おっさん、見つめられる(二回目)
「くそ、うざってぇな」
オルスはよろめきながらも、ゆっくりと立ち上がった。その覚束ない動きといい、さっきから酔っぱらいのようだ。
――本当に、いったいなにがあったというのか。
気になるところだが、いまは騒ぎを静めるのが優先だろう。
「…………」
ルイスは無言で太刀を構え、オルスと向かい合った。そのまま油断なくAランク冒険者の動きを窺う。
「おい、誰だあいつは……?」
「目が黒い……。テイコーじゃないのか?」
「大丈夫なのか、あいつ……?」
「知らんよ。だが、ギロンが適わなかったんだ。あいつに任せるしか、もう……」
周囲の住民たちがざわざわと声を交わす。
そんな彼らの様子が気に入らなかったのか、オルスはちっと舌打ちをかまし、憎悪に表情を歪ませた。
「なァんだよてめーはよ。急に乱入しやがってよォ」
「……おまえ、本当に俺のことがわからないのか」
「はあ? 知るかよ、おまえみたいなおっさん」
「…………」
冗談を言っているようにも見えない。本当にルイスのことを忘れてしまったのか。だとすればとんだ記憶喪失だ。
――待てよ。記憶喪失……
そこでルイスの脳裏に閃くものがあった。
神聖共和国党のリーダー、ヒュース・ブラクネス。
彼も、帝都襲撃事件の全容をほとんど喋ることができなかった。こちらから問いつめても、なにも答えることができなかったのだ。
また同じことが起きているのか……?
ふいにルイスは怖ぞ気を覚えた。
帝国での事件とほとんど同様のことが、共和国でも起きている。やはり、なにかおぞましいなにかが進行しているような……
「おるぁぁぁぁっぁあ!」
ルイスのそんな思考はふいに中断された。オルスがけたたましく叫びながら突進してきたからだ。
「ぬおっ!」
ルイスは慌ててオルスの剣を受け止める。正直、《無条件勝利》を使用していなかったら危なかった。
――ガキン!
耳をつんざく金属音が周囲に走り去る。
「くそ!」
オルスは血走った瞳をこちらに向け、ぎりぎりと歯軋りをした。
「なぜ当たらない! 俺様は本気で斬りかかったぞ!?」
「……オルス」
そこで初めて、ルイスは彼の名を口にした。
「もしおまえが《操られてる》だけなら、おまえに罪はない……」
「…………」
「だが、いまのおまえを放っておくわけにもいかない。わかってくれ。後でまた、いくらでも俺を馬鹿にして構わんからな」
ルイスはゆっくりと剣を押し出し、無理やりオルスを後方に押し出すと。
――心眼一刀流、一の型、極・疾風。
文字通り神速で振るわれた剣先が、オルスの身体を捉えた。奴が仰け反っている間に無慮百もの剣筋を叩き込んだが、たぶん、相手は視認すらできなかっただろう。それだけあっという間の出来事だった。
「かはっ……」
最後までなにが起きたかわからなかったのだろう、オルスは呆然とした表情のまま、その場に崩れ落ちた。
手は抜いた。
殺しまではしていないが、しばらくは意識が戻らないだろう。彼には眠っていてもらう。
「え……え?」
「もう終わったのか……?」
数秒の間だけ、静寂が流れる。
住民たちは、ぽかんと口を開け、ルイスとオルスとを交互に見つめていた。心眼一刀流はまさしく超高速の剣技。一般人には目に捉えることすら困難だろう。
「……相変わらずとんでもない技だな。あのAランク冒険者を瞬殺とは。いくら私でも、ああはいかんぞ」
そう言いながら隣に並んできたのはフラム・アルベーヌだ。
「Sランクに誉められるたァな。光栄だよ」
「はっ。なにを今更」
フラムは苦笑すると、旅館の扉を見つめ、表情を強ばらせた。
室内では、見るもおぞましい光景が繰り広げられているんだろう。想像したくもないが。
「……行くんだろ? このまま突入しちまうか」
「そうだな。他の入り口もなさそうだ。こっから正面突破するしかねえな」
ルイスは太刀を鞘に収めると、相棒――アリシア・カーフェイを探した。
まだ重傷の住民は多いようで、彼女は怪我人の手当てに追われている。手伝ってやりたいところではあるが、ルイスに魔法の心得はないし、ここは役割分担するのが得策だろう。
ルイスは視線を戻し、周囲の住民らに目を向けた。
「いまから俺たち二人で突入する。曲がりなりにも相手は冒険者だ。おまえたちはここで待機を頼む」
「…………」
数秒の間だけ、彼らは目を合わせると。
代表して、ギロンが一歩前に進み出た。
「ひとつだけ聞かせてくれ。あんた、名をなんという」
「……ルイス・アルゼイド。新人冒険者だ」
「ルイスか……。テイコー……いや、帝国の人に我が国の不祥事を押しつけるのは心苦しいが、頼れるのはあんたしかいない。頼む……」
ぐにゃりと表情を崩し、大の男が泣きそうになりながら言う。
「俺の妻と娘を……助けてくれ……。あんなひどい叫び声、もう聞きたくねえよ……」
「……はっ、なに言ってやがる。当たり前だろが」
ルイスは豪快に笑い、ギロンの肩をバンバン叩いた。かつて老年の剣士が自分にそうしたように。
共和国の国民たちは、差別意識こそ強いものの、人間性はなんてことない、普通の人だと――
それは身を以て知っていたから。
そしてなにより、弱い者の気持ちが痛すぎるほどにルイスはわかってしまうから。
「任せとけ。出身は関係ねえ。困ってるときゃお互いさまだ」
「すまねえ。頼む……」
そうして固い約束を交わすおっさん冒険者を。
またまた、フラムがじーっと低いところから見つめていた。
「……どうした。さっきから」
「あ。いやいや。なんでもない」
恥ずかしそうに頬を掻いて弁論する。
「なんでかな。自分でもよくわからんが、なんか、あんたのことを見ちまうんだよ」
「そりゃまた不思議なこったな」
「ああ。――と、こんなことを話してる場合じゃないな」
フラムは表情を切り替え、旅館の扉を見つめる。
「私が突破口を開く。ルイスは《無条件勝利》で敵を蹴散らしてほしい」
「ああ……。任せておけ」
かくして、ルイスとフラムは旅館に突っ込んでいった。




