おっさん、ギルドの怠慢に呆れ返る
会話で気がほぐれたのだろうか。
アリシアの表情から、さっきのような焦りは綺麗さっぱりなくなっっていた。もちろん緊張感だけは忘れず、周囲を警戒しながら前に進んでいる。
そんな彼女を見て、ルイスはほっと一息ついた。
焦ってもいいことなんて、これまでの人生で一度もなかったから。
すこしずつでいい。
昨日の自分より今日の自分。
たとえ周りの人間が猛スピードで出世していったとしても、自分がきちんと成長していければそれでいい。それが、おっさん元冒険者ルイスがこれまでの人生で得た教訓だ。
「なあ、アリシア」
「はい?」
「元気が出たことは非常に喜ばしいが……いつまで手を繋いでるつもりだ?」
「え? 嫌なんですか?」
きょとんと目を丸くするアリシア。
「いや、そうじゃねえんだけどよ……」
「いいじゃないですか。こうしてると、なんだか元気が出るんです」
「そうかい……」
もうなにも言うまい。
これで仕事をサボっているなら大目玉をくれてやったところだが、きちんと彼女なりにやることはやっている。すなわち、周囲への警戒だ。
いまのところ、リュウをはじめとする行方不明者の気配は感じ取れない。もう森林に入ってそれなりの時間が経つ。なにかしらの手がかりくらいは手に入れてもいい頃ではあるが――
と。
そのとき。
ルイスは例えようもない怖ぞ気を覚えた。
――この気配。まさか……!
「ルイスさん? どうしたんですか?」
急に立ち止まったルイスに対し、アリシアが首を傾げる。
「……アリシア。さっき、行方不明者がここに集められてるって話があったよな」
「え? はい……」
「もしかしたら、これもまた、神聖共和国党の仕業かもしれねえぞ」
「……へ?」
そのときだった。
「――コォォォオオオオオオ!」
聞くもおぞましい、冷たい胴間声が森林中に高く鳴り響く。
同時に、ルイスたちから数メートル離れた場所に《そいつ》が姿を現した。
一言でいえば女の霊体だ。
しかも見上げんばかりに大きい。
周囲の木々にも迫るほどの巨体である。
ゾンネーガ・アッフと比べれば大きさでは劣るが、その見た目の不気味さゆえか、こいつにはまた別種の威圧感があった。
腰まで伸びている黒髪は、焼け焦がれているかのように、毛先が多方向に向いている。
本来ならば目と口があるはずの部分には何も存在せず、ただ漆黒の空洞だけが見て取れる。
なにより恐ろしいのは両手に持つ武器だ。自身の巨体にも劣らぬほどの大きな鎌を持ち、暗闇の口元をにやりと歪ませている。
「なに……あれ……」
さすがのアリシアも、青白い顔で数歩後ずさった。
「ギュスペンス・ドンナ……。ブラッドネス・ドラゴンたちと同じ、古代の魔獣だ……」
「え……また……!?」
ぎょっとするアリシアに、ルイスは小さく頷く。
「ああ。さっき《無条件勝利》を使ったときは、こんな化け物の気配はまるで感じられなかった。つまり……」
いま召還されたばかりってわけだ。
そう言いつつ、ルイスはまわりを見渡す。もしこれが神聖共和国党の仕業であれば、必ずこの近辺に奴らが潜んでいるはず……
しかし次の瞬間、ルイスはそれを確認している場合ではなかったことを知る。
「おいおい……嘘だろ……」
思わず乾いた笑みを浮かべてしまうルイス。
なぜならば――もう一体いたのだ。
ギュスペンス・ドンナ。
古代の魔獣がさらにもう一体、別方向から歩み寄ってくる。
「コォォォォオオオオ!!」
ギュスペンス・ドンナの雄叫びが二重に重なり合う。
その強大なる圧力に、周囲の空間すら歪んで見える。
「うあっ……!」
アリシアが悲鳴をあげて両耳をおさえる。ルイスも慌てて《無条件勝利》を発動させなければ、その音圧の餌食になっていたに違いなかった。
「アリシア。おまえは下がってろ。俺が迎え撃つ」
「……すみません。いつもお願いすることになって……」
苦しそうに耳を抑えながら返答するアリシア。ギュスペンス・ドンナの咆哮を喰らっただけでも、かなりのダメージを負ってしまったらしい。身体が若干震えている。
「気にするな。おまえは自分の身を守ることに専念してくれ」
ぎこちない笑顔を投げかけてから、再度、あまりにも巨大な敵を見上げて表情を引き締める。
古代の魔獣――ギュスペンス・ドンナ。
その見た目に違わず、魔術に特化したステータスを誇っている。
かのゾンネーガ・アッフも尋常でない魔力を秘めていたが、ギュスペンス・ドンナは膂力がないぶん魔術への執着が強い。
まったく油断ならない相手である。
ルイスはふうと息を吐き、万全の体勢を整える。そうしながら、のっそりと歩み寄ってくるギュスペンス・ドンナの攻撃に備える。
いくら《無条件勝利》があるとはいっても過信してはいけない。
気を抜かず、全力で迎え撃つまでだ。
――と。
そのときルイスは気づいてしまった。
ギュスペンス・ドンナの全身はおぼろげで、幽霊のように薄らいでいる。
だから見てしまったのだ。
ギュスペンス・ドンナの身体内でふわふわと浮いている、多くの人間たちを。
意識がないようで、手足をぐったりと落としながら、死んだ魚のようにギュスペンス・ドンナの内部を漂っている。ニ体あわせて五十人もの人々が取り込まれているだろうか。おぞましいことに、リュウの姿も見かけられた。
「あ、あれは……!」
背後でアリシアが悲鳴にも似た叫びを発する。
「精神吸収だ……! 生物の魂を吸って、自分の魔力に換算してやがる……!」
もともと化け物じみた魔力を秘めるギュスペンス・ドンナだが、生物の魂を喰らうことでさらに強くなる。
かの勇者エルガーも、刻一刻と力を強めていくギュスペンス・ドンナに苦戦したという。
「そんな……じゃあ、リュウたちは……!」
「心配するな。あそこに身体があるうちはまだ生きてる。だが――」
もたもたしていたら、それこそ本当に取り返しのつかないことになる。
「ギルドの馬鹿野郎め……! こんな大事件を放っておきやがって……!」
だが、愚痴をこぼしている場合ではあるまい。
ルイスはかっと目を見開き、太刀をギュスペンス・ドンナに向けて構えた。




