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156 兄の思惑

 言葉の針がグサリと許靖の胸に突き立った。


 分かっている。それは花琳から言われなくても分かっていることだ。許靖はその解決策を意識して無視しようとしていた。


 しかし、花琳も許靖が分かっていることを分かっていて、あえてそれを口にした。


 背中を押してやったつもりなのだ。そもそも花琳は許靖が太守になると言えば、文句の一つもなくついて行くつもりだったのだから。


(きっとこの人が太守になれば、多くの人を幸せにできる)


 今もそう考えていた。


 しかし、許靖としては太守にならないという選択肢を選んでここまで来ている。あまつさえ、すでに断ってきたのだ。


「と……とりあえず、戻ってから善後策を考えよう。少し休めば、良い案が浮かぶかもしれない」


 本当は良い案など浮かぶ気が全くしなかったが、許靖は花琳の言葉を聞かなかったことにして朱亞(シュア)たちの方へと戻り始めた。花琳も無言でそれについて行く。


「よし。一度、生活費をしっかりと計算してみよう。人数が三十五人で、一人あたりの食費・雑費が……」


 許靖が頑張って暗算をしながら戻っている所へ、大きな物音と悲鳴とが聞こえてきた。


 何か大きな家具が倒れるような音だった。


 音がした部屋を覗くと、棚が倒れてその周りに花瓶の破片が散っていた。その側に、一人の少女がししゃがみこんでいる。


「ちょっと明明(メイメイ)!!なんで突き飛ばしたの!!」


 依依(イーイー)が娘を叱る声が響いた。


 が、明明には堪えた様子がない。無言で陳祗(チンシ)の前に仁王立ちになり、しゃがみこんだ少女を睨んでいる。


 どうやら明明が少女を押して、それが棚にぶつかって倒れたらしい。


 押された少女は特に怪我はなかったらしく、すぐに立ち上がった。そして明明の前へと歩いていく。


 明明は陳祗への道を遮るように両腕を広げた。少女が陳祗の所へ行くのを邪魔しようとしているようだった。


(陳祗にじゃれる女の子に嫉妬した明明が、それを突き飛ばしてしまったのか……無理もない。明明は旅の間中ずっと陳祗にべったりだったからな)


 許靖は状況をそう推察した。


 ずっと自分だけのものだった陳祗が他の少女に囲まれて、自分のものを取られたと感じたのだろう。


 敵意むき出しの明明へ、少女は邪気のない笑顔を向けた。


 それで明明は逆にひるんでしまったのか、半歩後ずさった。


「あなた、しぃ兄ちゃんのことが好き?」


 少女はそう尋ねた。


 明明は少しまごついてから、コクっと首を縦に振った。


 少女はいっそう笑顔を輝かせた。


「じゃあ、あなたもこの家の子になればいいよ!そしたらあなたのお兄ちゃんにもなるから!しぃ兄ちゃんは、みんなのお兄ちゃんだよ!」


 明明は母親を振り返った。期待の込められた眼差しで母親を見ている。


 陳祗の妹になれるなら、それは明明にとってこれ以上ないほど嬉しいことだった。


 が、期待されても依依は困ってしまうばかりだ。


「いや……明明、あのね……」


「はっはっは!さすがは私の孫だ。いい事を言うじゃないか!」


 依依の困惑は、朱亞の豪快な笑い声でかき消された。


 朱亞は人を惹きつけるその暖かい笑顔を依依と明明へ向けた。


「あんたら、母娘二人で交州から移住だなんて、きっと訳ありだろう。こっちに頼れる人はいるのかい?」


「……いえ」


「旦那もいないってことだね?」


 依依はおずおずと首を縦に振って肯定した。


 朱亞もうなずいて応える。


「うちだって皆そうさ。三十五人の家族の内、十五人の女が子供はいるが旦那はいない。片親で子供を抱える不安はよく分かるつもりだよ。あんたさえよかったら、うちの家族になって一緒に暮せばいい」


 朱亞の言葉に、部屋の女たちは皆それぞれにうなずいていた。


 片親で子供を抱える不安、これは当事者でなければ分からないものだろう。


 自分と同じ傷を持った人間は、もはや他人ではない。しかも、自分たちは実家という頼れるものがあったが、依依にはそれすらないようだった。


「ほら、皆あんたを受け入れてくれるよ。どうだい?うちの家の子になるかい?」


 依依は朱亞の笑顔に惹かれて、はい、と返事をしてしまいそうになった。


 しかし、理性はそう単純に決められない事情があることを思い出している。


 依依は許靖へとすがるような視線を送った。それを追うように、部屋の全員の視線が許靖へと集まる。


 許靖は片頬をひくつかせた。とても太守就任を断ったなどと言えそうな状況にない。


 朱亞は許靖のところまで来て太陽のような笑顔を輝かせ、バンバンとその背中を叩いた。


「心配いらない。うちには未来の巴郡太守様だっているんだ。あんたら二人が増えたところで、どうってことはないよ。ねっ!?」


「え?あ、はい……」


 許靖は朱亞の勢いに飲まれるようにして、そう返事をしてしまった。


 部屋中の女たちから拍手と喝采が上がる。


 皆の満面の笑顔の中で、許靖ただ一人が苦笑いをしていた。


(三十五人が二人増えて、三十七人になったな……)


 それで計算が面倒になったからというわけではないが、許靖は生活費の暗算をやめた。


 こうして許靖はごく経済的な事情から、仕方なく太守を引き受けることになった。

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