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195 戦の現実

 春鈴は戦の喚声が遠く響く夜空を、つまらなさそうな顔で見上げた。


 あの夜空の下で、祖母や母たちは日々の鍛錬の成果を思い切り発揮しているのだろう。


 本当なら自分もあそこで戦っているはずだった。そうしたかったと、心から思う。


(私は戦える。今日までずっと鍛え上げてきた。花琳ばあ様だって私の強さを認めてくれてるのに……)


 道場の人間ならば誰もが春鈴の強さを認めていた。


 が、花琳が認めてくれるのは、その他の人間が認めてくれるのとは次元が違う。少なくとも、春鈴にとってはそうだった。


 花琳は物事を教える人間として、道場の生徒をよく褒めてくれる。


 しかし『あなたは強い』と言われる者はそういなかった。『強くなった』とは言ってくれても『強い』とはめったに口にしない。春鈴はそれをよく知っていた。


(あんなに強い花琳ばあ様が強いって言ってくれるんだから、私は強い。だから戦える。たくさん倒せるし、たくさん守れるはずなのに……)


 春鈴にとって、祖母ほど強い人間は他にいない。この天地で一番尊敬する人間だった。


 その祖母に認めてもらえたことは、これ以上無いほどの自信になっている。


「姉さん、もう中に入っていようよ。寒いしさ」


 許游が春鈴の背中に声をかけた。


 しかし、春鈴は振り向きもせず答える。


「病院の人たちを守るように言われたじゃない。ちゃんと見張ってないと」


 春鈴は手甲をはめた両腕を腰に当て、門のそばで仁王立ちしていた。


 ここにこうしていることは不満だったが、祖母の言いつけを破る気もない。


 すでに備えとして屋敷中のあちこちに灯火を置いておいた。夜襲とはいえ、これで視界に困ることはないだろう。


 しかし、許游はそもそも戦いたくなどないのだ。出来れば病院の奥で患者に混ざって寝ていたかった。


 その方が万が一敵が攻めてきても、見逃してもらえる可能性が高くなるだろう。


(でも姉さん一人を放置して、自分だけ隠れているわけにもいかないよな……)


 許游は今日何度目かのため息をついてから、もう一度声をかけた。


「姉さん」


「しつこいわね。別にあんただけでも……」


 春鈴は振り返ってから、言葉を途切れさせた。


 灯火に照らされた許游の顔は、うす暗いにも関わらずはっきりと青ざめているのが分かった。いつだかに冬の川へ突き落とした時でも、もう少しまともな顔をしていたような気がする。


「えらく顔色が悪いわよ?大丈夫?」


「……戦の声が聞こえ始めてから、気持ちが悪いんだ。何ていうか……色んな人の色んな感情が入ってくる感じがする。それも、いい感情じゃない」


 春鈴は許游の話を聞いて、その状態が何となく分かるような気がした。これまでもたまに似たようなことがあったのだ。


(游は昔からちょっと感じすぎるところがあるから……戦で死ぬ人、殺す人の気持を感じているのかもしれない)


 許游のことを優しいと言う者が多かったが、春鈴は少し違うと思っていた。許游は他人の苦しみを敏感に感じてしまうのだ。


 静かな水面が小石でも波紋を広げるように、響きやすい心をしている。結果、自分と他人の境界があいまいになって苦しむことが多かった。


 許游が若くして妙に諦観したところがあるのも、そうでなければ生きるのが辛かったからではないかと春鈴は思っている。


「游、あんたは奥で横になってなさい。別にここは私だけでも……」


 春鈴が弟を気遣ってそう言った時、複数の人間の怒鳴り声が聞こえてきた。


 少し遠く、春鈴たちがいる正門とは反対にある裏口の方からだ。争うような、騒がしい声だった。


「……!」


 春鈴は無言で駆け出した。屋敷の中を突っ切り、裏口の方へと向かう。


 許游は逡巡しながらも、それを追いかけた。


 裏口の方は他の者たちが見張っている。比較的元気な入院患者二人が手伝いを志願してきたので任せていた。


 二人とも片腕を斬られた負傷兵で、戦力としては頼りなかったがそれでも兵ではある。


 もし何かあった時でも落ち着いて対応できるだろうし、敵も隻腕の人間を見れば病院だと認識してくれるだろうという期待もあった。


 この屋敷は今は病院として使われているとはいえ、元は広い豪邸だ。正門から裏口までかなりの距離がある。


 が、二人は日頃の鍛錬の成果を発揮し、風が屋敷を吹き抜けるように走った。すぐに裏口が見えてくる。


 裏口を入った所はちょっとした広さの庭になっている。そこで敵兵と思われる人間たちが、二人の負傷兵を囲んでいた。


 負傷兵の一人が大きな声を上げる。


「だから、ここは病院だって言ってるじゃねえか!要人なんてどこにもいねえよ!ほら、俺らの腕を見てみろ!」


 そう言って肘から先が無い片腕を上げて見せた。隣りに立つもう一人の負傷兵も同じようにする。


 しかし、敵兵の一人は無言で剣を鞘から抜いた。


 そしてこともなげに、一人の腹へとそれを突き刺した。


 深々と刺さった刀身は、勢い余って背中から突き出ていた。


(……え?)


