未定
慟哭のような轟音が大地に鳴り響く。
馬を止め、黒いスコットコート、下にベストを着、首元に白いマフラーを巻いた男が、三白眼を細め、轟音のなる方角を見つめる。
カメダ川の支流に添い、箱館を分断するように木の柵が設けられている。
榎本武揚が、通行料徴収のために築いた一本木関門。
当時の民からは、榎本武揚政権を榎本ブヨと罵る者もいた。
蝦夷共和国の財源を確保するため箱館の民から血を吸うブヨの如く、金を吸いあげていた。また、蝦夷地を他国に売り渡しもした。それほど財政は逼迫し、また、この軍服の男にも、焼け石に水と皮肉られた。
開陽丸が松前沖で座礁し失ってから、榎本武揚は余裕を失った。新政府への強みはこの海軍であった。鳥羽伏見で破れた際、もし、幕府がこの時、大坂城に籠り長州、薩摩へこの艦隊を率いて、それぞれの地に艦砲射撃を行い、海上を制圧していたら。現実は、徳川慶喜や負傷兵を乗せ、江戸に戻っただけである。
話を戻す、そのブヨの口とも言える門を、焼け石に水と罵る男が、馬上から七重浜沖を見つめる。
海上で軍艦から黒煙が、天に悲鳴を届けるかの如く立ち昇る。
明治2年5月11日未明に箱館山の裏側を新政府陸軍参謀黒田清隆率いる700名が夜陰に紛れて箱館山裏側の絶壁から登り、侵攻を開始した。
新政府軍の奇襲により、箱館山を守る蝦夷共和国軍は撤退。新政府軍は山頂より箱館市街地へ旧幕府脱走軍が建国した蝦夷共和国が守る五稜郭に向けて総攻撃を開始した。
その同日早暁には、七重浜沖より上陸した新政府軍4000名と言われる軍勢が五稜郭の北西方面、北方面から侵攻し、四稜郭、権現台場を攻撃している。
そして、海上から、新政府艦隊、甲鉄と春日が弁天台場を攻撃し朝陽、丁卯は陸を攻撃している。
箱館は、津軽海峡と箱館湾に挟まれ陸地が狭い。
五稜郭の太鼓櫓が艦砲射撃の的となっていた。
海上からの攻撃に弱かった。
南北から挟み撃ちを受け、五稜郭から北側を蝦夷共和国、大鳥圭介が指揮をとり、敵軍に自ら大砲を放ち奮闘している。
轟音の正体。
史実では、その蝦夷共和国軍の軍艦蟠竜が新政府軍の軍艦朝陽丸への砲撃を行い撃沈させたとある。
遡ること、同年4月24日より始まった箱館湾海戦。かつて幕府軍の主力艦であった朝陽丸。幕府軍瓦解後は、新政府軍の主力艦として、蝦夷共和国軍が守る松前城攻略に170発もの砲弾を放ち、松前城櫓に命中させ、開陽丸座礁後の、蝦夷共和国軍旗艦回天丸の40斤砲を破壊した、長らく蝦夷共和国を苦しめた朝陽丸。
同年5月6日、蝦夷共和国軍艦、新政府へと脅威となっていた海軍も蟠竜のみとなっていた。
英国人居留人を避難させるために停泊したパール号の軍医メリックは語る。
「両軍とも突然の災害に一瞬、息を呑んだ。轟音が静まった後、戦場一帯とも思えぬ、しんしんとした静寂がみなぎった。
しばしの静寂。
蝦夷共和国にしては、海上を守る上、とても悩まされたはずであった朝陽丸を撃沈させても歓声もあげなかったことから、想像もつかない光景だったのであろう。
当時の箱館の市街地は、一本木関門より南側から箱館山の麓までである。
箱館山からの新政府軍による奇襲を受け、 占領された箱館山奪還と箱館山の麓、箱館湾側に旧幕府により対外国船のために築かれた弁天台場を守る仲間救出の為、永井尚志指揮の下、軍を出し敢え無く撤退。
撤退の折にその市街地に火を放ち、市街地から、火と黒煙が立ち込める。
馬に跨る男は右手に刀を振りかざし、門の前を塞ぐように男は馬に跨り市街地を見つめ怒声をあげる。
連日、あれ程騒がしかった、海上が大人しくなった。
「この機を逸するな。この柵から退くものは、私が切る」
蝦夷共和国軍の、軍勢五〇〇名あまりは、雄叫びを上げ、燃える箱館市街地に向けて、駆け出す。自らの命を燃え尽きるこの時を待っていたかのように。
