おっさん、家族ができる
――夜。
リッド村は大変な賑やかさに満ちていた。
広場の中央部分にはキャンプファイヤーが設えられている。そのまわりで村人たちが愉快なダンスを披露していて、それはもう本当に楽しそうだ。
また所々に食事の載ったテーブルが置かれており、大人も子どももみんな談笑とともに舌鼓を打っている。一部、酔いつぶれた男性もいて、ぎゃあぎゃあやかましいのはご愛敬ともいえた。
「…………」
ルイスはひとり、カーフェイ家の壁にもたれかかりながら、ちびちびとビールを飲んでいた。酒などいつぶりだろう。あまり強いほうではないが、久々のビールはなかなかに美味かった。
リーン、リーンと。
耳をすませば、虫の鳴き声が聞こえてくる。また、ときおり穏やかな温風が流れ、ルイスの身体を包んでいく。
――これが田舎ってものか。越してきて正解だったかもな……
「なぁにしけた顔しておる。今回の主役はおぬしじゃぞ?」
ふいに声をかけてくる者がいた。
アルトリア・カーフェイ。
もう何杯も酒を飲んでいるようだが、相当強いのか、まだ片手にグラスを持っている。
ルイスは苦笑しながら言った。
「はは……すみませんな。どうもこういう集まりは苦手で」
むかしから迫害されてきたルイスに、まともな人付き合いなどできるはずもなく。
最初は何度も村人が話しかけてきたが、ルイスのほうから遠のいてしまった。ひとりの時間に慣れすぎてしまったのかもしれない。
「そうか。ま、それなら仕方ないの」
アルトリアはちびっとビールを飲むと、ルイスの隣に並んだ。
「……これから癒していけばええ。おぬしが受けた傷も、トラウマも……今後、きっと直していける」
「はは……頑張りますよ」
むかしのルイスなら、もう枯れてしまったからとか、もうおっさんだからという理由で諦めてしまっていたかもしれない。
でも、いまならすこしは前向きになれる。リッド村と、そしてアリシア一家のおかげだ。
「なんなら、ワシが第一人者になろうかの?」
「え?」
「おぬしは今日から我が家に泊まる。つまり新しい家族じゃ。敬語は不要。ワシに対しては普通に話すがええ」
「し、しかし……」
「気にするな。おぬしも堅苦しいのは嫌じゃろうて」
小さく笑いながら、控えめにルイスの肩を叩いてくる。
多少の抵抗はあったが、アルトリアが好意でやってくれていることだ。無理に拒否することはないと思い、ルイスは口調を崩した。
「……わかった。今後は普通に話させてもらおう」
「はっは! その意気じゃ!」
そう言いながらまたバンバン背中を叩いてくる。
――本当に、暖かい家族だな。
帝都では見られなかった光景だ。自分の家庭もこうだったら良かったのにと、心の片隅で思ってしまう。
ならばこそ、ルイスには気になることがあった。
「……ひとつ、聞いてもいいか」
「ほ? なんじゃ」
「なぜアリシアをギルドに就職させたんだ。あんたなら、アリシアが戦いに向かないことも、ギルドの悪い部分も知ってたはずだ。なのに……」
「そうじゃの……」
アルトリアも表情を引き締める。
「必ず痛い目を見ることはわかっておった。フレミアともども、内心は反対しておったのだが……本人がどうしても行きたいというのだ。娘の固い決意を踏みにじるわけにはいくまい?」
「固い決意……」
思えば、アリシアはいつもそうだった。
《圏外》ランクで、誰よりも弱いのに、自分に与えられた任務だけは懸命にこなそうとした。帝都の襲撃に対し、なかば諦めかけていたルイスを引っ張ってきたときのように。そして、戦闘後は必ず自身のステータスを確認していたものだ。
なぜなのだ。
なぜそこまでして、人助けにこだわるのか……
「ま、それについてはワシらから喋るわけにはいかんの。いつか、本人の口から聞くといい」
「そうだな……」
