おっさん、おっさんと会う
――サクセンドリア王城。
帝国のすべてを司るこの場所は、さすがの威容を誇っていた。建築から三千年経った現在でも、まるで衰えを見せない。
外壁のほぼすべてが紅色に染まっており、無数に存在する窓や扉はすべて漆黒に濡れている。皇帝の住まう天辺部分は尖塔のような形状になっていて、これもまたすさまじい威圧感だ。
正面入口の門扉は固く閉ざされ、その左右を正規軍の兵士が見張っている。先日の帝都襲撃では魔獣に破壊されてしまったものの、あれを突破するのは通常困難だろう。
立て続けのテロ行為に警戒してか、巡回している兵士もだいぶ増えている。まあこれは無理もあるまい。
あんぐりと城を見上げるアリシアが、ぽつりと言った。
「……ルイスさん、ひとつだけ言ってもいいですか」
「なんだ」
「緊張してきました。それはもう、こーんなに」
ご親切にも両手を大きく広げて自身の心理的状況を伝えてくる。
だが、さすがのルイスもそれを笑う余裕はなかった。
「奇遇だな。俺もちょっとだけ緊張してるよ」
「え。ルイスさんが緊張するんですか」
「おまえは俺をなんだと思っとるんだ……」
皇帝ソロモア・エル・アウセレーゼ。
ルイスと同じく四十歳だが、風格はあちらのほうが断然上だ。……しがないおっさんと皇帝だから、比べるべくもないが。
まず、皇帝ソロモアは非常に頭がいい。
先代皇帝の急な逝去により、ソロモアは二十歳という若さで皇帝の座についた。そのことに多くの国民が不安を抱いたが、特になんの問題もなく今日まで帝都を平和――とは言い難い部分もあったが――に導いてきた。各地の貴族をうまく取りまとめているとも聞く。
いくらルイスが四十のおっさんといえど、それほどの大物が相手だと、さすがに冷静ではいられない。
なにせ皇帝だ。
この国で一番偉い人である。
「……よし」
ルイスはひとり決意を固めると、王城へ向けて一歩を踏み出した。
「あ……!」
慌ててアリシアが腕を掴んでくる。さっきまで軽口を叩いていた彼女だが、やはり怖いものは怖いらしい。身体が小刻みに震えている。
――俺がしっかりしなくてどうする。
ルイスは迷いを脳裏から追い出し、三千年の威容を誇る王城へと歩み続けた。
しばらく進むと、門扉の両脇に立つ門番に声をかけられる。銀の兜なんかを被っており、なかなかの重装備だ。
ルイスは自身の名前を告げるとともに、皇帝から届いた手紙を差し出した。
「あ、あなたが……!」
「帝都を救った英雄様ですね……!」
英雄。
すっかりそんな話になってるのか。
ルイスは舌打ちをかますと、ぼりぼりと背中を掻いた。
あんまりチヤホヤされると身体が痒くなる。誉め称えられることにまだ慣れていないのだ。
「やめてくれ。そう呼ばれると背中が――」
「そうですよ! ルイスさんは、あの古代魔獣をたった一撃で――」
ぺしっ。
なぜかアリシアが誇らしげに語り始めたので、額にチョップをかましてやった。
「いたっ! な、なんで叩くんですか!」
「おとなしくしてろ。やかましい」
「ぶーぶー」
なおも不満そうに口を尖らせるアリシアを放っておいて、ルイスは門番に視線を戻した。
「そういうわけだ。皇帝陛下の御前まで案内してくれないかね」
「はっ! 英雄たるルイス様のご案内、光栄であります!」
「だからその呼び方はやめろって……」
またも盛大にため息をつくルイスであった。
絢爛豪華。
王城の内部を一言で表現するならば、そんな言葉が適切だろう。
「わあああああ…………!」
アリシアが目を輝かせて、視線を左右へ巡らせる。完全に言葉を失っているようだ。
だが、ルイスとてその気持ちがわからないでもない。彼自身、あまりにも豪勢なインテリアに言葉も出なかった。
外観と同様、内装も紅を基調に作られていた。
床には薔薇色の絨毯が敷き詰められ、所々に紋様のような刺繍が施されている。埃ひとつ落ちておらず、ルイスのような平民には、恐れ多くて踏むのさえためらわれる。
視線をやや上にずらす。