挟み撃ちを受け、敗色濃厚となった蝦夷共和国軍の拠点、五稜郭内では、士気が落ち込んでいる。
脱走するならまだしも、弁天台場では意図的に砲台に細工し使い物にできなくするような裏切り者も出てきた。
自分が生き残るために、これまで戦ってきた者達の命を売る。
榎本武揚は小賢しい事と思っている。
官軍に寝返るために、手土産を持っていかなければならない。
それが裏切る行為しか取れない。
それでは駆け引きにならないと思っている。
この一時間程前、箱館奉行所内一室、榎本武揚は永井尚志が箱館山奪還、弁天台場からの仲間救援失敗の報を受け、机上に両手をつき肩を落とす。これまでかとの思いを口に出さぬよう一度強く瞼を閉じた後、机上を見つめ一息吐き榎本武揚は今後の処理について思案した。
その時、「私が行くよ。」と声がした。
部屋には、榎本武揚と秘書しかいないはずだった。
落ち着き払った声に榎本武揚は、ふと顔を上げる。いつの間に、人が入っていたことに驚いたがそのそぶりを見せない。
闖入者をじっと見つめ、「箱館山に向かうのか?」と尋ねた。
愚問を自ら発したことに口に榎本武揚は苦い顔をした。
榎本武揚の考えはこの先籠城を行い、降伏交渉に持込むことを算段していたのかもしれない。
今、この時点で籠城していても、救援はこの国には無い。
男は応える。
「取り残された弁天台場の者たちを助け、ここに連れ戻す。」
「連れ戻した後どうするつもりだ。」
「その後は、もちろん、大鳥さんの下へ駆けつける。私が殿を取り、大鳥さんをこの五稜郭へ撤退させる。」
「死ぬ気か?」
誰しもそう思うであろう。
自軍は三〇〇〇程度、新政府軍は八〇〇〇名以上の大軍で攻めて来ている。
男はふと息を吐く、榎本武揚は、それが笑ったと気付くのに間があった。そして、それは榎本武揚に対し、どこか柔らかなものであった。
「どうやら、死なない身体らしい。ここまで一度も死んだことがない。死神もやきもきしている」
榎本武揚も、ふと頰が緩んだ。
京都からここまで、各地で転戦しながらも、生きてここまで来た。
しかも四月に行われた約十六時間死闘を繰り広げた第一次二股口攻防、二昼夜戦った第二次二股口攻防、一銃千発とも言われる闘いを連勝し、敵軍死傷者数百人、我が兵数十人とも言われている。
そういった死闘を演じても生きて帰ってきた。
「榎本さん、あなたは、生きて、筋を通してくれ。」
不意の質問に、榎本武揚は、この闖入者を睨みつけるように見つめる。
「今は、この戦を早々に終わらせることだけを考えてくれ。その間に私は私のやれることをやる」
「何を考えている。」
榎本武揚に穏やかさがなくなる。
二股口攻防で、この闖入者は、新撰組、大野右仲に我が兵限りあるも、奸軍は限りなし。一端の勝ちありと雖も、その終には必ず敗れんこと鄙夫すらこれを知れり。然るに我、任せられて敗れなば、すなわち武士の恥なり。身を以て殉ずるのみと語った。
敗北は必至、覚悟は決めていた。
第一次二股口攻防の前に、この闖入者が可愛がっていた新撰組少年兵である市村鉄之助に、五稜郭を抜け、日野宿にある佐藤彦五郎のところに行けと命を出した。
市村鉄之助は、「ここで討ち死の覚悟を決めています。他の者に御命じください」と拒んだ。
「それでは今、この部屋で死になさい」と、静かすぎるほど冷徹な口調で言った。
鞘と鍔が離れる瞬間に見せる刀身のきらめきと音。
それを想像する時、この男が怒っていると分かっている市村は背筋が凍った。
この男はただ言葉を発しただけで、微動だにしていない。
最近は誰に対しても表情は柔らかだった。
京都から常にこの背を追いかけていたからこそ、今見せる表情と声色でよくわかる。
死するつもりだ、だから共にという想いがある。
二の句を告げさせないように机上にて便箋取り筆を進める。
少年兵を見ずに、この闖入者は話しかける。
