理を超えた者同士の戦い
「ふふふ……ははは……」
ソロモア・エル・アウセレーゼは小さく笑っていた。玉座に頬杖をつき、控えめの笑い声を発する。
――中年の元冒険者、ルイス・アルゼイド。
まさかユーラス共和国と手を組み、ヴァイゼやレストを率いて、ここまでやってくるとは……
かねてより注目すべき人物と思っていたが、ここまでやってくれるとは。以前は《不動のE》などと馬鹿にされていたようだが、なかなかどうして、たいした男である。
「こ、皇帝陛下……」
反して、ソロモアの直近たる大臣は青ざめていた。
「さ、さすがに看過できない事態になってきたのではありませんか……? ルイスのみならず、レストや前代魔王までが我が国に侵入してしまいました……。さすがに危険ではありませんか……?」
「ふふ。そうだな。危険であろうよ」
なに当たり前のことを言っているんだ、とソロモアは思った。
「これしきはすべて予想できたこと。盤上の出来事でしかあるまい」
「よ、予想できたこと……ですか……?」
「うむ。限りなく低いパーセンテージの未来を、彼らは切り開いてみせた。ただそれだけのこと」
その精神力はまさに尋常ではあるまい。
ヴァイゼ大統領の策謀にハマり、ルイスたちは魔物界に堕ちてしまった。言うまでもなく、それだけでも絶望に値する出来事のはず。
けれども彼らは這ってきた。
《無条件勝利》のその先を極め、多くの仲間を従えて、ついに世界一の大国――サクセンドリア帝国に宣戦布告を申し出てきた。
簡単にできることではないが、彼らはそれを成し遂げたのだ。賞賛すべき快挙といえよう。
冷や汗を流し続けている大臣に向け、ソロモアは冷たく言い放った。
「大臣よ。貴様には覚悟が足りぬようだな」
「覚悟……」
「余は大挙をなさんとしている。くだらん愚衆政治を切り捨て、真なる賢者のみが世界を導く――新たな世界を」
「…………」
「そのための道が平坦なわけがあるまい。この程度の障壁なぞ、最初から想定してしかるべきだ。最初から完璧な計画などありえない」
「へ、陛下は……この事態を予測していたというわけですか……?」
「まあな。七つある分岐点のうち、もっとも可能性の低い事態ではあったが」
「では、その対策も……?」
「当たり前であろうが」
ソロモアはにやりと笑みを浮かべると、右手を控えめに前方に突き出す。
掌の中央部分には、人の眼球ほどの黒い球が埋まっている。
これぞまさに、絶宝球の力の一部。世界を掌握するための一歩として、ソロモアはまず、絶宝球と一体になる道を選んだ。
「余に逆らう者がどのような運命を迎えるか……頭に刻むがよい」
ソロモアが小さく呟いた、その瞬間。
――どこか遠くから、巨大な爆発音が聞こえた。
あとに地を突くような振動が続き、謁見の間が騒然となる。
「な、なんだ……?」
「地震か……?」
「違う」
口々に喚く兵士たちに向け、ソロモアは静かに言い放った。
「見てみるがよい。窓を」
「ま、窓……?」
指示通りに兵士たちは窓の外を見やり――そして。
「あっ!!」
みな一様に、素っ頓狂な声をあげた。
彼らの視線の先には、はるか遠方の地に立ち上る、巨大な黒煙があった。
「陛下……。いまのはまさか……?」
おそるおそる聞いてくる大臣に、ソロモアは「ふん」と鼻を鳴らす。
「あそこには我が国と敵対する小国があったな。見せしめにはちょうどよかろう」
「まさか……いまの一瞬で、国をひとつ消したのですか……?」
「当然だろう。絶宝球にかかれば、これしき造作もない」
「す、すごい……。そうだ、我々には絶宝球があったのだ……」
「ともあれ、これでヴァイゼに加担する国は大きく減るだろう。諸外国の首領はわかっているはずだ。宝球の強大さをな」
本当はこの力でルイスたちを一気に始末したいところだが、自国に侵入され、どこにいるかもわからない以上、それを行うわけにはいかない。彼らが短期間でこちらに迫ってきたのには、多分にそういった戦略があってのことだと思う。
ヴァイゼ大統領。敵として戦い甲斐のある相手といえよう。
