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16.決別

『アッハハハハハハ‼︎ 凄い、凄いぞ! 魔力が無限に湧き上がってくる!』


 巨大な黒竜の喉から、どこか籠ったようなオルコの声が聞こえてくる。

 闇そのものが形になったような、黒々とした鱗。

 その竜の瞳は──オルコと同じ緑色をしていた。


『これがイフリートの……ジャルジー様が従える竜の力! この力さえあれば、お前達なんて一瞬で灰にしてやれるぞ‼︎』


 興奮して飛び上がった黒竜は、凄まじい瘴気を放ちながら旋回している。

 ばさり、ばさりと翼をはためかせる度に、瘴気が舞う。

 これはもう、伝説に語られる魔獣というより……。


「邪竜……だわ」


 私が漏らした言葉に、殿下が同意する。


「ああ……。あの禍々しさは、まさしく邪竜のそれであろう。あの男が、まさかイフリートとの融合を果たすとは……」


 耳をつんざくような咆哮を上げながら飛び回る邪竜を見上げ、私は目の前の現実を受け止めようと必死で頭を回転させた。

 オルコとイフリートが光に包まれる直前、彼は何やら複雑な魔法陣を展開させていた。

 その魔法陣を見たシャルマンさんが、何らかの異常を察知していたようだったけれど……。

 それが他者との融合──人とドラゴンが融け合う為の魔法陣だったとは、誰が予想出来ただろうか。少なくとも、この場に居る全員にとって、あの邪竜の誕生は想定外だったに違い無い。

 瘴気を振り撒く邪竜を火山の外に放てば、世界は崩壊の一途を辿るだろう。

 そんな事態は、何が何でも阻止しなくてはならない。この場に立つ私達が、命を懸けてでも──あの邪竜を必ずや討ち滅ぼさなくては。


「でも、どうやって……」


 瘴気を放つ相手ならば、その瘴気を浄化してしまえば良い。

 けれど、フランマは私の呼び掛けに応えてくれない。何らかの妨害を受けているのだろうけれど、それを突破する手掛かりすら見付かっていない。

 邪竜の目を掻い潜って、グラースさんと団長さんがヴォルカン王子達をこちらに避難させてくれたけれど、彼らが目覚める気配は無い。

 彼らは直前にオルコから魔力を奪われていたようだから、意識が混濁しているのだろう。

 そもそも、彼らとの戦いでも、三人の御子達が大精霊を喚ぶ様子は見受けられなかった。

 恐らくは封印を恐れた魔女が、彼らにまで妨害工作を施していたのだろう。そうなると、彼らに浄化を任せるという方法も選べない。


 こんな状況で、私に何が出来るだろうか。

 フランマを喚び出せない私には、皆を癒す事しか……戦えない私を庇いながら傷付いた彼らを癒す以外に、出来る事なんて……!


 自分の不甲斐なさに、悔しさと涙が込み上げてくる。それを誰にも悟られないように、無言で俯き顔を隠す。

 しかしその時、私の頭上から、優しい声が降り注いで来たのだ。


「そんな顔をなさらないで下さい、フラム」

「グラース……さん……」


 顔を上げると、グラースさんがそこに居た。

 先程までの戦いで純白の髪は乱れ、彼の肌も砂埃や細かな傷によって、普段の華やかな輝きを曇らせている。

 けれども彼の青空のような爽やかなブルーの瞳には、私のよく知る輝きが──私の愛する人の魂の輝きが、強く宿っていた。


「私達はあの邪竜を……彼を従える魔女を打ち破ります。それにはフラム、貴女の力が必要不可欠なのです」

「でも、私は今何も……瘴気の浄化も出来ないのに、私なんて……」

「それは違うわよ、フラムちゃん」


 シャルマンさんは邪竜から視線を逸らさずに、両手に携えた水晶玉に魔力を込めながら言う。


「アナタの治癒魔法は、アタシ達の(かなめ)なの。何故なら、皆を癒せるのはフラムちゃんしか居ないから。アタシは魔術師団の長ではあるけれど、残念ながら万能の魔術師じゃないわ。アナタが同じ戦場に立ってくれているから、アタシ達は安心して戦えるのよ」