「今日、箱館港に入った外国船がニ、三日したら横浜へ出発すると聞いた。船長には話をつけたから。この写真と書きつけを肌身に離さず身につけろ」
書きつけと写真、そして和歌、数根の毛髪が入った紙袋を手渡した。
「そして」
と机の引き出しから、袋を取り出し、「金子は二分金50両を渡す。日暮れも近いから、今すぐ出立し、船に乗り込み出帆を待ちなさい」
と、指示を出した。
市村が納得いかないのは、この闖入者もわかっている。
最後に、「この刀を」と市村に手渡した。
これまで長く共に闘った刀、和泉兼定。
市村は案内役により五稜郭から出て、別れを惜しむかのように、また別れを告げるかのように振り返る。
城門の小窓より、見送る影があった。
死を予期した行動、言動が増えている。
そして覚悟を持って、今、この場で榎本武揚と会話をしている。
「ここから」
と闖入者は、右手人差し指で、自らの首を切るように
数度、叩いた後、その指を天井を示し「女だけではなく奸軍にもモテるんでね。」に微笑み、「この首は、奴らには取らせたくない」途端に真顔になり、まじまじと、榎本武揚を見つめる。
榎本武揚は、口を真一文字に結ぶ中、この闖入者は静かに告げる。
「あなたも大鳥さんも、松平さんも、学がある。無駄死にしちゃいけない。」
と、淡々に言う。
榎本武揚は、薄ら笑い言う。
「彼らから見たら、罪人だぞ。」
「奴らも、また学が無いからね。」
幕末、幕府は、この先を考え、榎本武揚などを海外留学させ、兵器を戦国から近代に一気に進め、さらに人材を西欧に留学させて育てている。
奸軍にはどれほどのものが西欧を知っているのか。
蝦夷共和国は、形式上ではあるが選挙を行い、榎本武揚が国主となっている。
闖入者は、この榎本武揚が作ろうとした国に未来をかけた。
法もへったくれもない新政府により、濡れ衣を被された徳川家への汚名を雪ぐことで、この国のためにこれまで闘い死んでいったもの達の面目、生き様を守りたかった。
無法者に汚された名の挽回するために。
「何を言っているのか。」
榎本武揚は、この闘いに責任を取るつもりであった。だから、この闖入者の言っていることは承服はしかねる。
新政府よりも早く、この日本で初めて入れ札にて総裁を決めた。
これから、新政府よりも早く法を定め、海外諸国に一国と認めさせ、この地を開拓し、徳川家を迎え入れる。
その夢が終わった。
「生きて、榎本さんがやりたいことをやればいい。私は、この蝦夷の地が気に入った。この無学者は、この地に埋もれるだけさ。」
このままおめおめ生きていては、共に闘い先に逝った者、局中法度という法により亡くなった者達にあの世で顔向けできない。
「この戦いの真価は私の死により定まる」
榎本武揚は決然と言う。
「この戦いの真価は確かに、榎本さんの死で定まるかもしれない。榎本さんが生きてこの国を変えることの方が、余程有意義なことだ。戦さより己の真価を問え。敗者の将が生きて、この戦の真価を説いたほうが、理解を得られる」
この闖入者は胸に拳を当てて更に言う。
「言ったことを成す。すなわち誠の道なのだ。それは生きてからこそだ。あなたが、あの日あの時、我々に言ったことを私は信じる」
蝦夷地を開拓し、農業、酪農を中心にした経済を築き、入れ札で代表者を決め、新たな世を作る。
そのためにやるべきことを、箱館新政府に向けて語った。
それは箱館新政府の進むべき道標というこよりは、榎本自身の夢であったかもしれない。。
榎本武揚は頭を下げた。
瞼に溜まる者を見せたくない。
新時代に生きて欲しい。
闖入者は、その思いがあるから、終戦に向け、ケジメをつけるところへきた。
「この首は奴らにくれてやる」
そう一言残し、踵を返して、部屋から出た。これ以上話すことは無い。
榎本武揚は、どこか決心した表情で闖入者の後ろ姿を見つめた。
榎本武揚は、余計な戦死者を出さずこの戦を切り上げる必要に迫られていた。
