おっさん、美少女に泣きつかれる
――非常事態です! 非常事態です!――
そこらじゅうで、警報音がひっきりなしに響きわたっていた。
住民らは悲鳴とともに逃げまどう。武装した男たちは血相を変えて走り回る。王都サクセンドリアは数年ぶりの大混乱に陥っていた。
「まいったね……こりゃ」
ルイス・アルゼイドは苦笑いを浮かべながら、商店の壁にもたれかかっていた。腕を組み、忙しない人間たちを遠い目で見送る。
どうやら、ついさっき魔獣が襲撃してきたようだ。
それもかなりの大規模。
門番の兵士をぶっ殺したあとは、かなりの速度で都内を侵攻しつつあるらしい。あまりの危機的状況に、正規軍の連中だけでなく、ギルドにも召集がかかっているようだ。
事態は一刻を争う。
もたもたしていると、そのぶん一般の住民に被害が出る。
「――そうとわかってるなら、私たちも行きましょうよ! 早く!」
そう腕をつっついてくるのは、相棒のアリシア・カーフェイだ。
腰まで伸びた金髪は、この緊急事態においてもうっすらとした光沢を放っている。透き通るような白妙の肌からは、心なしかほんのりと良い香りがする。全体的に細めの彼女だが、おっぱ――胸囲はドンと出ていて、なんともオジサン心をくすぐる身体つきをしていた。しかもルイスと違って若い。
まあ、一言でいえば《すんごい美人》なのであるが――
ルイスは首を横に振り、はははっと笑ってみせた。
「んなこと言ったってなぁ。俺たちが出張っても意味ないだろうよ」
「むむっ……。そ、それはそうですが……」
「無駄に怪我を負っちゃ商売にならねえ。ここはいったん引いて、自分のできることを探るのが最善の策ってもんだ」
ルイスとアリシアは、それはもう、ほんとのほんとに弱い。
特にルイスはもう四十歳を目前に控えているが、冒険者でも最低の《E》ランク。十代からひとつも昇格していない。
ちなみに。
四十歳時点でCランク以下の冒険者は、能無しと見なされ、自動的にギルド契約を破棄される。
それを加味するとルイスに時間はないのだが、しかし彼とてずっとさぼってきたわけではない。
これでも懸命に修行をしてきたが、才能がないのか、はたまた練習の仕方が悪いのか、剣の腕が上がることはなかった。おかげで、貫禄ではなく哀愁だけが身についていく一方である。
周囲の人間からも、向いていないから転職したほうがいいと言われてきた。
だが、昔から不器用なルイスに、他にできることがあるはずもなく。こうして、ずるずると年齢だけを重ねてきてしまったのである。
そういう意味では、まだアリシアのほうが可能性があった。彼女はまだ十八歳と若い。ランクは《圏外》という前代未聞の腕前で、だから誰にも相手にされていないわけだが、自分の才能をうまく見つけられさえすれば道は拓けるはずだ。
アリシアは再びルイスの裾を掴むと、ぎゅぎゅっと引っ張り出した。
「ね、だから行きましょうよ! 頑張ればわからないじゃないですか!」
「だから行かねえってんだろ」
「そこをなんとか! 頑張りましょうよ!」
「はぁ。若いなおまえは」
ルイスはわざとらしくため息をつく。
「意味ねえってわかってんだよ。才能ねえ奴がどんなに頑張っても、良いことなんかなにひとつなかった」
「え……」
「行きたいならおまえ一人で行け。俺と違って、おまえさんなら少しは《可能性》があんだろ」
「そ、そんな……」
アリシアは困ったように眉を八の字にした。両手の人差し指をくっけたり離したりしている。
――わかっているのだ。
かなり弱いルイスだが、そんな彼よりアリシアはもっと弱い。
彼女ひとりだけで戦線に出れば、きっと一分と持たずに屍と化すだろう。だからひとりで行きかねているのだ。
さりとて、なにも行動しないのは嫌なんだろう。自分にできることをひとつずつやり遂げていって、ほんのちょっとでも実力を上げたいのだと思う。いつまでも《底辺》なんて嫌だから。
そういう意味では、過去の俺に似ていなくもない。ルイスはそう思った。
まあ、まだ希望の持てるうちが花だ。なにもかも枯れちまった俺なんかよりずっといい。
「ぐずん」
ルイスが黙りこくっていると、アリシアがふいに鼻水を流し出した。
「お、お願いしますルイスさん……。街の人、助けにいぎまじょうよ……」
「ば、馬鹿おまえ。なんで泣くんだよ」
「だ、だってぇ……ルイスさんいままでずっとサポートしてくれたのに、急に冷たくなるんだもん」
サポートといったって、薬草の採取とか、道案内とか、誰でもできる仕事の手伝いをしてやっただけだ。
これくらいの依頼なら、剣や魔法の腕は関係ない。知識さえあればいい。
剣も魔法も使えないルイスが、すこしでも役に立ってみようと、過去、必死に勉強したのである。それでも《E》ランクのままなのだから、本当にやってられないが。
「私、無理でず。ルイズさんがいながったら……」
びいびいと泣き出すアリシアは、そんな過去の自分と重なった。無謀で、馬鹿で、なにもわかっていなかったけれど、人々を守りたいという情熱だけは一人前だったから。その気持ちだけは、ルイスにもわかってしまったから。
だから。
「ああもう、仕方ねえガキだな」
ルイスはがしがしと後頭部をかきむしると、数歩、前に進み出た。
「ほら行くぞ。街のみんなを助けたいんだろが」
「え……いい、んですか?」
「ダメに決まってんだろ。俺たちが前線に出ても一瞬で殺される。だから後ろのほうで、止めを差し損ねたゴブリンとか、そういうのだけ狙いにいくぞ」
情けない話だが、これがルイスたちの限界だ。最弱の魔獣と呼ばれるゴブリンでさえ、三匹くらい集まられるともう手に負えなくなる。
それでも。
「は、はいっ……」
アリシアは嬉しそうにはにかみながら、ルイスの後ろをついてきた。