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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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呂布の娘の嫁入り噺 最終話

 その日の夜、曹操軍の見張りは一騎の騎馬が近づいてくるのを発見した。


 空は叢雲(むらくも)で、視界が無いわけではないが薄っすらとしか見えない。


 だから遠目に見つけたその騎馬がどういう人間なのか、初めはよく分からなかった。


「……なんだ?敵の使者か何かか?」


 どの兵が見てもまずはそう思っただろう。


 騎馬は見張りの兵がいる篝火の方へと向かって来ているが、たった一騎で堂々と近づいてくるのだ。馬も並足だし、どう見ても攻めてくる人間の様子ではなかった。


「誰か来るぞ!こっちに集まってくれ!」


 兵は念のため、仲間を呼んだ。戦闘にはならなくとも、警戒はせねばならない。


 その呼びかけに五人の兵が集まってきた。


 全員が槍を構え、向かって来る騎馬の方を凝視する。


 初めは暗さでよく分からなかったが、篝火の明かりに近づいて来るとかなり大柄な男であることが分かった。


「でかい……」


 一人の兵がそうつぶやいたのも無理はない。馬に乗っている男が大きいだけでなく、その馬自身も負けず劣らずの巨体だった。


 兵たちは山のような騎馬を見上げ、あまりの威容に圧倒された。


「りょ、呂布軍の使者か!?」


 男は兵たちを見下ろし、上から声を落とした。


「使者などではない。呂布だ」


「……は?」


「だから、俺自身が呂布だと言っている」


 兵たちにとっては突拍子もない話だったが、すぐにこの男が呂布だと信じることができた。


 呂布とその乗騎である赤兎はかなりの巨躯だと聞いている。それに目の前の男からは、常人ではありえないような気配が放たれていた。


「呂布本人が一騎でここへ……ということは、降伏?」


 降伏するにしても本来なら作法があるのだが、兵としてはそうとしか考えられなかった。


 身を隠すこともせず、正面から一騎で近づいて来たのだ。戦う意志があって来たとは思えない。


 そんな兵の推測に、呂布は微妙な肯定を返した。


「確かに降伏はするつもりだが、それは明日の予定だ」


 兵たちは戦勝の知らせに内心喜んだが、何か不気味なものを感じてそれを表に出すことはできなかった。


 当然、疑問に思うことがある。


「なら、今日はなぜここに?」


 呂布はその問いに、戟を頭上に掲げながら答えた。


「今夜で戦終(いくさじま)いになるからな。最後の宴を楽しみに来たのだ」


 そう答え終わった時には、一人の兵が縦に半分になっていた。振り下ろされた戟によって両断されたのだ。


 この世のものとは思えない残忍な光景に、残りの兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 呂布はその背中に声を投げる。


「俺は今日一人で来た。人中の呂布を討って名を上げる好機だと、他の兵たちにも教えてやれ」


 言われずとも、兵たちは呂布が一人で攻めてきたことを大声で伝えまわった。


 すぐに周辺の部隊が集まって来て、呂布へと殺到する。


 呂布の言った通り、兵が成り上がるのにこれ以上の好機はない。報奨も望むがままだろう。


 呂布はその心地良い欲望に真正面からぶつかっていった。


 呂布の戟が肉を裂き、赤兎の蹄が骨を砕く。多くの兵たちはすぐに欲をかいてしまったことを後悔した。


 そこにあったものは成功でも栄華でもない。殺戮と蹂躙だ。


 呂布と赤兎が通り過ぎると、その道には血しぶきが上がる。一人と一頭はすぐに全身が血塗れになった。


「赤兎よ、今宵のお前はいつにも増して赤いな。お前はその姿が一番美しい。赤兎とは、良い名を付けられたものだ」


 赤兎は雄々しく(いなな)き、それに応える。


 人馬一体となった天下無双の存在は、まさに災厄として暴れまわった。


「そうだ、この乱世で俺はこういう存在だった。虎のように暴れまわり、思うままに飛翔したのだ」


 その先に何があったのか、そんなことはどうでもいい。


 世をただ自由に翔ぶことの、なんと気持ちの良いことか。小狡い理屈を並べ、得た気になった物に埋もれるよりも、ずっと、ずっとこの瞬間に意味がある。


 呂布は血に酔うようにして戦った。


 しかしそんな陶酔の中でもこの超人は見るべきものを見ている。


 少し離れた所にいた一部の兵たちが城の方を指さしているのが目に入った。


(玲綺たちに気づいたか)


 家族はこの騒ぎに乗じて逃げる手筈になっている。ここで騒がれるわけにはいかない。


 呂布が足に少し力を込めると、赤兎はすぐにその兵たちの方を向いた。そして疾風(はやて)となって一瞬でたどり着かせてくれる。


「大事な娘の嫁入りだ。無粋な真似は許さんぞ」


 呂布は流れるような動きでその兵たちを屠っていく。


 血の狂乱の中で、華やかに舞うような戟捌きだった。まるで娘の嫁入りに際し、興を添えるために舞っているようですらある。


 そんなこの男らしい宴を経て、呂布は曹操に降伏を申し入れた。


 曹操は呂布を処刑するか配下にするかで随分と悩み、悩んだ末に処刑してしまい、後にそれを悔やんだと言われている。


 現代でも『曹操殺呂布(曹操が呂布を殺す)』と書けば、『後悔する』という意味のことわざになるのだそうだ。


 史書によると、呂布は降伏に先立って部下たちを集め、自身の首を斬るよう命じたという。その首を手土産にして降伏させ、部下たちの手柄にさせるためだ。


 しかし誰もがそれをするに忍びず、命令を実行できる者はいなかった。


 歴史的に見て、呂布は裏切りの代名詞のように言われることも多い男だ。あたかも人倫の外にいるような印象すら受ける。


 にも関わらず、部下たちへのこの厚情、そして部下たちからのこの慕われようはどうだ。高順のように、呂布に殉じて死を選んだ武将すらいた。


 果たして呂布という豪傑は、実際のところどういう人物であったのか。


 曹操はこの男を虎と言った。世間からは飛将と呼ばれ、人中の呂布と(たた)えられた。


 筆者のような凡夫にとってその勇姿はあまりに遠く、思い描くことすら容易でない。


 ただ一点、娘の幸せを願う一人の父親であったことだけは確かだと思い、こんな(はなし)を書いてみた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分の中の三國志物、歴史物の面白いと思う基準が変わってしまった作品。 めちゃくちゃ面白かったです。
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