おっさんの歴史と勇者の歴史 4
ロアヌ・ヴァニタスはふうと一息つくと、濁った液体の入ったグラスをぐいっと飲み干した。本当にあんなものが美味いのか、ぷはーっなどと言っている。
「どうした人間たちよ。せっかくの食事だ。もっと堪能してはどうかね」
「……いや。そう言われてもな」
困惑顔になるルイス。
ロータスの用意してくれた食事はたしかに美味いが、話の内容が衝撃的すぎて飯が喉を通らない。
「あ。ルイスさん。いらないなら私食べますよ?」
そんななかでも相変わらず図太いアリシアが、ルイスの卵焼きを奪い取る。そして止める間もなくそのまま頬張ってしまった。
「お、おまえって奴は……」
思わずジト目を向けるルイス。
「だって食べたかったんですもん。えへへ」
「えへへじゃねえよ……」
まあ、ルイスももうおっさんだ。若い頃より食欲も衰えたし、なによりいまは食事する気分じゃない。
ふと見れば、フラム・アルベーヌも遠慮なくご飯をかきこんでいる。二人してたいした胆力だ。
「こほん」
ルイスは咳払いすると、両手をテーブルの上で組み、前代魔王を見つめた。
「それで……教えてほしい。勇者エルガーは、そのまま魔物界に住み着いたのか?」
「うむ。最初は困惑していたが、すこしずつ慣れてきたようでな。貴様らとて、魔獣と会話する日が来ようとは思ってもいなかったろう?」
「そりゃ……まあな」
言いながらポリポリと後頭部をかく。
それを言うならば、ユーラス共和国の人間――フラム・アルベーヌと行動をともにしていることも、以前なら考えられなかったことだ。
言うまでもなく、現在の帝国と共和国には深い溝がある。にも関わらず、フラムはルイスたちについてきてくれているわけだ。
「そのような日々のなかで、エルガーは魔物界をすっかり気に入るようになった。絶対悪とされてきた魔獣だって、自分たちと同じ生き物だ……そう言ってたな」
すこしだけ、ロアヌ・ヴァニタスの声色に感情が混じった気がした。
「それと同時に、帝国に対する不信感も芽生えていたよ。これは単純な戦争じゃない。共和国や魔物界を潰すことでは平和は訪れない……そんなふうに語っていた」
そこで、ロアヌ・ヴァニタスはまっすぐルイスの眼光を捉える。
「だが、平和な日々は長くは続かなかった。帝国からの使者がやってきてな。勇者が戦線を離れた影響で、帝国は負けつつある……それを告げにきたのだ」
「…………」
「そして、侵入してきた共和国の兵士が、エルガーの母親を殺したと――使者はそう言った」
「え…………」
掠れ声を発したのはアリシアだった。さすがに食事の手を止め、前代魔王に言葉を投げかける。
「そんな……切ないことって……あるんですか……」
「うむ。だからエルガーは相当に悩んでいた。共和国も魔物界も滅ぼしたくない、だが自分が動かなければ、故郷が滅ぶ」
「そりゃあ……たしかにエグいな」
フラムもさすがに表情をひきつらせていた。
「それで……どうしたんだ……?」
尋ねるルイスに、前代魔王はこくりと頷く。
「聞くまでもなかろう。戦線に戻り、共和国と最期まで戦ったさ。魔王ロアヌ・ヴァニタスは殺したことにしてな」
「え……」
「まあ、さっきも言ったように魔物界は疲弊しきっていてな。絶宝球に狙われさえしなければ戦争に出向く理由もないし、滅んだことにすれば都合が良い。エルガーがそう提案したのさ」
「あの勇者が……」
ぽつりと呟くアリシア。
「それが奴にとって、せめてもの罪滅ぼしだったのだろう。殺さなくてもいいはずの命を沢山奪ってしまった――その重責はさぞ重かろうよ」
シン、と。
周囲に静寂が訪れた。
想像以上に苛烈な勇者エルガーの人生。
帝国であれほど勇者だ勇者だと祀り上げられていたエルガーに、そんな背景があったとは。もちろんのこと、皇族はこの内容をおくびにも出していなかった。古い文献にすら載っていないという徹底ぶりだ。
重厚な沈黙を、前代魔王ロアヌ・ヴァニタスが破る。
「だが……エルガーとて自暴自棄になったわけではない。『自分にはなにもできなかったけれど、再び世界に危機が訪れたとき、有望な人間にこの力を託したい』――そう言い出してな」
「…………」
「我はその願いを聞き入れた。鏡宝球の能力を用いて、勇者エルガーの《絶対勝利》、そして相棒の魔術師の強力な魔法をコピーすることにしたのだよ」
「あ……」
「強大な力のコピーはさしもの鏡宝球にも荷が重いようでな。それでもなんとか働いてくれた」
そして勇者エルガーは、鏡宝球にこう願ったという。
――世界に再び危機が訪れるとき、最も真面目で、最も努力家で、諦めない心を持っている二人の人間にこの力を託してほしい――
「あ……そ、それって……」
アリシアがぱちくりと目を見開く。
「うむ。察しの通り、ルイス、アリシア、貴様らは鏡宝球に選ばれし人間となったのだ。スキル獲得の前、妙な表記がステータスにあっただろう?」
「あ、ああ……」
ルイスは思い出す。スキル項目の欄に、《Bサ》という意味不明な表示があったことを。
あれは鏡宝球によるスキルコピー対象者の候補だったためだという。
「お、驚いたな。おりゃてっきり、レベルアップしたから《無条件勝利》を手に入れたもんかと」
「ああ。レベルアップもたしかにきっかけのひとつにはなっただろうが……よく思い出せ。レベルアップするまで、貴様らは《諦めない心》を持っていたか?」
「あ……」
思わず素っ頓狂な声を発してしまう。
言われてみればそうだ。
初めてレベルアップしたあのとき――ルイスはアリシアに抱きしめられ、《絶対に生きて帰りましょう》と諭された。
それまでは、自分に絶望していたしがない中年だったのに。
アリシアの涙のおかげで、あのときのルイスに新たな心が芽生えたのは事実だった。
「あ……私もそうです!」
アリシアもなにかを思い出したかのように手を挙げる。
「私も正直、自分の過去から逃げてました。でも、それでもルイスさんが受け止めてくれて……ギュスペンス・ドンナから守ってくれて……もっと頑張ろうって思えたんです」
「ふふ。わかったようだな」
前代魔王が満足げに頷く。
「ルイス、アリシア。おまえたちは以前まで、最底辺の冒険者に過ぎなかった。だがそれでも研鑽を怠らなかった結果、いままでの努力が報われ――それぞれに最強スキルを得た。これが経緯だ」