あの男と入れ違いで兵士が来た。大鳥圭介の戦況報告に来た兵士。
これまでの戦により疲労困憊、更に戦況は著しくない報告をせねばならない。表情は、青ざめている。
榎本武揚は、その者に要件を言わせぬまま、静かな口調で、「大鳥くんは劣勢ということであろう。」と力の無い諦めに似た表情を見せた。
兵士は頷いた。
「少し、考える時間をくれないかな。箱館山からの侵攻を挫くため、土方君に指揮を取らせる。」と微笑む。声の口調は穏やかである。
「土方さんが。」
兵士は、更に表情を曇らす。
土方歳三は、局地戦には勝つからだ。
二股口での闘いだけでは無く、この蝦夷地での戦では、土方歳三は必ず勝つ。神がかりな程に。
この兵士も厭戦気分に、駆られていると、瞬時に榎本武揚は感づいた。
当時は有り難かった存在が今や、兵士の中で疎ましい存在へと変わっている。
これ以上の戦は不必要だからだ。
「君は」
と榎本武揚は問う。
「何の為に、闘うのだ」
兵士は答えられない。
答えられるわけも無い。
攘夷のための名目のもと、この国の治安を乱した長州。攘夷のために、殺戮を繰り返した。攘夷は帝のためにと京の民の人心を掌握した。時勢である。この日本史上御所に砲弾を打った者達は長州以外にいない。その長州が、京にて人気を博した。
その時、御所を守った幕府も会津藩も、鳥羽伏見以来、逆賊として追われる立場になった。
長州は、過激な思想から、幕府寄りに立つ公家の首を刎ねては庭に投げ入れ、また、足利家の木造を首から斬り離し、路上に晒すような野蛮な者達。
京の治安を守る。そのために、会津藩はいらぬ負担を被り押しつけられた。
そのように法を乱した者が、法を作り、これまで治安を守ってきた者を逆賊として処罰していくとは皮肉である。
御所に砲を放ち、そのくせ尊王攘夷を掲げる。
彼らに西欧に通じた知恵ある者はいない。
必ず、私を新政府は必要とする。その時に、私が思い描く、蝦夷地を作る。
この兵士の表情から心情を汲み取り、生きのびたい者がいる。榎本武揚は背中を押された気がした。
そして、あの闖入者が、この戦後処理について生きる者達について肩を押した。
兵士は、部屋から出た。
「罪人は向こうだ」
あの闖入者は、生きても死んでも罪人として扱われる。
榎本は、付き人を手招きし呼び寄せる。
誰も聞こえないよう、口を付き人の耳元に近付ける。蛇に巻きつかれ、最後大きく開いた口に飲み込まれる。そんな心境に付き人は思えたのであろう。身体からは冷や汗が溢れ、身体は硬直し、足元が震えてる。そして榎本武揚は耳打ちした。
男は、一本木関門前で戦況を見守る。箱館湾とは反対方向、大森浜の方角を見つめる。津軽海峡を望み、本州が霧かかっているが、見える。
大尽と呼ばれるような豪農の家に生まれ、大抵の物は手に入る。
女も勝手に近寄ってくる。
いつかは武人となり天下に名をあげんと豪語していたが、平凡で退屈な人生であった。
生きる価値とは。
いずれ奉公に出され、名も無き商人として生きていく。
理想と現実に焦燥だけが募っていき、触れると傷つく荊のように乱暴なガキ、バラガキと罵られた青春時代。
奉公に出されては番頭と喧嘩し、また奉公に出されれば、女性問題でトラブルになり実家に帰ってきた。
実家で行商として生きる。
二五歳にして、義兄の勧めもあり、天然理心流を学び、近藤勇と出会った。
ある時、盟友である近藤が、瞼を閉じながら、眉間を寄せ、「京に行く」と当時の仲間に述べた。
将軍上洛のための警護。
そこから、幼いころ思い描いた夢を叶える機会が来た。
自分自身の力を発揮する機会を得た。
思想が違うということで、脅迫を行い、認められないと天誅と名ばかりの暗殺、見るも悲惨な死体損壊、商家に対するゆすりたかり。
京都の地は、治安が悪化していた。
犯罪者を取り締まるために駆け抜けた人生。
上洛した者は会津藩預かりとなり、新選組と名付けられた。