「シャルマンさん……」


 すると、サージュさんが意識を集中させ、みるみるうちに彼の魔力が高められていくのが伝わって来た。


「僕だってな、まさか自分が世界の命運を賭けた戦いに加わる事になるだなんて、夢にも思わなかったさ。……不安に感じているのは、あんただけじゃない。僕達は生まれて初めて、こんな人生の大舞台に立っているんだからな」


 続いて、ティフォン団長が大きく息を吸ってから、自身の愛剣に魔力を込めた。

 彼の剣に嵌め込まれた緑色の宝石が、まばゆく煌めいている。


「フラム。俺達は、お前のような特別な存在じゃない。それでもな、護りたいものは皆同じなんだよ。……俺の大切な部下は、こんなところで折れるようなタマじゃない。ここで世界を救った後は、この戦いで傷付いた皆を助けてやるんだ。それが俺達の──王国騎士団の専属治癒術師、フラム・フラゴルの夢ってやつだろ?」

「サージュさん……団長さん……」


 クヴァール殿下は静かに私に目を向け、一瞬眉を下げた。

 しかし、私が瞬きをした次の瞬間、この目に映るのは誇り高き第一王子の凛々しい顔だった。


「……そなたは、そなたらしく前を向け。私は私の愛する国を、民を──そして、そなたをいつまでも見守っていたいと思う。そなたが幸福であるのなら、そなたの隣を歩む者が誰であろうと構わない。その為ならば、私は喜んで剣を取り、舞い踊ろう。それが私の……私個人の、愛の形なのだから」

「殿下……っ」


 彼はきっと、私がグラースさんを好きだという事を知っている。

 その上で彼は、自身の幸せよりも、私の幸せを優先してくれたのだ。

 私は……彼の気持ちに応える事は出来ない。けれども、私は彼のその心遣いに、何度も助けられてきた。

 声が震えるのを堪えながら、私は言葉を絞り出す。


「……ありがとう、ございます」

「礼はここを切り抜けてからで良い。その暁には、いつか約束したそなたの手料理で、小さな祝宴を開こう。この場に集った者達と共に、な」

「……はいっ!」


 殿下の言葉に、私は大きく頷いて応えた。


 そして、グラースさんはくるりと前を向き、私に背を向けた。

 その背中に今すぐにでも抱き着き、恐怖や不安を和らげたい衝動を抑え、ぐっと奥歯を噛み締める。

 傷付きやすくて繊細で、けれども淡雪のように優しくて──私を一人の女性として、真っ直ぐに愛してくれる人。

 彼は私だけを見てくれる。そんな彼が一心に愛情を向けてくれるからこそ、私はもう一度恋をする事が出来たのだ。


「……これまでの全てに、決着をつけましょう。貴女を傷付けたあの男を──邪竜オルコを、私のこの手で断罪します。ですから、どうか見守っていて下さい。私の想いの全てを、この剣に込めます」


 グラースさんは静かに、けれどもはっきりと宣言した。

 その声に迷いの色は無く、一切の怯えも躊躇いも無い。


「……私、皆さんを信じて、私に出来る全力で、精一杯の事をやってみせます! 皆さんが私を信じて下さっているのに、自分で自分を疑っちゃ駄目ですよね。ですから必ず、皆で無事にアイステーシスに帰りましょう!」

