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あの事件の裏側は

 サクヤ・ブラクネスは、自分の心拍が徐々に上がっていくのを感じた。緊張のあまり、額から嫌な汗が流れてくる。


 ――ヒュース・ブラクネスと面会してみないかい――


 大臣がそう持ちかけてきたのは今朝のことだ。


 帝都襲撃後、彼はしばらく意識のはっきりしない日が続いたという。ようやく目を覚ましたかと思うと、今度は裏返ったような悲鳴をあげ、赤子のように泣きじゃくるらしい。


 たった一言、《私はなにも覚えていない》という言葉だけは引き出せたようだが、これでは聴取もなにもあったものではない。

見張りの兵士もほとほと困っているとのことだ。


 だから大臣はサクヤに声をかけてきたのだ。身内であるサクヤが出向けば、すこしは落ち着くのではないかと。


 彼女としてもこれは願ったり叶ったりであった。

 あの温厚だった父が、なぜテロなどと愚かしい行為に走ったのか……。そして、なにも覚えていないとはどういうことか……


 娘として、どうしても知らずにはいられない。


 ――のであるが、同時に恐怖感も覚えてしまう。あのとき、父はサクヤの首をあらん限りの力で締め上げてきた。結果的には殺されずに済んだものの、あれはサクヤの知る父親の顔ではなかった。醜く歪んだ、悪魔の表情……


 だが、そろそろ怖じ気づくのは辞めにしたい。私は正規軍の兵士だ。帝国のために働く義務がある。


 そこまで覚悟を決め、サクヤはふっと立ち止まった。ちょうど拘置所の前に辿り着いたからだ。


 もう日が暮れ、多くの国民が眠りに着く頃だ。昼間はにぎやかな帝都も、この時間になると静かなものである。共和国に出向いたルイスとアリシアは、今頃なにをしているだろうか……頭の片隅でそんなことを考える。


「あ、サ、サクヤ様……!」


 こちらの姿に気づいた兵士が、すっと姿勢を正す。


「見回りご苦労。特に異常はないか?」


「はっ。その……ヒュースはときどき奇声を上げておりますが……」


「……そうか。そのヒュースに面会しにきたのだ。大臣から話は聞いているだろう?」


「はっ。存じ上げております」

 兵士はまたもぱっと背筋を伸ばすと、拘置所のドアを開ける。

「ご案内致します。こちらへ」


「悪いな。お願いしよう」


 ユーラスの動向を警戒してか、拘置所にも普段以上の警備が施されているようだ。以前であれば、ドアの前で警備している兵士などいなかったはずだが。


 部屋に入ると、まずカウンターに出る。本来ならばここで受付を済ませることになるが、軍人たるサクヤにそれは必要ない。受付の男が会釈するのを確認して、サクヤたちは牢屋の並ぶ通路に出た。


 薄暗い室内。

 等間隔で牢屋が並び、中には生気のない犯罪者ががっくりとうなだれている。だが、重大な犯罪を犯したテロリストの首謀者――ヒュース・ブラクネスはここにはいない。


「……こちらです」


 案内役の男が、一番奥の扉の前で立ち止まる。

 厳重に作成された、鉄製の扉。見るからに圧迫感のある巨大扉の奥に、あの人がいる……


 ふと、案内役の男が気遣うように見上げてきた。


「サクヤ様……よろしいでしょうか?」


「ああ。気にするな。扉を開けたら、すまないが君は退がってくれないかな」


「は。承知しました……!」





 


「…………」


 変わり果てた父の姿を、サクヤは直視することができなかった。


 ふくよかだったはずの体型は、目を疑うほどにやつれている。

 目元もひどく落ちくぼんでおり、顔も真っ青だ。


 別人。

 まったくの別人だ。

 あの事件からそれほど経っていないはずなのに、いったいなにがあったというのか……


 テロリストの首謀者――ヒュース・ブラクネスは、鉄の椅子に座らされていた。後ろ手に鎖が撒かれており、腕には緑色のリストバンドが巻かれている。MPを大量吸収する特殊なバンドだ。


