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128 蜜蜂と花

「となり、いい?」


 翠蘭(スイラン)は声をかけられて顔を上げた。


 武術教室の休憩時間に、道場の隅に座って水分を摂っている時だ。


 見上げると、凜風(リンプウ)の明るい笑顔がこちらに向いていた。


 翠蘭はその笑顔を太陽のようだと感じた。


「あ、はい。どうぞ」


「ありがと」


 凜風は蜜蜂が花に着地するように、軽やかな動きで腰を下ろした。


 ふぅっと息をつき、翠蘭と同じように手持ちの水筒の水をゴクゴクと飲む。それから口元に拭って、翠蘭にまた笑いかけた。


「疲れたねー。でも気持ちいいよね」


「そうですね。とても気持ちがいいです」


 翠蘭も笑顔で答えたが、人見知りをする(たち)なのでやや表情が硬い。


 だが凜風はそんなこと気にする様子もなく、明るい表情を続けた。


「武術って思ってたよりずっと難しいよね。あたし、体を動かすのは自信があったんたけど全然上達しないや」


「でも、凜風さんはあんなに早く動けるじゃないですか。私にはとても真似できませんわ」


 凜風は笑顔をさらに綻ばせた。褒められたからではない。翠蘭が自分の名前を覚えていてくれたことが嬉しかったのだ。


「翠蘭だって技を覚えるのがすごく早いじゃない。多分、道場内で一番動きがいいと思うよ」


 翠蘭も凜風が自分の名前を覚えてくれているとは思わなかったので、嬉しくて笑った。


 それから、なんだか恥ずかしくなって身を縮こませてしまう。


 その様子の愛らしさに、凜風は翠蘭を抱きしめたい衝動に駆られた。


 しかしそれはぐっと我慢して、まずはもっと仲良くなりたいと思った。


「っていうかさ、あたしたち同じくらいの齢なんだし敬語はいらないんじゃないかな?」


「でも私……生まれてからずっとこうなので、どういうふうに話したらいいか分からないんです」


 凜風は目を丸くした。


「えー……やっぱり中央のお嬢様はすごいねぇ。翠蘭のお父さんも礼儀正しいし、知的でかっこいいよね。なんかうちの父さんと仲悪いみたいだけど、絶対父さんの鬱陶しさが原因だし」


「そ、そんなことはないと思いますけど……私は凜風さんのお父様、暖かそうで羨ましいですわ」


「いやいやいや、あんなの暑苦しいだけだって。家でもほんっとうに鬱陶しいんだから」


 凜風はそう言って手をパタパタと振ったが、翠蘭は本気で羨ましいと思っていた。


 だが凜風は凜風で、翠蘭の父親に憧れを感じている。この年頃の娘というのは自分の父親を拒絶し、そこに無いものを求めがちなものだ。


「ねえ、翠蘭。せめて、さん付けはやめようよ。友達なんだから『凜風』でいいよ。そう呼んで」


 翠蘭は凜風の要求に頬を上気させて、また体を縮こませた。


 恥ずかしがりながらも、友達と言われたことが嬉しかったので頑張って応えた。


「分かりました……凜風」


 凜風はその様子に今度は耐えられず、思わず翠蘭を抱きしめた。


 翠蘭は突然のことに目を白黒させたが、凜風に抱きしめられること自体はとても心地よいものだと感じた。


 しかし、次の凜風の言葉で崖から突き落とされたような気分になる。


「あたし、やっぱり翠蘭とは友達になるのやめる」


(私、何か悪いことをしたでしょうか……)


 わけも分からず自分の非を探していると、凜風はまたわけの分からないことを言い出した。


「翠蘭とは姉妹になることにする!!」


 翠蘭は驚きのあまり目を丸くしてしまった。凜風の展開について行けない。


「翠蘭は何歳?」


「じゅ、十三ですが……」


「十三?あたしが十四だから、翠蘭が妹ね。あたしがお姉ちゃんだよ。翠蘭を初めて見た時からずっと、こんな可愛らしい妹がいたらいいなって思ってたの」


 翠蘭の頭は混乱して、どう答えていいのか分からなかった。しかし凜風は構わずに話を続けてくる。


「ほら、あたしたちってもう花琳先生の姉妹弟子でしでしょ?だから、本当に姉妹になってもおかしくないよ。ねぇ、私の妹になって」


(……そういうものかしら?)


 翠蘭はまだ混乱しながらも、凜風のねだるような瞳と畳み掛ける言葉に押されて、首を縦に振ってしまった。


「え、ええ」


「本当!?やったあ!あたし、母さんがいなくて父さんと二人だけだったから、妹ができるなんて嬉しい!」


 凜風は跳ね上がるようにして喜んだ。


 翠蘭はまだ頭がうまく回らなかったが、凜風の言葉を聞いて自分と同じだと思った。


「……私もお母様がいなくて、お父様と二人だけなんです」


 凜風は翠蘭の言うことを、意外なことだと感じた。自分のようながさつな娘と、目の前の人形のように愛らしい娘とで共通点があるとは思わなかったのだ。


「そうなんだ……家族が増えるのは嬉しいよね。まぁうちは暑苦しい父さんのおかげで、あんまり寂しくはなかったけど」


(私は寂しかった……)


 翠蘭はそう思ったが、それを口にする前に休憩時間の終わりを告げる花琳の声が道場に響いた。


「翠蘭、また後でお姉ちゃんと話そうね」


 凜風は翠蘭の右手をぎゅっと握ってから、花琳の方へと駆けて行った。


 翠蘭は握られた右手を左手で包みながら、人生で初めてできた姉の背中をぼんやりと見つめた。


 そして凜風の暖かい感触を思い出しながら、ぽつりとつぶやいた。


「私の……お姉様……」

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