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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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呂布の娘の嫁入り噺35

「確認だが、武器の使用は無しだ。ひどい怪我になりそうな攻撃も、明らかに入るようなら寸止めにすること」


 関羽は向かい合った張飛、龐舒の間に立ち、そう告げた。


 劉備の居住する屋敷の中庭で、二人が対峙している。少し離れたところで劉備もそれを見物していた。


 張飛は龐舒に目を据えたまま、関羽に返事をした。


「俺も使者に大怪我させて帰らせるつもりはねぇよ」


 そうは言ったものの、その体からは怨念と殺気があふれていた。


 龐舒は全身にそれを受け、冷や汗をかくような思いがした。


(……関羽様がいなかったら、本当に殺されてたんじゃないか?)


 戦いに先立って、関羽からせめて素手での試合にするように言われたのだ。使者を事故で殺してしまったなどいう事態はお互い避けたい。


(まぁ張飛様の様子を見る限り、事故とは言えない気がするけど)


 龐舒がそんな事を考えているうちに、関羽の声で開始が宣告された。


「始め!」


 その言葉と同時に、張飛の巨体が迫ってくる。


 龐舒も体格は良い方だが、その体格差以上の迫力が感じられた。


「……っ!!」


 龐舒は息を呑みながら張飛の初手、右拳の大振りをかわした。


 そして全力で後ろに跳んで距離を取る。


(これ……素手でも殺されるぞ!!)


 それがはっきりと実感できる一撃だった。腕の風圧とは思えない大気の揺れを感じる。


「へぇ、今のをかわしやがるか」


 張飛は口の端を上げて、楽しそうに笑った。


 しかし龐舒は楽しいどころではない。普段呂布と対峙している時と同様、気を抜けば死ぬと思った方がいい。


 心を引き締め直す龐舒へ、張飛はまた楽しげな声をかけた。


「思った以上に楽しめそうだな。そうだ、せっかくだから賭けにしようぜ」


「か、賭けですか?」


「そうだ。俺が勝ったら兄貴の言う通り、しばらくここで働け。お前が勝ったら何かうちの軍事機密でも教えてやるよ。こっちの戦力とかな」


「えっと……それは……」


 龐舒は口ごもったが、迷ったわけではない。断る言葉を探しただけだった。


 呂布が認めただけあり、張飛は間違いなく一騎当千などと評されるべき豪傑だ。正直なところ、まともには勝てる気がしない。


 しかし張飛はそんなことお構いなしだった。自分の中だけで成立した賭けを既成事実と認識し、また殴りかかってきた。


「じゃあそういうことで、楽しもうぜ!!」


 龐舒は再び繰り出された右の拳をなんとか捌きながら困惑の声を上げた。


「そんな……!」


「心配すんな!お前の方は俺に一発で入れられたら勝ちにしてやるよ!兄貴もそれでいいよな!?」


 張飛が劉備のことをチラリと振り向くと、劉備もこれまた楽しそうにうなずいた。


「いいだろう。張飛が負けたら現時点での正確な兵と馬の数を明かそう」


 それは確かに知りたいことではあったが、どうにも分の悪い賭けに思える。


 しかし張飛の攻撃は不平を言う間も与えず繰り出された。左右の腕が風音を立てながら交互に振られる。


 龐舒は丸太のような大振りを紙一重でかわしつつ、勝機を探して一歩踏み込んだ。


 腹に潜り込むようなつもりで出した一歩だったが、即座にその足で地面を蹴って横に跳ぶ。龐舒を待っていたかのように、膝蹴りが繰り出されたのだ。


(この人、力が強いだけじゃない!)


 龐舒は完全に読まれていた自分の選択を反省しつつ、張飛に対する認識を改めた。


 大振りが多かったから力技で攻めてくる武人だと思ったのだが、ここぞという所で繊細な動きをする。おそらく大振りも誘いの一つだと思った方がいいだろう。


 しかしそれが分かったところで、どうしようない身体能力の差があった。


 再び距離を取ろうとした龐舒を張飛が追い、服の裾を掴んだ。そして力任せに腕を振り、地面に引き倒す。


 龐舒は全力で土の上を転がった。その一瞬前までいた所を張飛の足が踏みつけ、岩でも落ちたような低音が鳴る。


 肝の冷える音を聞きながら、龐舒は土に爪を立てた。


(武器は禁止だけど、これはいいよな)


