皇帝ソロモア・エル・アウセレーゼ
プリミラ・リィ・アウセレーゼは、どうしても緊張感を抑えられなかった。
今日は皇帝ソロモアが公式声明を発表する日。
帝国と共和国が激突し、緊迫感が高まるなか、父がいったいどのような声明を発信するのか……。皇女たるプリミラでさえ、まるで見当がつかなかった。
――昨日。
思わぬ力を発動し、帝国全土を闇色に染めた皇帝ソロモアは、続けて共和国へと侵攻を開始した。まだ混戦状態のようだが、直近の情報によると、こちらがかなりの優勢らしい。
これを受けて、ヴァイゼ・クローディアやレスト・ネスレイアを始めとする主要人物はいずこへと姿を消した。どこかで身を潜め、逆転の機会を窺っていると見られる。
だが――おそらく、無駄な抵抗だろうと思われた。
父がどこからともなく呼び出した《兵士》たちは見るからに強大だったのだ。共和国に在住する《黒装束》すらも蹂躙しているという。父がどこでそんな戦力を隠し持っていたのかは不明だが、力の差は歴然だった。
もはや戦争とさえも呼べない、一方的な制圧といえた。
――謁見の間。
普段は厳正な静けさに満ちているこの場所に、多くの人々が押し寄せていた。プリミラの兄弟を筆頭として、帝国の中枢を担う者たちだ。また魔術師も数名だけ在席しており、皇帝の声明を、帝国――いや、世界中に発信するのだと思われた。
「とうとう、この日が……」
「ああ。私の親戚も神聖共和国党にやられてね。共和国には憤慨していたところだよ」
「そうですね……。それで共和国は知らんぷりでしょう? おかしいですよ」
みな一様に興奮した顔つきをしていた。
憎きユーラス共和国に、とうとう報復ができる……
そのことに嬉しがっているようだった。皆あまり口に出さないとはいえ、共和国に対して反感を持っているのである。
でも――とプリミラは思った。
違う。
たしかに帝国の平和を願っていたけれど、私が望んだ世界はこんなのじゃない……
お父様……いったいなにを考えているのですか……
それとも、まだ私が幼いだけなのですか……
お父様……
皇帝ソロモア・エル・アウセレーゼが現れたのは、それから数分後のことだった。ヒソヒソ話をしていた重鎮たちも、頭を下げ、重ねた両手を腹部にあてがっている。
帝王はその様子に満足げに頷くと、玉座に腰を下ろし、足を組んだ。そのまま魔術師を向いて言う。
「術を発動しろ。帝国と共和国だけではない。全世界に存在する、中小の国にも届けるのだ」
「ハッ。準備はできております」
「うむ」
帝王は再び満足げに頷くと、おもむろに立ち上がり、両手を広げて言った。
『世界に住まうすべての人々よ! 突然の演説、申し訳ない! 私はソロモア・エル・アウセレーゼ! 帝国サクセンドリアを導きし王である!』
プリミラは思わず目を細めた。
なんという力強い声。
いま、父の声が、世界全土に響いている……
『諸君もご存知だと思うが、我が隣国――ユーラス共和国が、大勢の兵士を従えて、我が国を侵略しにきた! これは重大事件である! こちらも大勢の死者が出た!』
『ユーラスの蛮行はこれだけに留まらない! これまでも、神聖共和国党という傀儡を通し、我が国に武力攻撃を行ってきた!』
『……それでも我々は、平和を愛する民族として、反撃はしてこなかった。いつかわかってくれるだろう……そう願っていたからだ。だが――事ここに至り、ヴァイゼ大統領みずからが公式声明を発表し、無実の罪をでっちあげてまで帝国を侵攻するならば――話は別である! 帝国に秘められし力をもって、反撃を開始した!』
『諸君に問いたい。私は間違っているだろうか? これまでさんざん痛めつけられてきた。こちらがなにも言わないのを良いことに、テロ行為を助長させ、我が国を取り込まんとしてきた。自国の民を守るために反撃することは……間違っているだろうか?』
――そういうことか。
プリミラは思わず唸ってしまった。
侵攻の口実をつくりあげ、国民や他国の共感を得る……
そのために、ソロモアはあえて共和国に手を出さなかった。
ヴァイゼ大統領が尻尾を出す、そのときまで……
なんということか。
プリミラはヴァイゼに踊らされてしまったが、そのヴァイゼすらも、帝王ソロモアは駒として扱ったわけだ。
そして。
帝国全域に広がる闇の壁、共和国を圧倒するほどの兵力……
こんな不可思議な力を見せつけられてしまっては、他国としても不用意な発言はできない。
つまり、反論できる余地がない。
『よって――私は今日、全世界に発表する。ユーラス共和国を、我が属国とすることを!』
おお……!
というどよめきを、何者かが発した。
『共和国の者たちは我々を《テイコー》などと呼んでいたらしいが……属国たる共和国の者どもにも、名称を与えねばなるまい。我が帝国初めての属国という意味で、共和国人には《イチ》という名前を与える。光栄に思うがいい。そして我が帝国人を崇めるがよい!』
ああ、お父様……
おおー! と歓声をあげる者たちに挟まれ、プリミラはひとり、うつむいていた。