尊皇や攘夷という大義のために殺戮を行う浪士を取り締まってきた。
恨みを買うのは当たり前であった。
不法な浪士を取り締まる者が不法行為を行っていては示しが付かないことから、隊の規則も作った。
時代は流れ、幕府が瓦解し、そこから、多摩以来の同志が一人、また一人と、命の灯を消していく。この北の地まで、闘い漬けだった。その惜別の想いがこみ上げる。そして、この流れに流れ闘った仲間が大森浜で、最後の戦いに挑んでいる者。
空を見上げ、友の顔を思いうかぼうにも、黒煙が広がる箱館の空にかき消される。
走馬灯とは、こういうことなのかもな。
思いながら、箱館山に目を向ける。
一本木関門より2000メートル、箱館山より更の異国橋まで、軍を進めた。
奸軍を押し戻したということだ。
ただその時、数名の兵が、五稜郭側から駆け寄り、「至急、一本木関門まで撤退願いたい。四稜郭突破され、敵軍、五稜郭に向け進軍しているとのこと」
箱館山をにらんだ。
「今一歩か」
京から共にここまで戦ってきた仲間への想い。駆けつけたい気持ちを察してか、馬が駆け出そうとするのを手綱を取る左腕に力を込める。
馬はいななき、走り出す勢いを殺すべく兵の前で逆時計回りに歩く。
「まだ早いよ」
自分に言い聞かせるように、馬へ囁いた。
「よしよし」と男は馬の頭を撫でる。
そして、身近の兵に「兵に一本木関門近くまで撤退するように、敵軍、五稜郭へ進軍していると伝えよ」
と伝達し、踵を返しながら、箱館山を見る。
あまりにも口惜しかったからだ。
そして一本木関門まで近づいた時だった。
先を走っていた撤退を告げにきた者が、急に踵を返しこの男に、銃を向ける。
何発かの銃声が轟く。
その瞬間、腹に手を当てる。手のひらには、血が溢れていた。そして、自然と体勢が崩れる。
裏切り者を粛正してきた者が裏切り者に粛正されるとは、あまりの皮肉さに苦笑しながら落馬する。
役目が終わったのだと。
常に榎本武揚の動向を探っていた。これ以上、戦を長引かせては、無駄な戦死者を出すことを懸念していた榎本武揚。開陽丸が座礁してから、この男の限界を見ることが出来た。
旗艦であった回天丸も、弁天台場付近で、新政府軍の甲鉄による砲撃により走行不能になり、浅瀬に乗り上げさせ片舷からの砲台へと成り下がった。
新政府軍の脅威であった蝦夷共和国の海軍力は、今は無きに等しい。
そして両方向からの挟み撃ち。榎本武揚はなす術はない。だが、これまで培った知見を新政府軍からも買われている。何かしら罪状は突きつけられても、政府内で生かされる。
土方歳三というバラガキが、時代の混迷の中、揉まれ、立場、役割を与えられ、もがきながらもここまで来た。
それは与えられたからこそ、なり得たものである。幕府、会津に育てられた名である。
そのきっかけを作った近藤勇。
武士として切腹させずに、罪人として処理した新政府軍への憤り汚名を少しでも晴らしたかった。
成り行きではあったが、一国を作りあげ、蝦夷共和国に徳川家を迎え入れ、蝦夷地にて新たな徳川の世を築く夢。
その役割も夢は、終わった。
江戸を追放された徳川家も静岡で、多くの旗本を抱え苦しみながら、それでも新たな世を生きていると聞く。
新たな時代に取り残され、闘う意味とはなんなのか。
それはと噛みしめる。
この戦から生きながらえ、薩長から賊として扱われるのは許せなかった。
この国を守ってきた自負がある。
新政府になり、彼らがやった非道は包み隠され、幕府に汚名を着させるであろう。近藤勇がそうであったように。
尊皇だ攘夷だと騒ぐだけではなく、これまで多くの人々を殺害し治安を乱してきた。その治安を収めるため、尽力してきた。新政府それぞれやってきたことを断罪することもせず、盟友が汚名を着させられ罪人として扱われた。
これまで治安を守ってきた者たちが、罪人として処罰されている現状に、憤りを持っている。
