国を守るために彼女が決めたこと
サクヤ・ブラクネス。
彼女と初めて会ったのは、帝都の王城が魔獣に襲われたときか。
死を覚悟していた彼女を、なかば諭す形で、ルイスが戦場から逃がしたのを覚えている。
その後彼女はルイスを恩人として慕うようになった。
ユーラス共和国へ渡る際も、道案内をしてくれた。
あまり関わりはないけれど、ルイスにとって、数少ない知人だったはず。
――そんな彼女が、いま、明確な敵意をもって眼前に立ちふさがっていた。かつての穏やかな雰囲気はもうない。
「あ……ああ……」
リュウが怯えた様子でルイスの背後にまわる。
そんな彼の頭を撫でながら、ルイスはきっとサクヤを睨みつけた。
「なるほど。おまえはそっち側についたんだな。サクヤ」
「当然でしょう。私は帝国軍の兵士。国を守るのが私の責務です」
「そんな! どうして!」
唐突に大きな声を出したのはアリシアだった。
「あなたも見たはずでしょう!? 皇帝ソロモアのせいで……多くの人たちが命を落とした! 他の国もそうだし、この村の人たちだって……!」
そう叫ぶアリシアの声は激情に揺れていた。
ミリアにフェイタス。
顔馴染みが殺されてしまったからこそ、彼女にもいいしれぬ想いが溜まっているのだろう。
「そうですね」
反して、サクヤの声は静謐そのものだった。
「私とて、陛下のやり方には賛成できません。戦争なんてもってのほかです」
「だ、だったら、なんで……!!」
「ではここで皇帝陛下を始末するのですか? それですべてが終わると本当に思いますか?」
「え……」
「我が国はやりすぎました。絶宝球――かの絶対的な力を失ってしまえば、一瞬にして敵対国から足を掬われかねないほどに」
「はん。なるほどな」
レストがつまらなそうに相づちをいれた。
「つまり、現在の危うい均衡は皇帝がいるから保たれている……そういうことか」
「ええ。皇帝陛下が倒れ、絶宝球までもが消えてしまえば、我が国を守護するものはありません。その瞬間、いままで虐げられてきた国々がなにをしてくるか……容易に想像できるでしょう?」
「…………」
「ですから――さっき言った通りです。私は帝国の兵士。国を守るために戦うのです」
「クソったれめ……」
思わず悪態をつくルイス。
彼女の言うこともたしかに一理ある。
特に帝国軍の連中は《無条件勝利》を手に入れた途端、明らかに好き放題にやってしまっている。かつてユーラス共和国にされていたことを、まさにそのままやっているのだ。
「ルイス……さん」
さっきまで冷たかったサクヤの声に、やや感情が混じった。
「どうかお願いします。このまま引いてください。恩人に剣を向けたくはありません。どうか……」
「はん……」
なんと皮肉な話だろう。
ルイスにサクヤ。
ともに人々を守るために戦っているに過ぎない。
なのに……こんな悲しいすれ違いがあるなんて。
「おまえの言い分はわかったよ。けど……他にもあるんだろ? おまえが後に引けない理由が」
「っ……」
サクヤの表情に葛藤が生じた。
図星のようだった。
絶宝球の力を持つルイスだからこそ、この違和感を感じ取れたのかもしれない。
「おまえも手に入れたんだな? 別の宝球の力を」
「へ……」
アリシアが大きく瞳を見開く。
――宝球。
世界に六つだけ存在する、理を超えた力を持つ宝石。
そのうち二つは存在が判明している。すなわちそれが、絶宝球と鏡宝球だ。
言い換えれば、残り四つの宝球は行方が明らかになっていない。
「も、もしかして、他の四つの宝球も、ソロモアが確保してる……?」
「おいおい、マジで言ってんのか……!?」
さしものレストもこれには面食らったようで、開いた口が塞がらない様子だ。
ほどなくして。
「……ええ」