「ち、父上!!」
ふいに幼い声が室内に響きわたった。
振り向くまでもない。第二皇女――プリミラ・リィ・アウセレーゼだ。
「いまの爆発はなんですか! まさか、また絶宝球を……!」
「愚問だな。外の清々しい風景を見ればわかるだろう」
「ち、父上っ……!」
怒りのこもった瞳がソロモアに向けられる。
合計で六人いる皇族――言ってみればソロモアの子どもたち――のうち、彼女だけがソロモアの政治的見解に異を唱えている。愚かなことだ。
「もう我慢の限界です……! 父上は、こんな……こんな世界が理想郷だというのですか!!」
「なにを言う。こんなものはたかだか序章にすぎんよ」
「じょ、序章ですって……!?」
「この二千年でよくわかっただろう。愚かな者によって導かれる世界は破滅の途を辿る。《民意》というのは実に便利で愚かしい言葉よ。そうは思わんか」
「だから父上が実権を握るというのですか……! 国民を恐怖させながら……!」
「ふん。わからぬ者だな貴様も。――おい」
ソロモアが小声で命じた、その瞬間。
さきほどまでなにもなかった空間から、突如として、新たな人物が姿を現した。
長い金髪を後ろで束ねた、痩躯にして小柄な男。アクアブルーに輝く瞳は、ソロモアと同様、どこか冷たさを感じさせる。
第五皇子、ティルア・ヴィ・アウセレーゼ。
ソロモアの息子であり、プリミラにとっては弟である男だ。
今年で十歳になったばかり。
年齢的には最年少だが、ソロモアが最も信用する人物のうちひとりだ。
「……なに、パパ」
ティルアは相変わらず、無感情にこちらを見つめる。
「そこの出来損ないの姉を監視部屋にでもぶち込んでおけ。いままでは放っておいてやったが、今後は邪魔になりかねん」
「報酬は?」
「あとでシェフに特製のチョコレートをつくらせる」
「チョコかー。ちょっと飽きてたけど、ま、いっか」
そう言うなり、ティルアはプリミラに顔を向けた。
年齢的には幾分か上のはずだが、プリミラは怖じ気づいたのか、青白い表情で後ずさる。
「……やめなさい、ティル」
「って言われてもねー。お姉ちゃんとチョコだったら、チョコのほうが上じゃない?」
ティルアがにっこりと笑った――その瞬間。
ゴゴゴゴ……という唸るような音ともに、彼の全身が漆黒の炎に包まれた。
「ううっ……!」
「あっ……!」
彼の近くにいた兵士たちが、悲鳴をあげて後ずさっていく。それだけのすさまじい熱気と邪気が発せられていた。
素晴らしい、とソロモアは思う。
先代が見つけた獄炎球の力を完全に使いこなしている。ソロモアの持つ絶宝球には及ばないまでも、ティルアもまた、理を超えた力を持つ男だった。
「やめなさい……、さも、ない、と……」
プリミラはそれでも気合いで耐えていたようだが、そんなもので宝球の力は凌げない。ティルアの放つ強大なまでの力に気圧され、ついにはその場に崩れ落ちた。
「ははは。力も頭もない、ただ気が強いだけの皇族なんてね。なんの役にも立たないよ」
へらへらと笑うティルアに、ソロモアはパチパチと短く拍手をしてみせた。
「よくやった。それでこそ我が息子だ」
「うん。よく言われる」
「近いうち、ルイスを筆頭とする強敵が迫ってくる可能性がある。おまえはそのときに備え、力を蓄えていてほしい」
「るいす……? ああ、あのおじさんね。僕に勝てるかな」
さすがは獄炎球を使いこなす者。
ルイスの強さをよくわかっているようだ。
「ってことはさー、レストの兄ちゃんも来るのかなー?」
「おそらくな」
「へっへー。そっかー、楽しみだなぁ……」
かつてSランク冒険者になりすましていたレスト・ネスレイア。
彼が王城に訪問した際、よくティルアの遊び相手になっていた。もちろんレストはいい大人なので、ティルア相手に本気を出したことはないだろうが。
「他の子どもたちにも準備を整えさせる。くれぐれもサボるんじゃないぞ」
「はーい。パパはどうすんのー?」
「ふふ……」
そこでソロモアは笑みを浮かべる。
「これから敵に新たな恐怖を植え付けるところだ。見ていくか?」