 そう自分に言い聞かせ、掴んだ砂を張飛に投げつけた。目潰しだ。


 張飛は若い頃から戦場で命のやり取りをしてきた男だ。目潰しを卑怯だなどと思う感性は持ち合わせていない。


 それどころか龐舒を倒した時点で目潰しを予想していたようで、素早く腕を上げて完全に砂を防いだ。


 しかし龐舒の方もその間に立ち上がって体勢を整えられている。二人は再び距離を取って向かい合い、勝負は仕切り直しとなった。


「やるじゃねぇか。呂布なんぞの弟子にしとくのがもったいないほどだぜ」


 龐舒はそれを聞き、ピクリと眉を上げた。


 呂布なんぞ、という言葉に小さくない苛立ちを覚え、目を細くして張飛のことを睨み上げる。


「もったいないのは、僕なんぞが呂布様の弟子なことですよ」


 言い終わってから、今度は自分から前に出た。どう攻めようか悩んでいたが、怒りによって決心がついた。


 重心を下げ、両腕を上げて防御を固めつつ、ただ突進する。自分にできる限りの速度でただただ真っ直ぐに走った。


 張飛なんの工夫もない突進に一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに片足を引いて構えた。


 真っ直ぐの突進に対し、真横からの蹴りを食らわせてやろうと考えたのだ。


 が、それをすぐに思い直す。


 龐舒の加速が想定よりも数段早く、腰の入った蹴りを繰り出すことが難しいと思ったからだ。


 半端な蹴りでは逆に自分が押し倒されて上を取られる。それを避けるため、張飛は正面から龐舒を受け止めた。


「ぐっ……」


 と、張飛が声を漏らすほどの激しい激突だった。


 しかし、自分の体格と筋力とで受け止めきれないほどではない。結果として、張飛は龐舒を正面から抱え込む形を取れた。


「ぉおらあ!!」


 気合の声とともに、龐舒を投げ飛ばす。宙に浮いた体はクルクルと回りながら飛んでいった。


 ありえないような回転を加えられたため、上手く受け身を取れない。地面に叩きつけられた龐舒は顔をしかめて呻き声を漏らした。


「ぐっ……ううぅ……」


 そこで関羽が腕を上げ、鋭い声を発する。


「そこまで!!」


 勝負あった、ということだ。


 それを聞いた劉備が龐舒へ駆け寄る。


「大丈夫か、龐舒殿?骨はやられてないだろうな?」


 相手を心配するようなことを口にはしているが、その顔は綻んでしまっていた。


「張飛ももう少し加減をすればいいものを。しかしこれで龐舒殿は我が身内だ。今後はこんな手荒なことがないようによく言って聞かせ……」


 嬉しそうにまくし立てる劉備へ、関羽が冷ややかに告げた。


「兄者。この勝負、龐舒殿の勝ちだぞ」


「ああ、そうだ。龐舒殿の……何?」


 まだ綻んだ顔のまま、関羽を振り返る。


「……どういうことだ?確かに龐舒殿が投げ飛ばされた訳だが」


「龐舒殿は投げ飛ばされながら、張飛の顔に拳を入れていた」


 劉備がそちらへと目を向けると、張飛は苦い顔をして頬を撫でていた。そこへ確かに一撃を受けたのだろう。


「しかし、それほどの有効打では……」


「張飛の方から『一発でも入れられたら勝ちにしてやる』と言ったのだ。一方的に賭けを押し付けておいて、そのくせ負けたら前言撤回などというのはありえん」


 関羽は仮にも劉備側の人間なのに、そこに関して譲る気はないようだった。その厳格な目元は『約定を反故にすることなど許さん』と喋っているようでさえある。


 龐舒は苦痛に顔を歪めながら、関羽の方を向いて頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」


「礼を言うべきことではない。勝利条件をよく理解し、考えて戦った分だけ龐舒殿が強かったというだけだ」


 それから関羽は張飛へと向き直った。


「いつも言っているが、お前はもう少し頭を使え。そういう事だからふとした時に失態をおかすのだ。正面から突っ込まれた時点で捨て身の戦術であったことに気づくべきだろう。油断せず、相手の意図を考え続けろ」


 負けた上に説教まで垂れられた張飛は鼻筋のシワを深くした。


「……まぁ油断しちまったことは認めるよ。だがこいつが予想以上に速かったのも確かだ。呂布の野郎、相当に鍛えてやがるな」


 張飛の言葉に関羽も首肯した。


「確かにそれは私も思った。見事な脚力と体幹だ。龐舒殿、差し支えなければ呂布殿に課せられている鍛錬の内容を教えてもらえないだろうか?」


 龐舒は別に隠すべきことでもないと思ったので、指を折りながらその内容を挙げていった。


 初めはふんふんとうなずいていた二人だったが、指が折られる度にだんだんと眉間にシワが寄ってくる。


 そして全ての鍛錬内容を言い終えた時、明らかにその表情は変わっていた。


 それまでの張飛は呂布憎さのために、やや恨みのこもった視線を向けていた。


 しかし龐舒の日常を知った張飛の視線は、もはや憐れみといっていいほどのものになっていた。


「……お前よ、やっぱりうちで働いた方がいいんじゃねえか?」


 急に優しくなったその声に、龐舒は自分の感覚が完全に麻痺していることに気がついた。

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