勇者に喧嘩を売ってしまった
次の話から明るくなっていくよ!……本当だょ?(弁明)
目を開くとそこは、既に俺の知らない場所だった。
連なる大木や黒っぽい色合いの茂みは【ウィザーズ・デスマッチ】の森林エリアに酷似している。しかし風の匂いや足裏の伝える地面の感触が、ここはゲームの中ではないと伝えていた。
「本当に、異世界に来たってのか……」
実感が掴めないが、だからといって呆けてていい場面でもないだろう。
まだ何の情報もない状態でジャングルの中におっぽり出されてしまったのだから、気を抜けばいつ死んでもおかしくない。
少しでも情報を得ようと、辺りを見回す。すると、丁度遠くに人影を見つけた。
「手、離せっ! どっか行け!」
「しぶとい、やつだ。やはり、生け捕りは、危険か?」
聞こえてくる声から察するに、何らかの小競り合いが為されているようだ。気づかれないよう、足音をなるべく立てずにソロソロと近づく。
ようやく状況を確認できるところまで近づくと、俺は木陰の隙間から観察した。
何か情報を得られれば良いな、くらいの軽い気持ちだったが、そこで繰り広げられていたのは予想以上に険悪な状況だった。
高校生くらいの少女が、服も着ていない状態で大男に引きずられている。少女は呻きながら抵抗しているが、男に首根っこを掴まれているため攻撃すら当たらないようだ。
「おいおい、いきなりこれかよ……! もっと安全なところから始めさせろってぇの!」
力で全てが決まる世界に行きたいとは言ったけど、思った以上にヤバい世界すぎる。最初から殺意マックスな世界観と女神に、俺は小声でケチをつけた。
ともかく、ここは逃げの一択だ。情報を得られる可能性と天秤にかけても、ここで彼らと接触するのはリスクが高すぎる。俺は彼女達から目を離そうとして……。
「おい、その手を離せよ!!!」
気が付けば、木陰を飛び出して叫んでいた。
「なんだ、貴様は」
叫びを聞きつけた大男は異様な速度で首の向きを変え、俺を睨みつける。
そこで初めて、彼の顔が黒い糸で縫い尽くされていることに気が付いた。
チンピラどころの騒ぎじゃない。こいつはどう考えても、関わっちゃいけない奴だ。
「貴様は誰だ、と、聞いている」
地の底から響くような重低音で、再びぶつ切りの言葉が放たれる。
だが俺に名乗れるほどの名などない。さっき勢いで異世界転生したばかりの、ゲーマー高校生でしかないのだから。
「あ、お、俺、俺は……」
男に睨まれただけで、体の震えが止まらなくなる。それでも俺はいつにも増して呂律の回らない口で、なんとか答えた。
「俺はただ、その子をから手を放せって……それだけ……」
もっと格好よく言えれば、どんなに良かっただろう。凄まれた後では、震える声で男の顔色をうかがいながら尋ねるのが限界だった。
俺が訴えているのはただ一つ。男が髪を掴んでいる女の子を離してやれという、それだけのことだ。
異世界に来たばかりだという興奮も手伝っていたのだろう。しかし何よりも、男に良いようにやられている女の子に自分の姿を重ねてしまったというのが大きい。なんとしてでも、助けてやりたかった。
「何を、言っている」
しかし男は、俺の言っている意味が分からないとでも言うように眉をひそめた。
「こいつは、魔獣だぞ」
「え……?」
聞き返す暇さえ、与えられなかった。
グッタリと脱力しているように見えた少女は男に隙を見出だしたのか、目にも止まらぬ速さで男の拘束を抜ける。同時に反転し、男の首筋に噛みついた。
「ぐ、グゥゥゥゥ!」
攻撃された男が、呻きながら手に持っていた杖を振った。そこから放たれたのは振動属性lv.5の〈空間振動〉という魔法。【ウィザーズ・デスマッチ】でも最高位の魔法なので、こいつがいかに敵に回してはいけない相手だったのかが分かる。
〈空間振動〉は空気を震わし、至近距離の相手を押し潰す魔法だ。
だから少女は確実にやられてしまうだろうと思ったが、実際に放たれた魔法は、想定を遥かに下回る威力だった。どうやら首に噛みつかれていることだけではなく、少女の技が影響しているらしい。
「分が、悪いか……」
男は魔法での撃退を諦めると杖で少女を振り払い、杖を掲げた。発動したのは領域属性lv.3の、〈指定転移〉という逃げるための魔法だ。
彼は「お前さえいなければ」という恨みがましい目で俺を睨み付けると、脚の方から掻き消えていった。
「…………」
やっと男がいなくなってくれた、という安心感が心を満たす……が。俺の命が危ういのは、まだ変わっていない。男を撃退した少女が、ゆっくりと俺を振り返った。
頭部には狼のようにピンと立った耳が付いており、確かに人間ではなさそうだ。
野性味と可愛らしさが混在した好みの顔だったが、その口からはポタポタと人の血が流れている。裸なのは男に脱がされたからではなく、魔獣だからなのだと今更気がついた。
せめて少女の裸体だけでも目に焼き付けて死のう、と俺が観念すると、少女が口を開いた。
「た、助けてくれて……!」
一言だけ人語を発すると、彼女は何かを思い出そうとするかのように固まった。
何秒そうしていただろうか、思い出すのを諦めたのか、その少女は俺に飛びついてきた。とうとう食べられるのかと思ったが、彼女はただ、俺に抱きついてきただけだった。
「助けてくれて……!」
また、同じ言葉を叫ぶ。
全裸の少女に抱きつかれて意識が飛びそうになるが、背中に回された手の震えで、俺は彼女が何を伝えたいのかやっと気がつくことが出来た。
「もしかして、ありがとうって言いたいの?」
俺が恐る恐る尋ねると、俺に抱きついていた少女は顔を綻ばせ、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! ありがとうだっ!」
嬉しそうに叫びながら、少女は抱き締める力を強める。
何も出来なかったと思っていたが、俺が呼びかけたことで勇者に隙が出来たことを喜んでいるのだろう。
「ギンは、ギンっ!」
「それが名前なのか? 俺は……哮だ」
嬉しそうに抱きついてくる彼女を見ていると、無様でも勇気を出して良かったな、と思えてくるのだった。