そうか……七年前に付けられたこの子の傷は、ずっと癒えていないのだな)


 徐和はその時起こったことを見ていたから、何があったかは知っている。


 徐林の本当の父親はこの子を捨て置き、赤子だけを抱えて逃げ出したのだ。


 親の愛情を必要とする五歳の子にとって、辛いことだったのだろう。


 徐林がそのことを口にすることはなかったから、今まで考えることもなかった。


 しかしそれが理解できると、徐林の普通でないところにも合点がいく。


 徐林はどう考えても子供が耐えられないような鍛錬でも泣き言一つ言わなかった。


 ある時、鍛錬中に流星錘で自分を打ってしまい肋骨を折ったことがあった。しかし動くのに支障がなさそうなので、徐和は翌日も錘を振るよう命じた。


 前日に骨折しているのだから、普通の子なら恐ろしくて出来ないだろう。


 徐和もさすがにむごいことを言ったかと思ったが、徐林は震える手でやってのけた。歯を食いしばり、父に言われた通りをちゃんと実行したのだ。


 徐和は徐林がただ強い子なのだと思っていた。しかし、それは少し違うのかもしれない。


(私はこの子の傷を利用して、ずっと無理をさせてきたのか)


 そう考えると絶対にここで息子を死なすわけにはいかないと思った。


 ただし、この様子だと何を言っても逃げてくれないだろう。


(ならば方針転換だ。作戦の難度は上がるが、うちの兵も生き残れる道を模索する)


 そう決心し、息子の肩を叩いた。


「……お前の気持ちは分かったが、それならばかなり働いてもらうことになるぞ」


 徐林はその言葉にようやく息ができたような顔をした。 


「もちろんだよ!俺、今日も言われた通りにちゃんとやるから!」


「よし。ならば私がなんとか乱戦に持ち込むから、縦横に走って敵を撹乱しろ。敵の勢いを止める」


「分かったよ。それから?」


「その後は逃げるだけだ。味方が態勢を整えられるのはおそらくあの山まで逃げた辺りだから、頃合いを見てそこを目指せ」


「父さんもそこに逃げるんだね?ここで死んだりしないでよ」


「ああ」


「絶対だよ!!」


「ハハハ、了解だ。お前こそ、今日の任務の最重要事項はちゃんと私のところへ帰ってくることだからな」


「了解!!」


 その元気な返事に応えるように、徐和は朗々とした声で作戦行動の訂正を伝えた。

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