おっさん、頭が痛くなる
次に瞬きをしたとき、ルイスたちはまったく見知らぬ場所にいた。
なにもない世界、と言うべきか。
四方八方、ひたすらに白い靄がかかっており、全景が見渡せない。どれほどの面積があるのか、上空はどこまで続いているのか……なにも見て取れることができない。
「こ、これは……」
フラムがあんぐりと空を見上げながら言う。
アリシアも同様、目を白黒させて辺りを見回していた。
「ふ。さすがに驚いたかな」
落ち着き払った声でそう言ったのは、前代魔王――ロアヌ・ヴァニタスだ。重量感のある剣を片手に携え、コリコリと肩を鳴らす。
「一言で言うなら……まあ、次元の狭間というやつか。ここなら、どれだけ派手に戦っても敵に見つかることはない。思い切りやり合える」
「そ、そうか……。助かるよ」
ぺこりと頭を下げるルイス。
なにからなにまで至れり尽くせりで、申し訳なくなってくる。
「ふむ、気にすることはない。それだけ期待しているということだ。貴様らの可能性にな」
「か、可能性……」
アリシアが目をキラキラさせながらオウム返しする。
「私たち、もっともっと強くなれるんですよね……?」
「それはもうな。楽しみにしておくがよい」
「ふふふ……私たち、もっと強く……」
ひとり呟きながら自分の世界にこもるアリシア。ニヤニヤ笑っている。
「おーい、戻ってこーい」
フラムがそんな彼女の眼前で手を振るが、いまだブツブツ言っている始末である。
「ほっとけ、こいつは前からそんなんだ」
ひょいと肩を竦めるルイス。
「わ、私がもっと強くなれる……(ブツブツ)」
「んで、魔王よ。これからどうすればいい。またおまえさんと戦えばいいのか」
「いや、それは効率が悪いな。というより、いまの貴様らでは我に勝てんぞ」
「んぐ。言ってくれるじゃねえかよ……」
まあ、召還された当時のロアヌ・ヴァニタスにさえ、奇跡的に勝てたようなものだ。
そんな魔王が本気を出したら――たしかに勝てる気がしない。
「経験値は戦闘に勝利せねば増えない。……そういうわけで、まずはこいつらを全滅させてもらおう」
そうロアヌ・ヴァニタスが告げた瞬間。
魔王の背後から、見るも夥しい影が出現した。
しかも相当に巨大だ。もしかすれば、帝都サクセンドリアの王城よりも大きい……
――いや。
無数の影が近づいてくるにつれ、ルイスはそいつらの正体を改めて認識した。
ゾンネーガ・アッフ。
過去に戦った強敵が、再びルイスの前に立ちふさがっていた。その数だけがどうしようもなく以前と異なっているが。
「おい……何体いるんだ、こいつら」
半笑いを浮かべるルイスに、前代魔王はこともなげに答える。
「さあな。千体はいるんじゃないか。たぶん」
「せ、千……!!」
さすがに甲高いを声を発してしまう。
いくらなんでも限度ってもんがあるだろう。
さっきまで昇天していたアリシアも、ゾンネーガ・アッフの軍団に気づいた途端、「ひょえ!?」とすっとぼけた声をあげた。
「ルイスさん、あれはなんですか?」
「修行相手だってよ。あいつらを全員ぶっ飛ばせなきゃならんそうだ」
「は、はあ……。すごいですねー……」
「…………」
なんつーとぼけた反応だ。なんだか頭が痛くなってくる。
「……ルイス。私が先陣を切る。攻撃は頼むぞ」
「お、おう……」
真面目な顔で一歩前に出るフラムだけが唯一救いに見えた。
「おっと、忘れるところであった」
ふいに前代魔王がそう呟くと、片手を空に掲げ、なにかしらの魔法を発動した。
優しげな緑色の光がルイスたちをすっぽり包み込み、そして消えていく。
「古代に伝わる補助魔法でな。一定期間、獲得の経験値が二倍になる」
「ほう……」
なんとも便利な魔法だ。
たしかに奴の言うとおり格段に強くなれそうだ。うまく成功すれば――だが。
「……よし」
ルイスは気持ちを切り替え、気合いを入れると、太刀の柄に手を伸ばした。
「アリシア、フラム。これも帝国と共和国のためだ。真剣にやり抜くぞ」
「はい……!」
「了解!」
そうしてルイスたちがそれぞれの武器を構えた――その瞬間。
一番先頭にいたゾンネーガ・アッフがぴたりと立ち止まり、なんとお辞儀してくるではないか。
「コチラこそ、おテヤワラカらかにお願いしますぅー」
「…………」
さすがにぴたりと硬直するルイスたち。
「……は? ……な、なんて?」
「デスカラ、コチラこそお願いしますぅ。オイラたちも魔王サマに無理矢理連れて来られたんですよぉ」
「…………」
ルイスはぎろりと前代魔王を睨みつけると、前代魔王はなんでもないかのように肩を竦めた。
「言ったろうに。我々には知性がある。特にこいつらは強いうえに頭もいいぞ?」
「…………」
「心配するな。回復手段はいくらでも用意してある。思う存分に戦うがいい」
「はぃい。ルイスサン、アリシアサン、フラムサン、ぜひお願いしますぅー」
「…………」
なんとも緊張感のない修行の、これが始まりだった。