サクヤ・ブラクネスが重そうな口を開いた。
「いまさら隠すことでもないと陛下が仰っていたのでお答えしますが……その通りです。私は陛下により、《死霊球》の力を授けられました」
「し、死霊球……」
「ええ。具体的には――このような力です」
そう言ってサクヤが片手を突き出した――その瞬間。
「「グオオオオオオオッ!!」」
いきなり響いた胴間声に、ルイスたちは思わず身を竦ませた。
「お、おいおい……嘘だろこりゃ!」
眼前で起きた現象に、レストが仰天の声を発する。
さきほども見かけた巨大な魔導兵――そいつらがどこからともなく出現したのだ。
その数、軽く百体を超えている。
リッド村の敷地内をほぼ埋め尽くす形で、とてつもない数の魔導兵が出現したのである。
「わあああああああ!」
「に、逃げろ! 逃げろーっ!!」
こうなってしまっては一般人に平静を保てるわけがない。そこかしこにいた村人たちが、悲鳴をあげて逃げまどっていく。
「…………マジかよ」
ルイスもしばらく開いた口がふさがらなかった。
レストが言うには、魔導兵は過去の戦争で使われたはずの化け物。
つまり現在では存在しないはずの死者だ。
死者を蘇らせるだけでも恐ろしいのに、それを一瞬で百体以上も蘇らせるとは……
「皇帝陛下いわく、私は合っているようです。死霊球の力に」
「ちっ……。そういうことかよ……!」
彼女の父、ヒュース・ブラクネスも、召喚術においては一流の実力を誇っていた。なんとも皮肉な話だが、さすが同じ血を分けた娘というだけある。
つまり――
「ま、待ってよ……!!」
アリシアが顔面蒼白で呟いた。
「じゃあ、村にいる魔導兵を生み出したのも……ミリアおばちゃんやフェイタスくんを殺したのも……全部、あなたなの!?」
「…………」
一瞬だけ、サクヤの表情が切なさに歪んだ。
「陛下から命じられたこととはいえ、実行したのは私です。言い訳をするつもりはありません。存分に恨むがよいでしょう」
「ひどい……。こんなことって……!!」
悔しそうに顔を反らすアリシア。
そんな彼女に対し、サクヤはなにを思ったのだろう。どこか悲哀に満ちた表情を浮かべるや、すこし震える声で言った。
「ルイスさん。皇帝陛下に仇なさんとするならば、私はあなたたちにも剣を向けないといけなくなります。どうか……お願いします。ここは引いてください……」
「はん……なるほどな……」
サクヤの心痛を、ルイスは少しだけわかった気がした。
帝国という国を守るため、彼女は自分の血を差し出してでも鬼になると決めたのだろう。将来、帝国が他国に滅ぼされないために。
どこまでも真面目な軍人らしいともいえる。
だが――
「甘ったれんなよ、サクヤ」
固い規則に縛られた軍人に対し、ルイスは語気を強める。
「とっくに知ってるとは思うが、おまえさんの父親――ヒュース・ブラクネスはこちら側にいる。あいつも帝都で何度もテロをしでかした身だ。おまえとは比べモンにならねえくらいの罪を背負ってる。それでも前を向いて、いま自分にできることをやってんだ。――なのに、おまえはいったいなにをしてやがるんだ?」
「っ……」
「あまつさえ、敵であるはずの俺たちに同情するなんてな。おまえさん自身、わからねえんだろ。自分はなにをすればいいのか。なにが正しいのか」
「…………」
「そんな奴になにを言われたところで……俺たちは引かねえよ。絶対にな!」
スキル発動。絶対勝利。
ルイスが全身に力を入れた瞬間、周囲を取り囲んでいた魔導兵が一瞬にして全滅した。
声にならない悲鳴をあげるや、両膝を地面につけ――無数の光の粒子となって空気に溶けていく。消えていく……
「あ……」
その光景を、なかば放心しているかのようにサクヤが眺めていた。