そこかしこで、使用人と思われる男女が行き交っているのが見えた。実に優雅な動作だ。おそらく、一挙手一投足に至るまで、厳しく指導されているのだろう。
壁面に掛けられている絵画や、天井のシャンデリアもまた、圧巻の絢爛っぷりである。
「なんだか……異世界へ来たみたいですね……」
「ああ……まったくだ……」
二人して田舎くさい感想をこぼす。ルイスも帝都出身のはずだが、すっかり田舎者の感性に染まってしまったようだ。
「さあ。陛下の御前へご案内致します。こちらへ」
さきほどの兵士がうやうやしく頭を下げ、先を歩いていく。
「…………」
王城の門番を勤めていたくらいだから、あの兵士もかなりの実力者なはずだ。実際にも、無駄のない振る舞いでルイスたちを先導していく。
それほどの兵士に、畏まって頭を下げられている――そのことに不思議な感覚を抱きながら、ルイスは言われるままに後をついていった。
……それにしても、すれ違う兵士や使用人たちの態度がどうにもおかしい。こちらを見るなり、そそくさと道を開けるのだ。まあ、歩きやすいからいいのだが。
数分後。
いくつもの通路と扉を抜けた先に、これまた華美な大扉に行き着いた。
これまでの扉と違い、全体が白銀に染まっている。縁には金のラインが施されている。
一段と派手なこの装飾。
なにがなんでもこの先の場所を連想させる。
「ここが……陛下の……」
知らず知らずのうちに、ルイスはそう呟いていた。
「お察しの通りです。扉を開ければソロモア陛下との謁見になりますが……よろしいでしょうか?」
ごくり。
アリシアの唾を飲む音が聞こえた。
ルイスとアリシアは無言で目を合わせると、こくりと頷いた。
兵士は小さく頷くと、大扉に手をあわせ。
ガチャリ――と、呆気ない音とともに、部屋の内部をさらけだした。室内から飛び込んでくる大量の光に、ルイスは思わず目を細める。
「ん?」
そして思わず変な声をあげてしまった。
部屋のなかには――誰もいなかった。
まっすぐ伸びる絨毯の先に、大きな玉座がある。あそこにソロモア皇帝が座っているはず……と思っていたのだが、どこをどう探しても、誰もいない。
「あれ……?」
アリシアも素っ頓狂な声をあげた。
「なんで……? 時間を間違えたのかな?」
「い、いや……合ってるはずだが……」
すると。
「ふふふふ……」
案内役の兵士が、ふいに愉快そうに肩を震わせる。
「あっはっはっは! こりゃ傑作! 作戦、だいせーこうっ!」
「「え……!?」」
兵士の変貌っぷりに、二人して目を見開く。
――ちょっと待て。
この声。まさか……!
兵士は銀の兜を外し、にかっと爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「初めまして。悪戯をして悪かったね。私こそが九十八代目サクセンドリア皇帝……ソロモア・エル・アウセレーゼさ。以後、よろしく頼むよ!」
「ええええええっ!?」
ルイスとアリシアは、それはもう、目を剥かんばかりに驚いた。
「皇帝陛下!? あなたが!?」
「はははは、なんか退屈だったからさ。ちょっとした出来心だよ。騙してごめんよ?」
……いや、軽いな。
皇帝といえば有無を言わさぬ圧力を持っているものと思っていたが……目の前にいるこの男は、なんだかどこにでもいる酔っぱらいだ。
「あ、もう、お父様!?」
ふいに、今度は聞き覚えのある女の声が響きわたった。と同時に、室内からやはり見覚えのある女性――皇女プリミラが姿を現した。
「な、なにをしてらっしゃるんですか!? まさかまた遊んでたんじゃ……」
「いやいや。見てわかるだろう? 英雄ルイスくんと親睦を深めておったのだよ」
「いやいや、思いっきり遊んでたでしょうが……」
ルイスが軽く突っ込むと、ソロモアがひいっと身を竦ませた。
「ちょっとルイスくん!? そこチクっちゃ駄目でしょ!?」
「お父様? 後でお話がありますので、覚悟しておいてくださいね?」
あくまでにっこり笑う皇女に、皇帝はまたも肩を震わせるのだった。




