おっさん、相棒の過去を知る
《霧の大森林》はかなり広いようだ。
いくら歩いても終点がまったく見えないし、ずっと同じ景色を歩いている気がする。
「…………」
ルイスは一瞬だけ《無条件勝利》を発動した。意識を集中し、子どもの小さな気配を探ろうとする――が。
駄目か……
ため息をつき、ルイスはスキルを解除した。
「駄目ですか……? ルイスさん」
「ああ。原理はよくわかんねえが、この森んなかじゃ、気配を探れねェようだ。もしくは――」
すでに、さっきの気配の発信者が事切れているか。
そこまで言いかけたが、ルイスはぐっと言葉を呑み込んだ。縁起でもないことを考えるものではない。
「そうですか……」
アリシアが不安そうにルイスの腕をつかむ。
「無理もありません。この森はなんだか異様です。不穏な魔力が漂っている気がします」
「そうか……」
であれば、自力でリュウを見つけるしかあるまい。
この広大な森の、いったいどこにリュウがいるのか……皆目見当もつかないが。
そのときルイスは気づいた。
アリシアの腕を掴む力が、やや強くなっていることに。
「焦るなよ。アリシア」
「え?」
「こういうときは闇雲に動いても仕方ねえ。冷静に客観的に、状況を判断しようぜ」
「はい……」
と口では同意するものの、頭では理解しきれていないらしい。アリシアの掴む力がさらに強くなる。
ルイスはこほんと咳払いすると、そっぽを向きながら言った。
「……なあアリシア。ひとつ聞いてもいいか」
「はい?」
「なんでそこまでして《人助け》にこだわるんだよ。こんなことはあんまり言いたくねえが……ギルドがおまえに合わねえことは、自分でもわかってただろ?」
「……そうですね。そういえば、お話ししていなかったです」
――実は、私たち家族はもうひとりいたんです。
名前をフィンと言いました。私の弟です。
……初耳ですか? そうですね。お父さんもお母さんも、私を傷つけないために、あえてフィンのことはあまり話題にしないんだと思います。
ここまででだいたい察しがついたかもしれません。
そうです。フィンが亡くなったのは、私のせいなんです――
怪鳥の鳴き声が、一際大きく周囲に響き渡った。
ルイスは大きく目を見開き、自分でも驚くほど掠れる声を発した。
「弟をなくしたのは自分のせいって……おまえ……」
「すみません。やっぱりこんな話つまんないと思います。どうせなら明るい話を……」
「いや。いい。話してくれ」
周囲への警戒を怠らず、ルイスは強い口調で言った。
「おまえにとっちゃ大事な話だろ? つまんなくなんかねえよ」
「……わかりました」
――私は昔からこんな性格ですから、外で遊ぶのが大好きでした。
反対に、弟のフィンは内気な子で、ずっと家にこもっているような性格でした。
そんな彼を、私はよく連れ回していたのです。
いま思えば本当に愚かだったと思います。そのせいで……フィンがいなくなってしまったのですから。
リッド村から遠く離れた草原で、私たちは魔獣に遭遇してしまいました――
アリシアの声が、すこしずつ、震えだしていく。
そんな彼女の手を、ルイスはそっと握ってみせた。
――本当に……愚かですよね。
弱いくせに他人を巻き込んで、外に出た挙げ句に魔獣に襲われるなんて……
当時の私は完全に立ち竦んでしまいました。魔獣が怖くて怖くて、一歩も動けなくなってしまったのです。隣に守るべき弟がいることすら、綺麗に忘れてしまって。
そんなときです。
普段は頼りなかったフィンが、魔獣の前に立ちふさがりました。そしてその小さな身体で、私を守ろうとするのです。
「お、おねえちゃ、んは、僕が、守るっ……!」
泣きながらそう言っていました。
それで私は我に返ったのです。
違う。その役目はフィンがやるべきじゃない。姉であるこの私――アリシア・カーフェイがやるべきだと。
それでも……それでも私は、まだ……まだ動けなかったのです……!
魔獣に食い尽くされて、動けなくなっていく弟を、ただ黙って見ていることしかできなかった……!
私が……私が勝手に連れてきたのに……なのに……!――
「だからこれは、罪滅ぼしともいえるのかもしれません」
ルイスの隣で、アリシアが小さく言った。その声は涙に濡れていた。
「私のせいで大事な命がひとつなくなってしまった……。その罪は一生消えません。ですから……せめて。いま困っている誰かを助けることで、いつかフィンにも許してもらえるような人になりたいんです」
それでも――現実は過酷だった。
アリシアはいままで一度もレベルアップしたことがない。
どんなに努力しても。
どんなに魔獣を倒しても。
その頑張りが報われることは一度たりとてなかった。
それでも彼女は望みを捨てずに、競争の激しい冒険者ギルドに身を置こうとする。
そうして突きつけられた現実は――ランク《圏外》。
同僚からは馬鹿にされる日々。
それを思うと、ルイスはどうしても心配せずにはいられない。
アリシアは――いったいどんな心痛をその身に背負ってきたというのか。
いつも元気で、笑顔を絶やさない彼女だが、その陽気な表情の裏側で、いったいどれほどの闇を抱えてきたことか……
「どうですか。つまらなかったでしょう?」
アリシアが自嘲めいた笑みを浮かべる。
「どうせならルイスさんのお話も聞かせてくださいよ。あ。ルイスさん女性遍歴とか興味ありますね。ふふふ」
「アリシア」
「ルイスさんのことだから、甘い言葉でいろんな女性を落としてきたんんでしょーね。さぞ面白い話が聞けそうです」
「アリシアっ……!」
ルイスは、小さな小さな彼女の唇を塞いでみせた。
「ん……!」
アリシアが驚いたように目を見開く。だが抵抗はしなかった。
短いキスの後、ルイスは彼女の視線を真正面から受け止めた。
「心配するな。おまえは必ず強くなれる。だから諦めるな。一緒に頑張ろう」
「……え」
「このへんてこりんな俺だって強くなれたんだ。おまえだって絶対強くなれる。俺はそう確信してる」
「…………」
その瞬間、アリシアはやっぱり小さく笑った。その瞳に、すこしだけ滴が混じる。
「……ルイスさんは本当に女たらしです。駄目ですよ。私以外に、こんなこと言ったら」
そう言って恥ずかしそうにうつむく。その頬はほんのり桜色に染まっていた。
「……ほんとはびっくりしてます。こんな駄目な私を、こんなに思ってくれるなんて。ルイスさんには感謝しかないです」
「俺だって感謝してるさ。おまえがいなけりゃ、《無条件勝利》を得ることも、アルトリアさんに会うこともなかった」
「……ふふ。お互い様ですね」
そう言ってにっこり笑うアリシアだった。




