184 見合い
(おじい様がナマズって言ってたけど、顔までナマズに似なくてもいいじゃない)
春鈴は目の前に座る若者の顔をまじまじと見た。
確かにナマズに似ている。唇が太く、横に長い。目は丸くてやや離れ気味だ。
極めつけはその髭で、まだ薄いのを頑張って伸ばしているからナマズのように細長くなっていた。
(ナマズ髭)
春鈴は心の中でそんなあだ名をつけた。失礼だとは思ったが、我ながら的を得たあだ名をつけられたと思う。
ナマズ髭の方はというと、春鈴へニコニコと笑顔を向けている。春鈴が目の前にいるというだけで、嬉しくてしょうがない様子だった。
(まぁ、別に見た目はナマズ髭でもいいんだけどね。でも……この人じゃ守ってはもらえなさそうだな)
春鈴には憧れがあった。それは、男から守ってもらうことだ。
物心ついた頃から祖母に武術を叩き込まれてきた。しかも、自分には天賦の才もあった。
自然、同世代の男子たちよりも春鈴の方が喧嘩が強くなる。そこへさらに気の強さも重なれば、男子から守ってもらう事など起こりうるはずもなかった。
若ければ若いほど、手の届かないものへの憧れが強くなるものだ。
齢を取れば手の内にあるものの安心に気付けるものだが、まだ十五になったばかりの春鈴には分かろうはずもない。
(この人、強くないどころか日常的に大した運動もしてないわね)
不幸にもすでに達人と言っても良いような強さになっている春鈴には、そんなことまで分かってしまうのだった。
ナマズ髭の隣りには、これまたナマズ髭の成体とでも言えるような中年が腰を下ろしている。遺伝子の強さを感じさせる親子だった。
この男がナマズ髭の父親で、劉備入蜀の立役者となった張松だ。
「本日は息子、占のためにこのような機会を作っていただきありがとうございます」
「張占です。よろしくお願いいたします」
張占はまず春鈴の隣りに向かって頭を下げた。そこには許靖が微笑して鎮座している。
張占が父親を伴っているのと同様に、春鈴は祖父を同伴者としていた。
四人は張松の屋敷の一室で顔を合わせている。
かなり豪壮な邸宅で、この客間にも値の張りそうな調度品がずらりと並んでいた。価値の分かる者なら、それだけでも萎縮してしまいそうな部屋だ。
張占は下げた頭を上げると、その顔をすぐに春鈴の方へと向けた。
「そして春鈴さん、お久しぶりです。私のことを覚えていますか?」
「え?いや、全然」
春鈴の素っ気ない返事を受けて、張占の片頬がナマズ髭と共にヒクリと上がった。
許靖はナマズが潮水をぶっかけられて面食らっている様子を思い浮かべた。
張占は覚えられていないことが残念だったのか、それともあまりに軽い返事だったことに動揺したのか、無意識に顔の筋肉を痙攣させていた。
その様子に、許靖は祖父として申し訳なく思った。
「すいません……春鈴、自己紹介を」
「あ、はい。春鈴でございます。どうぞよろしくお願いいたします」
春鈴はあらかじめ花琳から言われていた通りの言葉を述べた。
別に棒読みというわけでもなかったが、それでも許靖はその言葉に大きな違和感を覚えた。それくらい、普段の春鈴の言葉遣いはざっくばらんとしたものだった。
春鈴の母親である芽衣は、第二の母親ともいえる花琳が甘やかしたおかげでお世辞にも言葉使いがきれいとは言えない。
そして春鈴はその芽衣が母親であり、甘やかした花琳が祖母だ。もう一人の祖母である小芳だけは危機感を持っていたが、結局はこうなってしまった。
張占は気を取り直して再び喋り始めた。
「えっと……あの、覚えていませんかね?私が市場でごろつきに絡まれているところに春鈴さんが通りかかって……」
そう言われても、春鈴には全く記憶がない。視線を宙に漂わせながら首を傾げた。
こうなると、張占は何が何でも思い出してもらおうと思った。
「ごろつきは三人いました。きっかけは肩がぶつかったとか、ぶつかってないとか、その程度のことだったんですが……ほら、春鈴さんはごろつきに突き飛ばされた私の前に立ちはだかって、そいつらを足払いだけで退散させたんですよ」
「……そんなことあったかな?」
反対に首を傾げ直した春鈴に、張占のナマズ髭はまたヒクリと揺れた。
許靖はナマズが潮水でのたうち回っている様子を思い浮かべて、また申し訳なくなった。
だから間を取り繕おうと思い、笑顔を作って口を開く。
「あ、足払いだけで去って行くなんて、気の弱いごろつきだったのかな?」
「いえ、彼らは春鈴さんに四半刻近くも足払いをかけられ続けまして……心の折れたごろつきたちは、疲れた顔をして帰って行きました」
今度は許靖の片頬がひくりと上がった。
(ごろつきたちを怪我させないためにそうしたのか、それともただ相手をからかっていたのか……)
許靖は我が孫のことながら、苦笑も出来なかった。
しかし、春鈴はそのことでようやく記憶の扉が開いたようだった。
「あ、思い出した!あの時、地べたに座り込んで泣きべそかいてた人だ!」
春鈴に大声でそう言われて指をさされた張占は、もはやナマズ髭をひくつかせるどころか、完全に表情を凍りつかせてしまった。
許靖は海水に浸されたナマズが逆さになってぷかりと浮かぶ姿を思い浮かべた。




