皇女プリミラの憂鬱
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「はぁ……」
皇女プリミラ・リィ・アウセレーゼは誰にも聞こえぬため息を吐いた。
帝都サクセンドリア。王城。
プリミラは浮かない心持ちで、ひとり、私室にこもっていた。最近はなにをするにも気分が乗らない。
窓の外には――どこまでも広がる闇色の壁。
帝国の外周部を《絶宝球》なるものが覆い尽くし、完全に国内外を断絶している。最初はユーラス共和国の部隊が侵入を試みたようだが、入国さえ適わなかった。
聞いた話によると、壁に触れた者は瞬時にして死亡したという。《絶宝球》により敵と見なされ、即時に殺されてしまったようだ。
絶宝球。
すなわち、絶対勝利の力。
皇帝ソロモアからこの話を聞いたときは、まさに心臓を抜かれる思いだった。兄弟はどうか知らないが、プリミラはいまになって初めて聞かされたのだ。
これほどの力があれば、たしかに世界全土を支配下に置くことも可能だろう。それだけの驚異的な能力が絶宝球にはある。
でも……
「皇女様。よろしいですかな」
ふいに外側から扉が叩かれた。
大臣の声だ。
「はい……。どうぞ」
プリミラが返事をすると、大臣は「失礼します」と言って入室してくる。
「お知らせがございます。すでに陛下にはお伝えしていますが、ユーラス共和国の制圧に成功致しました。間もなく《イチ》を本格的に奴隷とする予定です」
イチ……
ユーラス共和国の住民に対する蔑称だ。属国化にあたり、皇帝ソロモアが命名したものである。
「これを受けまして、各地の諸外国にも我が国を支持する動きが見えてきております。我が国の地位はこれでほぼ確実のものとなってきたといえるでしょう」
「そうですか……」
皇帝ソロモアは本当に巧妙だ。
国民や他国の支持を得たうえで、絶宝球を使用したといっていい。
実際にも、国民の半数以上がすでに皇帝を支持している。圧倒的なカリスマを持つ皇帝に心酔しきっているようすだ。
というより――
絶宝球に刃向かえる国家など、そもそもこの地上に存在しないだろう。小さな国々の首脳が媚びるように近寄ってくるのが、プリミラにはありありと想像できる。
「ひとつ……聞かせてください」
小さな声でプリミラは訊ねる。
「ユーラス共和国を制圧した兵士たちは、通常ありえない力を持っていると聞きました。共和国の兵士など相手にならなかったそうですね?」
「ええ」
「まさかとは思いますが……それも、絶宝球の力なのでしょうか……?」
「さすがですな。その通りでございます」
大臣は眼鏡の中央部分を持ち上げると、嫌らしい笑みを浮かべて言う。
「その名も、最強スキル《無条件勝利》……。それぞれの兵士にはわずかしか力を与えていませんが、それでも絶大なる効果です。さすがは絶宝球ですな」
「…………」
プリミラはなにも言うことができず、黙り込んでしまう。
無条件勝利……
あのとき、ルイス・アルゼイドが習得したスキルとまったく同じものだ。
たしかに、それさえあればユーラス共和国の制圧など簡単にできてしまうだろう。このスキルがあれば、ステータスの差などまったく意味をなさないのだから。
ルイス。
彼はいま、なにをしているのだろう……
この状況を見てなにを思っているのだろう……
私は皇族でありながら、この状況をどうすることもできない。
というより、正直どうすればいいのかわからないのだ。
父の強行的な手段が正しいのか、私の考えが間違っているだけなのか……それさえも、わからない。
「ルイスさん……」
彼ならいったいどうするだろう。
圧倒的な力を持つ皇帝ソロモアにすら、正面からぶつかっていくのだろうか。
プリミラの思案顔をどう思ったか、大臣はしたり顔で言った。
「ルイス・アルゼイドなら心配ありませんぞ。反逆の可能性を考えて、すでに刺客を送っております。総勢五百名の、《無条件勝利》持ちの兵士たちが」
「な……」
プリミラは思わず目を剥いた。
ひどい。
かつて身体を張ってまで帝都を救った彼を――あろうことか殺すつもりなのか。そんな仕打ちがあっていいものか……!
いや。
プリミラは息を整え、なんとか気持ちを落ち着かせる。
動揺を見せてはならない。いまの状況で、皇帝への反対意志を見せるのは得策ではない。
代わりにプリミラは別のことを訊ねた。
「五百名……ずいぶんと多いですね。人ひとりを始末するためだけに、さすがに過剰だと思いますが」
「いえ……。皇帝陛下は、この機会に魔物界も手を伸ばそうとお考えでして」
「え……」
「二千年前、私たちの先祖はユーラス共和国と魔物界の結託に苦戦させられました。それさえなければ、今頃私たちは優雅な生活を送っていられるはずでした……」
そう。
ユーラス共和国と魔物界の共闘により、当時、さしもの絶宝球にも限界が訪れ始めてきた。
結果、絶宝球はしばらくの間機能を停止することになり――
互いに消耗した両国は和平協定を結ぶことを落とし所とした。
「ですから、皇帝陛下はまた同じことが起きぬよう、魔物界も同時に滅ぼすおつもりのようです。あそこは土地が貧しいですし、制圧しても旨味はないですが」
そう言いながらニヒヒと笑う大臣。
「そうですか……。さすがはお父様……」
プリミラは片言で呟く。
――ルイス・アルゼイドさん。
どうか、どうか……




