おっさん、覚悟を決める
――暇だ。
ルイス・アルゼイドはふわわぁっと間抜けな欠伸をしつつ、両手をぐんと伸ばした。
カーフェイ家の自室。
そこのベッドに腰かけ、ルイスはなにもしない時間を満喫していた。
――昼下がり。
現在、アルトリアやフレミアが、宴のために外でせっせと働いてくれている。ルイスも居候の身だし、なにか手伝おうと思ったのだが、それはアルトリアに盛大に拒否された。
いわく、おぬしらは今回の主役じゃからの――ということらしい。
よくわからなかったが、そこまで頑なに拒まれては仕方がない。
ルイスはご好意に甘えることにして、ひとりの時間をじっくりと味わうことにした。
ちなみに、アルトリアは今日の依頼をすべてやり終えたらしい。本当に仕事の早いじいさんである。
人の暖かなぬくもりに触れるのもいいが、こうして、ひとりでのんびりするのも悪くないな。
そんなことを思いながら、再び大きな欠伸をかまそうとした瞬間――
「ちょっとお時間いいですか?」
「どわっ!」
いきなりアリシアが部屋に《転移》してきて、ルイスは思わず変な声を出した。
「ば、馬鹿おまえっ。すこしは人のプライバシーを考えろ」
「ごめんなさい。ほんと古代魔法が嬉しくて……」
ぺろりと下を出すアリシアに、ルイスは憎しみを込めて言った。
「て、てめえ反省してねえな……」
「あらバレましたか。あはは」
「あははじゃねえよ……」
ちなみに、転移術は《対象の人数》によって、消費する魔力量が変動するらしい。自分ひとりを転移させるだけならそれほど疲労しないようで、だからワープし放題というわけだ。
……本当にタチが悪い。
「で、なんの用だよ。宴は夜って言ってたぞ」
「いえ、特にはなにも」
そしていまさら気恥ずかしさを覚えたのか、やや頬を染めながら小声で言う。
「まあ……強いて言うならルイスさんとお話ししたくなったというか……その、えっと……」
「そうかい……」
今度から普通にノックしてこいよ、と釘を刺してから、ルイスは自分の隣を手差しした。アリシアはこくりと頷き、同じくベッドに腰かける。
いま、カーフェイ家には誰もいない。アルトリアとフレミアはもちろん、リュウを始めとする子どもたちも遊びに出ている。そのためか、家のなかは真っ昼間にも関わらず非常に静かだった。
――アリシアと密室で二人きり。
それを思うとやや緊張するが、もうルイスは若くない。取り乱すでもなく、冷静にアリシアの横顔を見やる。
ルイスとは対照的に、彼女は恥ずかしさが明らかに顔に出ていた。どういうわけだか、ずっとこちらを見ようともしない。
「…………」
ルイスは内心でふうと息をついた。
この歳まで生きてきたわけだし、女性の気持ちにまったく気づけないほどボンクラじゃない。特にギュスペンス・ドンナとの戦闘後、アリシアからの視線が以前より熱くなっていることは、さすがにルイスも感づいていた。
だからなんとなく想像できる。
彼女が、いったいどれほど勇気を振り絞ってここに来たのか――ということくらいは。
「明日から……神聖共和国党との戦いですね」
口火を切ったのはアリシアだった。相も変わらず、こちらとは目も合わせようとしないが。
ルイスは後頭部の後ろで両手を組み、
「そうだな」
と言った。
「太古の魔獣をあれだけ召還させるくらいだ。そこそこ腕の立つ連中なんだろう。いくら俺たちがすげえスキルを習得したといっても……油断できる相手じゃねえ」
「はい。わかってます」
ぽつりと呟いてから、アリシアは自身の膝を抱える。
「本音を言うと、ちょっと怖いです。相手は本気で私たちを憎んでいるようですから」
「そうか……まあ、そうだよな」
いつも陽気なアリシアだが、まだまだ若い、小さな女の子でしかない。
未知の敵に対して恐怖を覚えるのは、ごく自然なことだろう。
「ですから私、覚悟を決めたいんです」
「……覚悟?」
「どんなに辛いことがあっても、えっと、支え合える人がいたら乗り越えられると思うんです。ですから、その、ええっと……」
「アリシア……」
ルイスは思い出す。
過酷な環境にもめげず、腐ることなく、自分を高め続けてきたアリシアを。
いつもは強がっている彼女だけれど、本当はかなり繊細で、ランク《圏外》を突きつけられたときは、人のいないところで泣いていたのを。
そんな彼女のおかげで、自分は変わることができたのだと――ルイスは心から思う。
アリシアと出会わなければ、きっとルイスはいまでも卑屈な中年だったに違いない。むろん、《無条件勝利》を習得することもなかった。
――最初から。
出会ったときから、アリシアを美人だとは思っていた。
だからこそ、自分とは釣り合うはずがないと……心のなかでいつもそう考えていた。
自分はもう枯れたおっさんだから。なんの魅力もない、くたびれたおっさんだから。
でも、それは違うんだと――アリシアやアルトリアが教えてくれたから。そしてなにより、彼女の美しさを知ってしまったから。
だからいま、ルイスは一歩を踏み出すことができた。
「アリシア。ここから先は俺に言わせてくれないか」
「へ?」
「――俺も、いつしかおまえなしでは生きられなくなったみたいだ。ここまで俺が成長できたのは、おまえのおかげだと思う」
「…………」
「こんなおっさんだが、絶対に幸せにしてみせる。だから――俺についてきてほしい」
「あ……」
ぽろぽろと、アリシアの瞳から滴がこぼれていく。
アリシアは鼻を両手で覆うと、しばらく目を伏せた。
そして。
「うそ……夢を見てるようです……なんだか、良いことばっかり起きてて――信じられない気分です」
「そうかよ……」
「こ、こんな私でいいなら、こちらこそ――あの、よろしくお願いしたいです」
そしてちらりと横のベッドを見やると、涙を流しながら、いつものふざけた笑みを浮かべる。
「なるほど。ここに誘導したのはそういう意図があったわけですね」
ものすごく語弊のある言い方である。
「なんの話をしとるんだおまえは……」
いつものくだらない掛け合いを繰り広げたあと、アリシアはぽんとルイスに身体をもたれた。
そんな彼女の頭を、ルイスは優しく撫でてやった。
「私もルイスさんが、大好きです」
胸のなかで、アリシアがぽつりと呟いていた。




