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142 妻たち

 花琳が薄暗い店内に入ると、すぐに受付らしい男に声をかけられた。


「おい、お前ら店の人間じゃないな?ここは女の来る店じゃねえよ」


 しかし、花琳はそれを無視して進んでいく。男は舌打ちしてから花琳へ手を伸ばした。


「おい、聞いてんのか……」


 花琳はその手を軽く払いのけた。


 その直後、男は手首から先に妙な違和感を覚えた。手首を支点にして、その先がぶらりとぶら下がったようになっている。


 全く力が入らない。


「あ……何だこれ……」


 男の手首はきれいに脱臼していた。


 男は花琳が何をどのようにしたのか全く分からなかったが、今まで見たことのない自分の手首に思考と動きを停止させてしまった。


 花琳と小芳はその間にずんずんと奥へ入っていく。


 少し遅れて芽衣と凜風、翠蘭もついてきた。芽衣は物珍しそうに、凜風と翠蘭は恐る恐るといった感じで店内を見回している。


 店内の人間の何人かは、この場に似つかわしくない五人が入ってきたのを不思議そうな目で見やっていた。


 花琳は鼻を効かせながら足を進め、やがて一つの集団の前で足を止めた。


 十人ほどの男たちが、女たちの酌を受けながら飲んでいる。


「……何だ?店の女には見えないが」


 中心に座る肥えた巨漢が花琳たちに気づき、そう尋ねた。


 言わずと知れた張翔(チョウショウ)だ。虎豹騎(こひょうき)を連れて、この店で上機嫌に飲んでいた。


 張翔の後ろには、こんな店に持ち込むには明らかに不自然な木箱が置いてある。


 花琳はすぐに質問には答えず、確認するようにしばらく鼻を効かせていた。


 それから張翔を冷ややかな目で見下ろし、自己紹介をした。


「妻です。その木箱の中身の」


 それを聞いた男たちは、張翔を除き素早く立ち上がった。さすがは精鋭中の精鋭で、このような状況でも任務は忘れていない。


 張翔だけは座ったままで、驚きに目を見開いて花琳を見た。


 小芳たちも同じような表情で花琳に目を向けた。四人とも、まさかこのような展開は予想していなかった。


 張翔は我に返ると、とりあえずとぼけてみせた。


「木箱の中身?この中にいるのはただの家畜ですよ。あなたは人間に見えますが、違うのかな?」


 花琳はその発言を全く無視して問い返した。


「主人たちは無事なのでしょうか?無事なら半殺し程度で済ましてさしあげますが」


 そう言って花琳が一歩踏み出すのと、兵の一人が飛び出すのがほぼ同時だった。素早く花琳に掴みかかる。


 花琳はその腕を巻き込みながら体を回転させ、肘を兵の顎に叩き込んだ。


 脳を強く揺すぶられた兵は即座に気を失い、人形のように床に倒れた。


 間をあけずに別の兵が殴りかかってくる。


 花琳はその拳を最小限の動きでかわしつつ、兵の腕と交差させるように拳を突き出した。自身の踏み込みの力も加わった拳が顔面へ突き刺さり、この兵もすぐに動かなくなった。


 ここまでの動きを見た他の兵たちは、まず花琳から距離を取った。女だからと油断せず、完全に警戒体制を敷いていた。


 それから一拍置き、酌をしていた女たちが悲鳴を上げてその場から逃げ出した。


 張翔もそれを追うように花琳から離れ、兵たちの後ろに隠れた。巨体を縮ませて、陰から覗き込むように花琳を見ている。


 花琳は張翔や兵たちに構わず、木箱へと歩み寄った。


 木箱には錠前がかかっている。花琳はそれが外せそうにないことを確認すると、拳や手刀で木箱の上面を素早く破壊していった。


 しばらくすると、中から木屑にまみれた許靖と陶深が現れた。手足だけでなく、目も耳も塞がれているため、状況を理解できていないようだった。


 花琳はすぐに目隠しと耳栓とを取ってやった。


「お怪我は?」


 問われた二人は何が起こったのかすぐに理解できず、花琳の顔を間の抜けた顔で見上げている。


 やがてこの世で最も頼りになる女性が目の前にいることを認めると、それは歓喜の表情に変わった。


「花琳!」


「花琳さん!」


「その様子なら、死人は出さずに済みそうですね」


 いきなり物騒なことを口にした妻を、それでも許靖は地獄に女神が降臨したものだと思った。他人には死神でも、今の自分にとっては女神で間違いない。


 花琳に支えられて箱から出ようとする許靖に対し、張翔がおずおずと声をかけた。


「きょ、許靖殿……この際ですから、奥方たちも一緒に連れて来られては……?」


 床に座らされた許靖は、まだ縛られたままの足で木箱を蹴りつけながら答えてやった。


「この木箱は狭すぎて、うちの家族はとても入りませんよ」


 張翔はその返事に舌打ちを一つし、兵たちの隊長に命じた。


「こうなったら多少怪我させても構わん。全員拘束しろ」


 言われた隊長は張翔よりも大きな舌打ちをしてから、部下たちへと命じた。


「聞いた通り、全員拘束せよ。殺すなよ。人さらいの真似事までさせられて、そのうえ女を斬ったとあらば虎豹騎の名折れだ」


 花琳は隊長に冷ややかな目を向けた。


「あら、お優しいこと。でしたら、うちの子たちの実戦経験になっていただきましょうか。凜風、翠蘭、芽衣も手甲をつけなさい」


「「「もうつけてまーす」」」


 三人は声を揃えて返事をし、同じように手を挙げてみせた。


 本人たちの言う通り、全員の腕には美しく刺繍された手甲がはめられている。


「……準備がいいわね」


 感心する花琳に芽衣がさらりと答えた。


「まぁ最悪、花琳ちゃんとお母さんの夫殺しを止めないといけなかったからねぇ」


「「夫殺し?」」


 まだ手足を縛られたままの許靖と陶深が、声を合わせてそれぞれの妻を見た。


 見られた妻たちは、素早くあさっての方を向く。


 そのやり取りをうやむやにするためではないだろうが、花琳は弟子たちに命じた。


「……この人たちは普通の兵とは違うわ。おそらく精鋭中の精鋭よ。凜風と翠蘭は二人で一人に当たりなさい」


「「はいっ」」

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