決戦
「…………」
ルイスはそっと、サクヤを地面に横たえた。ずっと最前線で戦ってきたのだろう。彼女は固く目を閉じたまま、動こうともしない。
ルイスは周囲を見渡し、近くで剣を振り回している兵士に声をかけた。
「なあ、ひとつ頼みがあるんだが」
「え?」
「彼女を――サクヤさんをどこか安全なところに連れてってくれないか。この場は俺に任せてほしい」
「な、なんだと……!?」
兵士は骸骨剣士と剣の応酬を繰り広げながら、息も絶え絶えに言う。
「馬鹿をいうな! 我々がいなくなったら王城は誰が守るのだ! このままでは、我が帝都は……!」
――ま、そうだよな。
ご最もな意見だ。
現在、敵の魔手は確実に王城に近寄りつつある。この状況で兵士を撤退させるなど、愚の骨頂だ。
でも。
「がああああああっ!」
「ぎゃああああっ!」
兵士らの悲鳴がルイスの耳朶を打つ。そちらに目を向ければ、兵士たちが一人、また一人と倒れているのが確認できる。
無尽蔵に溢れ出る魔獣らに、ついに体力も底を尽きてきたようだ。しかも敵のランクも相当に高い。このままでは、多くの兵士までが犠牲になる。
はっきり言ってしまえば、まるで勝ち目がない。このまま意地で戦線に残ったところで、大事な命を落としてしまうのがオチだ。
「やあ。ルイス。久々じゃアないか」
「…………」
馴れ馴れしく話しかけてくるヒュースを無視し、ルイスはふうと深呼吸をすると、スキルを解放した。
――《無条件勝利》発動。
心眼一刀流、一の型、極・疾風。
「おおおおおおっ!」
掛け声とともに、ルイスは地を蹴った。
これでもかとばかりに強化された《敏捷度》にものを言わせ、ルイスは近くにいた魔獣から次々と剣を浴びせていく。
「…………!?」
そして兵士が大きく目を見開いたときには、すでにすべての魔獣が事切れていた。もちろん、根元たる神聖共和国党の連中も一緒に始末してある。
だが――
「ひゅー、危なっかしいことをしてくれるなぁ、まったく」
ただひとり、ヒュースだけは一筋縄ではいかなかったようだ。ぎりぎりで《転移術》を用いたのか、自分だけすこし離れた位置に立っている。
「転移術、か……」
それほど高ランクの魔法を使いこなすということは、奴の魔力は確かなのだろう。いままでの敵とは多少なりとも格が違う――ということか。
「かっかっか。《無条件勝利》ねぇ……たしかに強大な力を感じるよ。ゾンネーガ・アッフごときじゃ勝てないわけだ」
「……は、はははは。なに余裕かましてやがる!!」
そう叫んだのは先ほどの兵士だった。さっき離れてろと言ったはずだが、戦況がひっくり返ったことに鼻を高くしている。
「なにが起きたのかよくわかんなかったが……とりあえず、これで敵はてめぇひとりだ! 大人しく投降するんだな!」
「ほう……? 投降だと……? この私がか……?」
かっかっか……
あくまでも不気味な笑みを絶やさないヒュースに、ルイスは本能で危険を察知した。これも《無条件勝利》の能力だろうか。知らず知らずのうちに怒声を発していた。
「おい! 離れてろ! なにが起きるかわかんねえぞ!」
「なーに言ってるのさ。いくらあいつが強くたって、どうせひとりじゃ――」
瞬間、ヒュース・ブラクネスは大きく両手を広げた。この状況だというのに、なぜだか勝ち誇った笑みを浮かべている。
「教えてやろう。なぜ今日まで帝都襲撃を控えていたか……。それはな、コイツのためなのだよ!」
「…………!!」
やはり奴は優秀な魔術師だった。
ルイスが止める間もなく、またしても強大な魔獣が姿を現す。
いや。
ヒュースが《とっておき》と称するそいつは、魔獣の次元をはるかに超えた存在だった。
「え……う、うそだろ……?」
兵士も態度を一転させ、顔を青くさせる。
――漆黒の影。
そいつを一言でいうならば……そんな言葉が適切だろう。
ブラッドネス・ドラゴンなどとは違い、大きさはそれほどでもない。ルイスたちと同じくらいの背丈で、限りなく人に近い姿をしている。藍色のマントを身につけ、片手には血に塗れた剣が握られている。頭には紅の王冠が輝いており、これもまたすさまじい風格を放っていた。
「ちっ……マジかよ」
ルイスも思わずひとりごちてしまう。
これまでの魔獣と違い、古い文献の内容を思い出すまでもない。目の前に現れたこいつは、ルイスでなくとも、誰でも知っている強敵だった。
すなわち、勇者エルガーとの激戦の末に討ち取られた前代魔王――ロアヌ・ヴァニタス。
「…………!!」
短い呼吸とともに、ロアヌ・ヴァニタスは右手を前方に突き出した。
突如――
ロアヌ・ヴァニタスを起点として、見るも禍々しい漆黒の光柱が、天高く空を貫いていった。
ドシュン!