彼らが官軍となっても、賊としか思えない。
尊皇だ攘夷だと騒ぎ立て、開国し西欧の軍式に踏み切った幕府を否定してきた。
舌の根が乾かぬうちに、幕府が手に入れた物を用いて今、旧幕府の残党を追いやる。
あの箱館湾に浮かぶ、甲鉄も幕府のものだ。
彼らは気づいたのだ。
このままでは米国、西欧に飲み尽くされると。
武器を米国式にしても西欧式にしても、攘夷は出来ないと。
武器ならず、この蝦夷共和国の人材を含め、旧幕府が育てた人材を雇わなければ新たな時代を作れないと。
世界を知る者が欲しいのだ。そうでなければ世界と対話は出来ない。
幕府の方針は正しかったが、それは認めることは出来ない。
新政府はここから、これまで尊皇だ攘夷だと行ってきた矛盾を抱え、徳川家の世に一方的な汚名を着させ正当化するしかない。
尊皇攘夷と高らかに謳ってきて、思想も信念も、関ヶ原の恨みを晴らすための、ただの倒幕になっただけである。
それでは、長州の者に殺されてきた本来死ななくてもいい人々が浮かばれない。
この国の未来を考え、榎本武揚のように海外へ留学させ、国と国を結び付け、そして、新式の軍艦や兵器を取り入れてきた。
今、薩長がやっていることは幕府の踏襲でしかない。
やろうとしてきた方針も正しかった。
そのもとで、治安を守ってきた人達のことを思う。
これまで長州がやってきたことが官軍になり許され英雄と扱われる。彼らの狂気から市井の者たちを命がけで守ってきた。
その者たちに濡れ衣、汚名を着させ、逆賊として扱う。
闘うことでしか証明することは出来ない。
最後まで勝つために戦い、汚名を晴らしたかった。
北の大地でそれが終わりとなる。
遺体を晒させたくない。だからこそ、榎本武揚に託したのである。
悪くない人生であった、残念だが後悔はない。
仰向けになりながら、榎本の側近が刃を抜き土方の顔を見下ろす。
土方は、「君の独自の判断だね」
と痛みを堪えながら、荒くなる息を抑えて言う。
「榎本さんは、お狂いになられた」
「左様か」
「土方様と、まだ戦い足りぬ者と共に、五稜郭を抜け、北方に向かい官軍と一戦を交える、勝てば更に北へ進み、蝦夷地各地で局地戦を行う。五稜郭での措置は松平様と大鳥様とで行わせると申された」
この側近は、痛みと苦しみに喘ぐように顔を歪める。
どちらが撃たれたのかと土方は笑った。
「この首を榎本さんのもとに運び、現実に引き戻すこと、これが私の」
と一呼吸あけて、「責務です。」と言った。
「貴方には売れないな」
「最後の言葉ですね」
その側近はそう言ったのだろう、ただ土方の耳には一発の銃声にかき消された。
その瞬間、花火が咲いた。真っ赤な花火が。
そして真っ赤な火粉が放物線を描いて降りそそぐ。
その側近は、花火を見上げるかのように視線を空に向ける。
「土方さん」とかけつけるように声が響いた。
土方は安富くんか、安堵を覚える。
人生初めての死。
側近の側にいたものは、崩れ行く者を見て、踵を返し始めている。
武士の世とはなんだったのだろうか、瞼を閉じてそう思う。
そして、これから起こりうる武士の世について、考えをやめた。
もはや、何もできない。
無駄な体力は使いたくない。
「安富くん、この首を」
安富の瞳から溢れるものを見たとき、箱館山を見据え、「すまない」と呟くように、瞼が閉ざされた。
銃声を放った者は、松前藩士、米田何某。
土方を撃ったのは、私だと、親族にのみ伝えた男だ。
あまりにも部下が情けず、銃を奪いとり銃を放った、その一撃の後、1人の男が倒れた。
近くに行くと、首の無い男の遺体が横たわっていた、軍服をめくると、そこには土方と書いてあったとある。
土方の死について、真実はわからない。
たとえ身は、蝦夷の身に朽ちぬとも、魂は東の君守らん。
これがこの男の辞世の句である。
その頃、大森浜。
白砂の砂浜では、二人の男が対峙する。