ギルドの元パートナーとしては、やはり気にかかるところである。
「ワシのほうこそ、ひとつ聞いてもいいかの?」
「ん?」
「アリシアは相当弱かったじゃろう? パートナーともなれば、足を引っ張ることは目に見えていたはずだ。なのに、なぜあいつの面倒を見てくれたのかの? おぬしのことだ、美人だから――という理由ではなかろうて」
「…………」
ルイスはごくりとビールを飲み干すと、遠い記憶をたどりつつ、ぽつぽつと話し始めた。
虫のさざめきがやや強くなる。
暖かな風が、ふわりとルイスとアルトリアを撫でていく。
「もうどれくらい前やら……新人冒険者の、実力判定試験のときだったと思う」
ちなみにこの試験ではランクは決められない。ランクはあくまで実力と実績により変動するものであり、判定試験は単に新人冒険者の腕前を計るためだけに行われる。
そうして将来有望な若者に、優先的に依頼を頼む形となる。
「みんな意気込んでたよ。なにしろ、自分の将来がかかってるんだからな。みんなそこそこの結果を出していくなかで、アリシアだけは惨敗――判定不能だった。俺ですら聞いたことないような結果だったのさ」
この残酷すぎる結果に対しても、アリシアはいつもの元気さを見せていた。からかってくる同僚に対し、バーカバーカだの何だの言い返していたのである。
一部の男には、「おまえは女だから弱くてもいいよなァ」とも言われていた。
「俺も、最初はたいした女だなぁと思ったんだよ。ひでえ結果が出たのに、よくあんな元気でいられるもんだ、ってな」
でも、その後、ルイスは見てしまった。
誰もいない、人影すらない裏通りで、アリシアがひとり泣き崩れているのを。いつも明るい彼女だけれど、本当はどこにでもいる、小さな小さな女の子でしかなかったのだと。
「それを見たら放っておけなくなってな。だから言ってみたんだ。――いま、難儀な依頼で手が回らねえから手伝ってくれねか……ってな」
その途端、涙目ながらもアリシアの表情はすこし明るくなった。
――はい! 私でよければやらせてください!――
それが彼女の返事だった。涙にまみれ、耐え難い苦痛を味わっているにも関わらず、それでも明るい声を出そうと頑張っていた。
「実際、アリシアはよく頑張ってくれたよ。お互い実力はねェけど、そのぶん努力でカバーしてた。だから俺もアリシアにまたフォローをお願いしたし、アリシアもまた、俺にひょこひょこついてくるようになった。それがきっかけだったな」
「…………」
ルイスの長い話を、アルトリアは黙って聞いていた。やがてごくりとビールを飲み干すと、小さな声で話しはじめる。
「……なるほどのう。これで合点がいった」
「え?」
「本当は、もっと早く娘が帰郷してくると思っておったんじゃ。それが思ったより長くギルドに在籍して……しかも、まだまだ元気そうではないか。おぬしのおかげだったんだの」
「いやいや。俺はなにもしてないさ。ただ仕事を手伝ってもらっただけだよ」
「――それでも、お礼を言わせてください」
ふいに話しかけてくる者がいた。
フレミア・カーフェイだった。ルイスとアルトリアのためか、グラスを二つ手に持っている。
「あの娘が、いまでもこうして元気でいられるのは、ルイスさん……あなたのおかげです。ありがとうございました」
「いえいえ。俺はただ――」
「ルイスよ、ワシからも礼を言いたい。アリシアを守ってくれて、ありがとうな」
「…………」
瞬間。
ルイスの瞳からも、わずかな雫がこぼれてきた。
人から感謝されるなんて、滅多にないことだから。
誰も、ルイスを認めてくれる人なんていなかったから。
ルイスが黙りこくっていると、フレミアが優しい笑みを浮かべ、グラスを差し出してきた。
「さあ、宴はこれからです。ルイスさん、まだまだビール、ありますよ」
「……はは。ではありがたく、いただきます」




