おっさん、太古の魔獣をビビらせる
ルイスは歩み寄る。
ゆっくりと、着実に、太古の魔獣――ゾンネーガ・アッフへと。
ルイスは感じる。
全身からとめどなく力が沸き起こってくるのを。
レベルアップと、そしてスキル熟練度の向上。
その相乗効果により、自分自身でも計り知れないほど力が高まっていくのを感じる。
ふいに。
ゾンネーガ・アッフの、紅に濡れる両の瞳と目が合った。
「グオ……」
ルイスよりも数十倍は大きいはずのその巨体が、怯んだように後ずさった。
対するルイスは大胆不敵にも歩み続けるのみ。
遠目から見れば、クマがアリにびびっているような――そんな滑稽な構図だった。
「ゴオオオオオオ!」
ゾンネーガ・アッフは自身の屈辱を晴らすかのように、両腕を大きく広げ、甲高い叫びを発した。
その音圧だけで、周囲の木々が激しく後方に反っていく。背後で片膝をついているアルトリアも、苦い顔で両耳を覆った。
だが、ルイスだけは違った。相も変わらず、威風堂々たる歩みでゾンネーガ・アッフへ近寄っていく。
「ガアアアアアア!!」
ゾンネーガ・アッフはとうとう痺れを切らしたようだ。
その獰猛極まる拳を、すさまじい速度でルイスに打ち付ける。
だが。
「――無駄だ」
ルイスはなんと受け止めていた。
太刀の刀身で、自身よりも明らかに巨大な拳を。
事も無げに受けたのだ。
「……ふっ」
短い呼吸を繰り出し、ルイスは太刀を押し返す。
たったそれだけで、ゾンネーガ・アッフは情けなく後方に仰け反った。
「な、なんと……!」
背後で戦いを見守っていたアルトリアが、驚きの声を発する。
「Sランクの冒険者でも、あんな攻撃、受けきれないはずじゃ……。あやつ、まさか世界最強レベルのSランクをも……」
「ウガアアアアアアアアッ!」
ゾンネーガ・アッフは完全に恐慌をきたしたようだ。我を忘れたように悲鳴をあげると、またも低い唸りを発し、およそ百匹もの小猿を召還する。
「――無駄だと言っているだろう!」
ルイスがかっと目を見開くと。
召還されたばかりの小猿たちは、またも一瞬にして崩れ落ちた。
まさに一瞬。
剣を向ける必要もなかった。
「ガ……ガガ……」
なかば知性があるだけに、ゾンネーガ・アッフは察しているようだった。
ルイス・アルゼイド。
この壮年の男性には、勝てるわけがないと。
「ガガ……ガガガ……」
だから、情けない悲鳴をあげ、後ずさることしかできなかった。
「……ちっ」
ルイスはふいに顔を歪めた。
全身の筋肉が悲鳴をあげている。
――レベルが上がったとはいえ、やはり無条件勝利は身体に相当の負担を強いるようだ。
これ以上、長くは保たない。短期決戦で決着をつける。
「元の時代に還るんだな」
短く呟き、太刀を構える。
――心眼一刀流、一の型、極・疾風。
文字通り神速で繰り出したルイスの太刀は、見事にゾンネーガ・アッフの胴体に直撃した。
大猿にはルイスの動きなどまったく見えなかったようで、ぽかんと数秒だけ立ち尽くすと、そのまま崩れ落ちた。
★
「いてててて……」
ルイスは自身の右肩をおさえながら、地面にうずくまった。
全身が痛い。
疲れた。
眠りたい。
メシ食べたい。
今日でそこそこ強くはなったが、これからも伸びしろはありそうだ。
なにしろかの《伝説の勇者》は、連戦に次ぐ連戦で魔獣どもを蹴散らしていたという。
「ふふ……お疲れさん」
ふいに声をかけられ、肩をぽんと叩かれる。
アルトリア・カーフェイ。
ルイスの上司であり、仲間であり、そして家族だ。
「はっはっは。ルイスよ。だいぶボロボロじゃないか。ワシがおんぶしてやろうかの?」
「はっ。そういうあんただって……傷だらけじゃねえか……」
そう言い合って、いい歳した男二人は、がははと笑い出す。
アルトリアは「よっこらしょ」と呟いてルイスの隣に腰を下ろした。すっと表情を引き締めて言う。
「――しかしルイスよ。あの怪物をひとりで討伐するとは……さすがに思いも寄らなかったぞ」
「まあな。俺自身、どんどん成長していっているようだ。しかもまだまだ先がある」
「そうか……」
アルトリアは神妙そうに頷くと、ルイスの肩をバンバン叩いた。
「な? 言ったじゃろ?」
「へ?」
「おぬしはまだ若い。人生の折り返し地点にいるに過ぎん。いまからでも、できることはたくさんあるんじゃ」
「あ……」
「ともに頑張ろう。おぬしの力が必要になるときが、絶対にくるはずじゃ」
「ああ……すまないな。ありがとう」
「なあに気にするな。今回の功労者はおぬしじゃ。もしその気があれば、いつでもフレミアの乳を触ってもよいぞ」
「いや、それはお断りするが……」
ルイスは苦笑を浮かべると、アルトリアに向け、深く頭を下げた。
「俺のほうこそ、感謝します。いろいろご指導いただいて、本当に、勉強になります」
「な……なんじゃい、急にそんな改めおってからに」
そう言いながらも、なんだか照れくさそうなアルトリアであった。
予想外の出来事もあったが、今日の依頼は無事に終了した。あとは家に帰り、身体を休めるだけである。
そう思ってルイスは立ち上がったのだが、一方のアルトリアはなぜか険しい表情のまま動こうとしない。
「……ん? どうしたんだよ?」
「しっ。黙っておれ」
アルトリアは人差し指を口にあてがい、とある一点を凝視する。
それからおもむろに立ち上がると、鞘から剣を引き抜き――
「見え見えじゃぞ、不埒者め!」
剣を一直線に投げつけた。
すさまじい速度で飛んでいった剣が、草むらのなかに消えていき――そして。
「うがっ!」
茂みのなかで、男の悲鳴が聞こえた。アルトリアの投げつけた剣が命中したようで、わずかに鮮血が飛び散っているのが見える。
「な……なんだ、いったい!?」
またも予想外の出来事に、ルイスは大きく目を見開いた。
どうやら何者かが潜んでいたらしい。《無条件勝利》を解除していたルイスにはなにも感じ取れなかったが……
「言ったじゃろう。数年前から、ユーラス共和国の者が国内で不審な動きを見せていると。……必然か偶然か、奴らがここに潜んでいたようじゃの」
「な、なんだと……!?」
驚愕するルイスに、アルトリアは小さく頷くと、茂みのなかに入っていった。