「ああ……」

 そのヒュースの視線が、ゆっくりと、緩慢な速度でこちらに据えられる。

「君は……そうか……サクヤさん……」


「…………」


 声にもまるで生気がない。しかも自分の娘にさん付けとは。性格までも変わってしまったということか。


 サクヤは両拳をぎゅっと握り締め、数秒間、その場にうなだれていた。やがて、ぽつりぽつりと声を発する。


「……私は軍人だ。国に仕える兵士として、貴様のような人間を許すわけにはいかない。だが――」


 両手からそっと力を抜き、サクヤはヒュース――否、父親を真正面から見つめた。


「今日は、軍人としてではなく……あなたの娘として来ました。お父様……なぜ、あのようなことをされたのですか……!!」


「ああ……サクヤさん……あなたはサクヤさんか……」

 ヒュースは虚ろな声でそう言うと、ゆっくりとまぶたを下ろした。

「ずっと……ひどい夢を見ているのだよ……みなが私を罵倒ばとうし、暴力を振るう……。そんな夢を、ずっと……」


「夢、ですか……」


 おそらくそれが、ロアヌ・ヴァニタスが父に課した《罰》なのだろう。


 聞いた話によれば、ヒュースはふいに昏睡状態に陥ることがあるようだ。毎夜の睡眠だけでなく、こうした強制的な眠りでもおぞましい夢を見させられているのだろう。


 死よりも恐ろしい恐怖とはこのことだ。前代魔王の名は伊達ではない。


 しかし――これも父が背負うべき罰だ。同情はすべきではない。


「父上……。事件のことを覚えていないというのは……本当なのですか」


「事件……。ああ……あの、私が帝都を襲ったという……」

 ぼんやりとした口調に続いて、ヒュースは焦点の定まらない視線をサクヤに添える。

「仕方ないだろう……。覚えていないものは覚えていないし、私はそんなことやっていない……」


「…………」


 記憶が飛んだ――と見るべきだろうか。

 正直に言って、錯乱しきった父の言葉はまるで信用できない。単に忘れただけではないだろうか。


 一瞬だけそう思ったサクヤだが、ふと、そうではないと思い直す。


 事件のことをまるで覚えていないと証言したのは、なんと父だけではないのだ。他の党員も同様の供述をしているのだという。


「記憶にないのなら仕方ありません。他に覚えていることはありませんか」


「覚えていること……ああ……」

 無精ひげの目立つ口元から、力のない声が発せられる。

「そういえば、薬草を採取しているとき……変な奴に声をかけられた気がするな……」


「変な奴……」


「ああ。黒い仮面……黒い服……黒いマント……かなり怪しい格好だった……」


「…………」


 サクヤは言われた人物像を思い浮かべてみる。


 ――全身黒づくめ。

 確かにかなり怪しい格好だ。


 だが、いまのところそういった不審者の目撃情報は届いていない。あるいはギルドには相談が寄せられているのかもしれないが、少なくともサクヤは《黒づくめの男》の話は聞いたことがない。


 もしかしたら相当の手練れなのかもしれない。誰にも気取られず、密かに何事かを企む謎の輩……


 と、ふいに。


「サクヤ……さん」

 ヒュースの声音に変化が起きた。

「帝都を襲ったことは覚えてないが……すこしずつ、思い出してきたよ……」


「え……」


「帝国を滅ぼす画策……魔獣の大量召喚……私は……とんでもない、ことを……」


「ち、父上……」


 家族と再会したことで、父にもなんらかの変化が訪れたのだろうか。さっきまでは生気のない声だったのが、いまはやや悲哀さを帯びた声色になっている。


 そして。

 サクヤは一瞬だけ、感じた気がした。

 優しくてたくましくて……家族思いだった父の匂いを。


「サクヤ……。私の大事な……私の娘……」


「ち、父上……! い、いまなんと……!!」


 だが、ヒュースが二の句を継げることはなかった。


 呪いが再発し、彼はまたしても、深い眠りにはまっていくのだった。

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