 春鈴はまだ遠目にそれを見ていたが、何が起こったかすぐに理解ができなかった。


 本来なら単純な話だ。剣が人の腹に刺さり、しかも背から突き出ている。刺された人間は死んだだろう。


(……あれ?え?)


 春鈴は混乱した。


 別に人の死を想定していなかったわけではない。むしろ、戦なのだから人は死んで当たり前だと思っていた。


 しかしその事実は頭で考えるには当たり前過ぎて、今の今まできちんと想像できていなかった。


 そしてあまりに簡単に、あまりにごく普通に、目の前で人が殺された。その現実に脳が追いつかない。


 人が人を殺す。その非日常が、戦場ではまるで日常であるかのように起こる。


 春鈴は混乱とともに足をすくませて、歩速を緩めた。


 剣を突き立てた男が静かな声でつぶやいた。


「病院への偽装か……よく考えたものだが、その手には乗らん」


 負傷兵の胸を押しながら、ずるりと剣を引き抜く。


 灯火に照らされた刀身は、血に濡れてどす黒かった。


「お前らのような本物の傷病人も混ぜているのだろうな。悪いが要人と判別がつかん以上、皆殺しにするしかない」


 そう言ってから、剣を横薙ぎに振った。その剣の軌道上にはもう一人の負傷兵の首があった。


 首と体とが離れ離れになり、頭が宙を舞う。


 その頭は毬のように地面を二度跳ねてから転がり、春鈴の足へとぶつかって止まった。


 その顔がちょうど上を向き、つい先ほどまでは光を映していた目と春鈴の目がぴたりと合った。


「ひっ……!」


 春鈴は引きつるような短い悲鳴を上げて、その場にへたりこんだ。


 春鈴が尻もちをつくのとほぼ同時に、頭を失った体から噴水のように血が吹き上がる。


 後から追いかけてきた許游はその光景に息を飲んだ。


 血の噴水と春鈴の足元の生首。


 それらを目に納めると、許游の体は金縛りにでもあったようなった。体中の筋肉が硬直し、動けない。まるで脳と体が切り離されたようだった。


 そしてそれは春鈴も同じだった。床に腰を落としたまま、動けない。体を動かそうとしたが、どの筋肉も反応しなかった。


 負傷兵たちを殺した男が飛んだ首を視線で追って、二人に気がついた。そして静かに歩み寄って来る。


 春鈴も許游も、恐怖に塗りつぶされた瞳でそれを見た。


 ゆっくりと近づいてきた男は、無感動な視線を春鈴へと落とした。そしてごく自然な動作で剣を振り上げる。


「隊長。そいつらまだガキのようですが、それでも()りますか?」


 兵たちの一人が男の背中に声をかけた。


 隊長と呼ばれた男は振り返らずに答える。


「言ったはずだ、皆殺しだと。それにもしかしたら、要人の子供かもしれん。脅しにはなる」


 男はそう言ってから、頭上で柄を握り直した。


 春鈴はそれを何もできずに見上げていた。


 許游も今から姉を襲う運命が分かりながらも、体を動かすことができないでいる。


 二人とも武術をやっているおかげで、相手が力を込めて剣を振り下ろそうとする殺気だけは分かった。


 しかし、何もできない。これまでやってきた鍛錬は恐怖を増進させる以外の役には立たなかった。


 春鈴に唯一できたのは、ただ目を閉じて身をすくませる事だけだった。


 暗い色に塗り込められた感情で、剣が振り下ろされてくるのを待つ。


 頭を割られるのだろうか、それとも首を斬られるのだろうか。


 なんの意味もないとは知りつつも、体をその衝撃に備えさせた。


 が、いくら待っても衝撃は来なかった。剣が体に触れる感触が感じられない。


(……もしかしたら、もう死んでいるのかな?)


 記憶にある限り死んだことのない春鈴は、そんなことを思いながら薄っすらと目を開けた。


 その視界にまず映ったものは、鼻先に突きつけられた剣の切っ先だった。その切っ先から、一滴の血が滴り落ちる。


「ひっ……!」


 春鈴は再び恐怖の悲鳴を上げた。


 しかし、その切っ先はそこから春鈴の方へは向かってこなかった。むしろ、ずるずると下がっていく。


 そして男の腹の中へと吸い込まれていった。


(……え?刺さってた?)


 切っ先が完全に男の腹の中へ消えてから、春鈴はようやくその剣が腹から生えていたものだと理解した。


 男は背中から貫かれていた。


 先ほどとは反対に自分が串刺しにされた男は、首だけ後ろを振り返りながらゆっくりと倒れていった。


 男が春鈴の視界から消え、そして現れたのは春鈴にとってあまりに意外な顔だった。


「靖じい様……」

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