光柱は周囲にあった雲を消失させ、そして、空を――血の色に染め上げていく。
空を飛んでいた鳥たちが、命を奪われたかのように落下してくるのを、ルイスは呆然としながら眺めていた。
★
――前代魔王の出現。
その事実は、帝都の住民を一気に恐慌に陥れた。
赤色に染まる空。
不気味に立ち上る漆黒の光柱。
散っていく鳥たち。
それらの現象は、ロアヌ・ヴァニタスの引き起こす災害として、根強く人々の記憶に植え付けられていた。
だからすべての人々が理解したのだ。
存在してはならないモノが現れた。
このまま帝都に残っていれば、確実に殺されると。
いままで避難していた住民も、我を忘れたかのように逃げまどう。
神聖共和国党の連中も、呆気に取られたかのように漆黒の光柱に見入っていた。
「お、おいおい、なんだァありゃあ!」
レスト・ネスレイアが剣を振り回しながら、驚きの声を発する。
「前代魔王、ロアヌ・ヴァニタス……。まさかヒュースの奴、禁断の生き物を召還しおったか……!」
アルトリアも苦々しい顔で呟く。
方角的に、ルイスのいる場所だ。このままでは彼が危ないが、さりとてこちらも自分の戦闘で手一杯である。
「ルイス……絶対に生きて帰ってきておくれ……! 忘れるな、ワシらは家族じゃぞ……!」
★
一方でアリシア・カーフェイも、口をぽかんと開けて光柱を見上げていた。
「うそ……な、なにあれ……」
「ロアヌ・ヴァニタス……。まさか前代魔王をも蘇らせるとはな……」
フレミアも驚きを隠せないようすで空に見入っている。
「……お母さん。あそこ、ルイスさんが向かった方向だよね」
「…………」
フレミアは数秒だけ黙りこくると、ばしんとアリシアの肩を叩いた。
「ここは私が受け持つ。我が娘よ。大事な人を守ってきなさい。母からの命令だ」
「お母さん……。でも、この敵の数じゃ……」
「私はおまえの母親だぞ? 可愛い我が娘のためならば、多少の辛苦などあってないようなもの。さあ行け!! アリシア!!」
アリシアははっと目を見開くと、力強く頷き、王城へと全力で駆けだした。
★
「かっかっか! 見たか! これが私の切り札! ロアヌ・ヴァニタスだ!!」
ヒュース・ブラクネスの笑い声が甲高く響きわたる。ひどく耳障りな音だったが、しかしルイスもさすがにそれを指摘している余裕はなかった。
「あ……ああ、逃げないと……」
すっかり怯えきった兵士がこっそり逃げだそうとする。ルイスはしっかり頷きかけ、決然と言い放った。
「それでいい。サクヤさんを――よろしく頼んだぞ」
「で、でも、あんたは、どうするんだ……?」
「俺は残る。これでも実は勇者を目指していたんでな」
冗談めかしてそう言うと、ひとり、敢然とロアヌ・ヴァニタスと向き直った。




