おっさんの冒険譚
トンネルのなかは、それはもう、本当に長かった。
基本的には一本道で、迷うことはない。
だが、景色のほとんど変わらない道をひたすらに歩くのは、はっきり言って苦行以外の何物でもない。もともと両国の間にそこそこ距離があったものを、魔物が出くわさないように整備された通路だ。安全ではあるが、反面、非常に退屈である。
見渡してみると、意外と横に広い。馬車が通るぶんには問題ないだろうから、貴族らはそのようにして通行しているのだろう。歩いていくには少々しんどい。
「ふう……ちょっと疲れましたね」
額の汗を拭いながら、ぼそりと呟くアリシア。
ここで文句を言わないあたり、さすがはルイスが相棒と認めた女性である。
「ルイスさんどうします? 《完全回復》しますか?」
「いや。それは肝心のときに取っといてくれよ」
疲労が溜まっていると、ルイスの最強スキル――《無条件勝利》の効果が存分に得られなくなる。それを見越しての提案だろうが、アリシアのスキル《古代魔法》も消耗が激しい。むやみに使うものではないのだ。
ユーラス共和国に出向くにあたっって、この双璧をなす《最強スキル》は絶対に必要となる。相手が強大すぎるがゆえに、こちらの力もそれ相応のものが求められるだろう。
そういえば。
「アリシア。卵の様子はどうだ?」
「あ。ロアちゃんですね……」
トンネルの道中、アリシアはずっと卵を抱えていた。
「うーん、よくわかんないですけど、まだ孵化する気配はないですね。ま、そんなものだと思います」
「そうか……」
もしロアヌ・ヴァニタスが誕生し、ルイスらの味方になってくれれば――非常に頼もしい。
なにしろ前代の魔王なのだ。《無条件勝利》の前では破れてしまったが、その実力は人智を飛び越えている。
だからちょっと期待していたのだが、まだ生まれる気配はないようだ。
まあ、それも仕方ないだろう。卵になる寸前、ロアヌ・ヴァニタスはなんか《疲れた》みたいなことを言っていた。すぐに孵化するつもりもないのかもしれない。
「私としては、まだまだルイスさんとの二人旅を楽しみたいところですから。これでいいんですよ」
そう言いながら、空いたほうの手でルイスの腕を掴む。
「会ってくれてありがとうございます。ルイスさん」
「な、なにを言いやがる。いきなり」
かなり恥ずかしいセリフなんじゃないだろうか。
「いいんです。ずっと言いたかったんですから」
腕を掴む力がさらに強まっていく。
「これからどんなことがあっても、ずっと一緒にいてくださいね。私からの、お願いです……」
「アリシア……」
そう。
これから向かう先は、まったく未知の国である。
ルイスも読書経験のおかげで多少は詳しいが、実際に見にいくのは初めてだ。しかも近年、ユーラス共和国は自国の情報を閉ざしがちな傾向にある。
だからこそ。
なにがあっても、この大切な女性だけは、絶対に手放してはならない。
かつてギルドで馬鹿にされていたときでも、アリシアだけはルイスを慕ってくれていた。そのときのように……
「ああ。アリシア。なにがあっても二人一緒だ。頑張ろうな」
「はい……!」
嬉しそうに頷くアリシアだった。
★
やがて出口が見えてきた。
入口と同様の、無機質な鉄の扉。
「……たしかここで、石をかざすんだっけか」
ルイスは懐をまさぐり、立方体の石を取り出した。
入口を見張っていた兵士からもらった物で、ほのかに赤く輝いている。ルイスは魔術師ではないものの、それでもわずかな魔力の胎動が感じられる。
――が。
いくら石を掲げてみても、しーんと虚しい空気が流れるばかりで、なにも起きない。
「……あれ?」
首をかしげるアリシア。
ルイスも同じく首を傾けた。
おかしい。あの兵士らによれば、出口付近でこの石を掲げれば、自動的に扉が開錠されるはずなのに。
と。
「うおっ!」
「わわっ!」
二人して大きな声をあげてしまう。
突如として、石から強烈な光が発せられたためだ。サクセンドリア帝国を象徴する紅の煌めきが、数秒間だけトンネル内を強く照らし出す。
そしてその光が収縮すると、ゴゴゴゴ……と重い音を響かせながら、門扉が左右に開けていく。
と同時に、ルイスの手に乗っていた石もバラバラに砕け散った。扉の解放に使えるのは一回きりで、使用後はただの屑になる――門番が言っていた通りである。
不審者を通さないための仕様だろうが、なかなかすさまじい徹底ぶりだ。
「……あはは。ほんと、いきなりびっくりしましたよ。これが冒険ってやつですね」
「そうだな。けど、こんくらいで驚いてちゃ、この先やってけないぜ?」
なにしろまだユーラス共和国に入ってもいないのだ。
ルイスの発言に、アリシアがぶぅぶぅと唇を尖らせる。
「いいじゃないですか。私はいたいけな美少女なんですから」
「……よく言うぜまったく」
二十歳で少女と言えるかは甚だ疑問だが、美しいことは事実である。そんな彼女がいまでは俺の恋人で――などとくだらない思考を中断し、ルイスはすっと表情を引き締めた。
「さて。行くぞ。ここから先はもう、別の国だ」
「はい。……行きましょう」
互いに頷きあうと、二人同時に異国の地に足を踏み入れた。
「ぬ……」
初め、門扉の左右に立っていた兵士に視線を向けられた。
入口と同様、こちら側にもユーラス共和国の兵士が警備しているわけだ。
ルイスは澄まし顔で、皇帝ソロモア・エル・アウセレーゼ直筆の許可証を掲げた。
「ルイス・アルゼイド。侵入者ではない。皇帝ソロモアにより入国の許可は得ている。そちらにも通達はいっているだろう?」
「ルイス……。ほほう、貴様がか……」
そう言って不敵に笑う。
――この嫌な感じ。
かつての冒険者ギルドを思い出す。
「ふん、どんな人物が来るのかと思えば……ずいぶんと歳を喰ったおっさんだな」




