おっさん、ピクニックへ行く
優しげな温風が、ルイスの頬をふわりと撫でていく。
空から降り注ぐ陽光がとても心地よい。
たまに鼻孔に届く草の香りもまた、こちらのリラックスを誘ってくる。
まだピクニックに来たばかりだというのに、もう寝てしまいそうだ。
「ふあーぁ……」
欠伸をしながら周囲を見渡すと、芝生が果てしなく広がっているのが見える。所々で子どもがボール遊びをしていたり、カップルがイチャイチャしたりしている。まさにピクニックにはうってつけの場所といえた。
――レムルス公園。
リッド村からほど近いこの場所は、デートスポットとして有名だ。
数日前までは魔獣の大量発生により立ち入れなかったが、いまは当然そんなことはない。神聖共和国党を撃退したことにより、嘘のように平和な光景が広がっている。
「あー、幸せですねぇ……」
アリシアも気持ちよさそうに背伸びすると、《古代魔法》を使用し、なにもない空間から弁当を出現させた。
「さ、食べましょ。魔法のおかげで出来立てホヤホヤの状態ですよ」
アリシアの特殊スキル《古代魔法》は、任意のタイミングで物体を異次元に収納・出現させることもできるらしい。しかも収納されている間は時間の概念がないようで、食べ物などは鮮度が落ちないままだという。
まさにチート。
ぶっ壊れ性能である。
ルイスの《無条件勝利》とは違い、日常生活に運用できる点も素晴らしい。
ルイスは苦笑いを浮かべると、どっこらしょと腰を下ろした。
「悪いな。俺が寝てる間に作ってくれたんだろ?」
「いいんですよ。ルイスさんのためならなんだって……あっ」
途中から自分が恥ずかしいことを言っていると気づいたのだろう、急に口をもごもごさせる。
「と、とにかく食べましょう! 多めに作ったんですから、全部食べてくださいよ!」
「はいはい」
そう言って肩を竦めるルイス。
「それとアリシア。例の卵も忘れないでくれよ」
「あ、そうでしたね。ロアちゃんがいました」
アリシアは思い出したように目を見開くと、収納魔法を使用し、同じ要領で卵を出現させた。
数日前、ロアヌ・ヴァニタスとの戦闘によって得た巨大な卵である。
繊細な物なので、外出する際にはアリシアの収納魔法で別空間に保存してある。なにしろ魔王の卵なのだ。ずっと監視していないと、なにが起きるかわからない。
また収納魔法は生物の保存には便利だが、卵の保管においてはその限りではない。時間概念のない空間に置いていては、永遠に孵化しない可能性が考えられるからだ。
だからこうして、安全なときに卵を出現させる――それが、前代魔王ロアヌ・ヴァニタスの孵化計画であった。
「相変わらず禍々しい卵だなぁ、そいつは」
例によって、ロアの卵からは漆黒の波動が発せられている。まだ生まれてもいないのにすごい圧力だ。さすがは魔王といったところか。
その卵が、ちょっと不満そうにビクンビクンと震える。
「……ルイスさん、なんかロアちゃん怒ってませんか?」
「む。そうなのか?」
禍々しい、と言ってしまったからか。
ルイスは試しに、アリシアに抱えられたままの卵を撫でてみた。
「悪かったな。いまのはなんつぅか、言葉のアヤだ」
「…………」
すると、ビクビク震えていた卵が急に静まり返る。
「あはは。許してくれたみたいですね」
「ほんとに俺たちの言葉が聞こえてるんだな……」
ていうか、禍々しいと言っただけで怒る魔王とはいったい。
皆から恐れられる存在とはいっても、案外繊細なのかもしれないな。
「さ。ご飯にしましょ。ロアちゃんはまだ食事できないから我慢しててねー」
「…………!」
返事のつもりか、卵がすこしだけ飛び跳ねる。
弁当の中身は色彩豊かな料理で溢れていた。
野菜炒めに魚の塩焼き、やや辛みを帯びた鳥の唐揚げ……普段食べているフレミアの手料理とも引けを取らない。ルイスはしばし夢中になってそれらを胃に送り込んだあと、素直な感想を言ってみせた。
「うめえな。アリシア、すげぇうめぇ」
我ながら語彙の少なさに呆れるが、感動のあまりそれしか言えなかった。
当のアリシアは嬉しそうにえへへと笑う。
「そうですか……? むかし、お母さんと一生懸命練習したんですよ」
「いやいや、すげぇうまいぞ。将来、絶対いい嫁さんになれる」
「よ、嫁さんだなんてそんなっ」
ひとり頬を赤らめるアリシア。
――ぴょこ、ぴょこ、と。
なにを思ったか、卵がひとりでに跳ね出した。どうやら弁当の中身に反応しているようだ。
「え? ロアちゃんも食べたい――のかな?」
ぴょこぴょこ!
「んー、でも卵ですしねぇ……」
アリシアは数秒だけ迷ったような視線をルイスに向けると、卵の厚焼きを手に取り、卵に差し出してみせた。
――おい、そのチョイスはないんじゃないか。
と突っ込む間もなく、卵の厚焼きがぼとんと地面に落ちる。
もしかして卵でも食事ができるのか――と一瞬でも思ってしまったが、残念ながらそううまい話はないようだ。
ロアの卵が、残念そうにしゅんと縮こまる。
「げ、元気だして、ロアちゃん」
アリシアが優しく卵を撫でる。
「早く生まれて、私たちと一緒においしいご飯食べよ? 魔獣の世界はどうか知らないけど……人間の世界には、おいしい食べ物いっぱいあるから」
「…………!」
ぴょこんと跳ねる卵。
本当にたいした魔王だ。生まれる前から人間と意思疎通を図るなんて。
ルイスは苦笑を浮かべながら、ふうと一息ついた。
再び、穏やかな風がふんわりと過ぎ去っていく。
耳を澄ませば、ボール遊びに興じる子どもの声が聞こえる。
久々に訪れた、平和な光景。
神聖共和国党を始末したことで、帝国はいったんの静けさを取り戻した。
願わくは、この幸せなひとときが、いつまでも続いてほしい……
そう思わずにはいられないが、しかし現実はそうもいかない。
今回の帝都襲撃を受けて、さすがに帝国も黙っていられなくなったはずだ。近々、ユーラス共和国に向けて、皇族がなにかしらのアクションを取るだろう。
きっと、いままで危うく均衡を保たれていた両国の関係に、なんらかの変化が訪れる。
現在は《仮初めの平和》とでも言おうか。すべての事案が落着したわけではない。
だが、いまこの瞬間だけは、束の間の平穏を享受しても構わないだろう……
そんなことを思いながら、ルイスが再び欠伸をかました、その瞬間。
「あの、すみません」
ふいに声をかけられた。
――ん?
目を向けると、そこには冒険者風の男が立っていた。全身をレザーコートに包み、腰に剣を掛けているさまはいかにも剣士だ。歳はかなり若く、十代後半といったところか。
新米冒険者……ルイスの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
「あ、あのぅ……ルイス・アルゼイドさんですよね? 先日の帝都襲撃で戦っておられた……」
「あ、ああ……。そうだが……」
なんか嫌な予感がする。
「すみません。ぼ、僕、新人の冒険者なんですが……いまいち自信が持てなくて。剣の稽古をつけてくださいませんか?」




