おっさん、感謝されすぎて逃げたくなる
いつの間にか、暖かな温風が帝都に舞い降りてきていた。
ロアヌ・ヴァニタスを倒したことで、不吉な空の色も消え去っている。
いつも通りの――いや、いつも以上に綺麗な満天の星空だ。心なしか、あちこちで煌めく星々が、ルイスたちを祝福しているかのように見えた。
――終わった……
卵を落とさぬように細心の注意を払いつつ、ルイスはその場にどすんと座り込んだ。本来は地べたに座るなぞ言語道断だが、現在においてはその限りではあるまい。せめていまくらいはゆっくり身体を休めたい。
「はぁ……」
アリシアも同じ気持ちだったのだろう、同じくその場に腰を下ろす。ややあって、とすん、という音とともに、ルイスの肩に頭を乗せてきた。
「終わりましたね……やっと……」
「ああ……。まだまだ、謎は残ってるけどな……」
そうして二人で会話を交わしていると――
「ルイスさん! アリシアさん!」
ふいに、大勢の人々がこちらに駆け寄ってきた。
激闘の最中、ルイスらを応援してくれた住民たちだ。かつての馬鹿にしたような態度が嘘のように、柔らかな目で見つめてくる。
「すごいです! お二人が、こんなに強かったなんて!」
「僕も誤解してました……。街を救ってくれて、ありがとうございます……!」
そう言って深く頭を下げてくる。
「…………」
思わずルイスは苦笑してしまう。
助けてみたらこの体たらくである。現金な話だと言えばそれまでだ。
だが――
ルイスの心にはすこしも怒りが浮かんでいなかった。
負の感情に囚われても良いことなんかない。
それはいままでの半生でよくわかっていたから。
頭ごなしに怒鳴られ、なにもかもを否定される者の気持ちが痛いほどにわかるから。
「……ああ。みんなが無事で安心したよ」
ルイスは後頭部をかきながらそう言った。
もちろん、彼らを心から許すことはまだできそうもない。そこまで聖人にはなれない。
だとしても――相手を拒否するのではなく、こちらから心を開くことが大事だと思う。カーフェイ家の者がそうであったように。
「お、おれ、自分が情けないよ」
ひとりの男がそう言った。たしか道中で助けた、元冒険者だ。
「ルイスさん……あんたのこと、前まで散々馬鹿にしてきたのに……。あんたはおれを助けてくれた。思い出したんだよ……。ああ、これが本当の冒険者の姿なんだなって……」
「…………」
「こんなことで許してもらえるとは思わないが……過去のおれの発言は、すべて取り消しさせてほしい。本当に申し訳なかった……」
「あ、えっと、だな……」
なんだかむず痒くなってきた。
大勢の人々にここまで感謝されるというシチュエーションは、当然のごとく一度も経験していない。
人々から蔑まれるのが当たり前――そんな人生だったから。
「やめてくれ。これ以上感謝されても、背中が痒くなりそうだ」
「だ、だが……これだけじゃ、俺の気が……」
「いいっての。そんなに気になるなら、後でメシのひとつでも奢れ」
「お、おう……」
だがその数秒後、ルイスは知ることになる。
さらなる難関が、自身に降りかかることを。
「あ、やっぱりここだ!」
「ルイス! 探してたぞ!」
戦場で袂を分かった現役冒険者たちだ。みんなルイスたちを探していたようである。
見れば、集団のなかにはライアンやバハートもいる。どうやら無事に戦いを終えたようだ。それ事態は吉報なのだが――
みんな、ルイスとアリシアを発見するなり、ドカドカとこちらに走ってくる。
「おい、アリシア」
「なんです?」
「逃げようぜ。また背中が痒くなりそうだ」
「逃げるって、そんな体力、残ってないじゃないですか」
「くっ……! ならば《無条件勝利》で……!」
「ふふふ。たまには素直に感謝されてくださいよ。それだけのことはしたんですし」
……簡単に言ってくれる。
けっこう恥ずかしいんだぞ、これ。
「ルイスさん!」
「どうも先日は!」
「申し訳ございませんでした!」
案の定、冒険者たちはルイスたちを囲い込むや、いっせいに頭を下げてきた。
……いや、うん。
たしかに死ぬほど辛い目に遭わされてきたのは事実だけども、こう一気に来られるとちょっと……
なんか吐き気がしてきた。
「どうだ、ルイス」
ギルドマスターのライアンが、一歩前に出て言う。
「あんたはすげぇ功績を残してくれた。どうだ、Sランクの冒険者として活躍してみるってのは」
「……いや、いいっての。俺はもう冒険者に戻る気はない」
「そうか……。それは残念……」
「でも、そしたらこれからどうするんですか?」
アリシアがルイスの手を握りながら言う。
「私はずっとルイスさんに家にいてもらってもいいですけど……。でも、前に言ってましたよね? 《次の道を見つけるまで》って……」
「ああ。それなんだがな」
こほんと咳払いをして、ルイスは一同に言った。
「プレミラ皇女に掛け合って、ユーラス共和国に行ってみようと思う。危険だとは思うが、表向きは友好的な関係を築いているからな」
しん、と一同が静まり返った。
数秒後、最初に口を開いたのはバハートだった。
「ユーラス共和国……。一連の事件の裏を見るってことか」
「そうだな……。少なくとも、連中がなにか企んでることは間違いない」
「し、しかしな、ルイス……さん」
バハートが気遣わしげな瞳を向けてくる。
「あいつら、俺ら帝国人への差別がすげぇぞ? 皇女様に頼めば入国はできるだろうが……あんた、また……」
「ああ。そうだな……」
帝国人への偏見が強い――
神聖共和国党の者どもを見れば、それは明らかだろう。表向きは友好的な関係であっても、根深い部分では帝国への反感が高いことは想像に難くない。
言われるまでもなく、向こうでも迫害されることになるだろう。昔と同じように。
黙り込む一同へ、アリシアが苦笑しながら言った。
「それでも行くのがルイスさんですから……。このままなにもしないなんて、私も嫌ですし」
「はぁ……。あんたらにゃもう、適わねぇな……」
バハートも小さく笑って肩を竦めた。