「ええ、勿論です」

「やれるだろ、俺達なら!」

「愚問だな」

「思いっきりやっちゃうわよ!」


 私の呼び掛けに、彼らはそれぞれ頷いた。

 すると、殿下は溶岩の海の上で舞う邪竜に剣先を向け、高らかに声を上げる。


「……相手は伝説の竜種と融合し、魔女と御子達の魔力を受けた邪竜である! 我らアイステーシス王国の誇りを胸に、今こそ彼の者を討ち果たそうぞ‼︎」

「おう‼︎」


 私達は心と声を一つに、凶悪な邪竜と対峙した。


『何をやっても無駄無駄無駄ァ! 僕は地上最強の男なんだ! お前らなんて僕の敵じゃないんだよぉ‼︎』


 猛る邪竜オルコは翼を大きく動かすと、私達に瘴気の風を浴びせてきた。

 しかし、そこでティフォン団長とクヴァール殿下が動いた。

 二人はそれぞれ剣を交差させ、聞き慣れない詠唱を開始する。


「我が呼び声に応えよ、風の精霊よ!」

「我が呼び声に応えよ、光の精霊よ」


 団長の剣は優しい緑色の光を、殿下の剣は清らかな白い光を放ち始めた。


「我らの魂は、邪気を退ける純白の風となり──」

「我らの敵を戒める聖剣とならん!」


 その二つの光は互いに溶け合い、淡い新緑の色を宿していく。

 そして、彼らは声を揃えて魔力を解き放った。


「《ブラン・ティフォン・エペ・サクレ‼︎》」


 二人の剣から解き放たれた聖なる風は、邪竜の放った瘴気と激しくぶつかり合う。

 新緑と暗闇の風の渦が、ごうごう、びゅうびゅうと音を立て──次の瞬間、互いに弾けて消し飛んだ。

 弾けた瘴気は宙に散り散りになり、邪竜の体内へと戻っていくのが見える。


「やった……か……?」

「どうやら、そのよう……だな」


 けれども、その代償はあまりにも大きかった。

 風と光、二つの属性を合わせた複合魔法。それも、瘴気に対抗する程の大魔法を放ったのだ。

 彼らの身体からはごっそりと魔力が消耗され、激しい運動をした後のように、ぜえぜえと息を切らしていた。

 私はすぐさま殿下達の元へ駆け寄り、ポーチの中から魔力回復効果のあるポーションの瓶を差し出した。


「これをどうぞ。これを飲めば、少しは身体が軽くなるはずですから……!」

「ああ、感謝する」

「これ、同じ事をもう一度やれって言われても出来るかねぇ……」


 殿下は一気にポーションを飲み干すと、空になった瓶を私に返しながら言う。


「身体が保つまでは、何度でもやってもらうぞ。今は瘴気への対抗手段が限られているのだ。特別手当を弾ませるから、もうしばらくは堪えてくれ」


 殿下のその発言に、団長さんは苦笑した。


「へへっ、どうせなら特別休暇も欲しいですねぇ……。ああ、勿論このゴタゴタの事後処理が終わってからですよ?」

「善処しよう」


 そんなやり取りの傍らで、瘴気の風を防がれたオルコが怒りを露わに怒鳴り散らしている。


『凡人如きが僕に歯向かうなよ! 大人しく僕に殺されろ! 僕が一番強いんだから、さっさと皆であの世へ行っちまえぇぇぇッ‼︎』

「確かにアナタ個人なら強いかもしれないわ。でもね、人間の真なる強さっていうのは、団結してこそ輝くものなのよ! お馬鹿さんっ!」


 豪速球で、複数の物体が邪竜目掛けて飛んで行く。

 その正体は勿論、シャルマンさんが思い切り蹴り出した水晶玉だ。


「空中戦だってアタシにお任せよ〜! さあ、思い切りぶちかましてあげるわ! 《エタンセル……エクスプロジオン‼︎》」


 彼の詠唱によって、邪竜に迫ったいくつもの水晶玉が、爆音と共に弾け飛ぶ。

 少なくともアイステーシス王国ではシャルマンさんにしか扱えない、特殊魔法に分類されるこの魔法。

 その爆発は過去にブー・クロコディルの泥の鎧をも吹き飛ばしたが──今回もその効果は遺憾無く発揮される事となった。

 邪竜の鱗は爆発をもろに受けた箇所が砕け、剥がれ落ちた。そこに更に追い討ちを掛けるように、シャルマンさんは新たに取り出した水晶玉を蹴り込み続ける。


『クソぉ……どうなってんだよ、この魔法は‼︎ こんなの……こんなのジャルジー様は教えてくれなかったじゃないかぁぁ……‼︎』


 何度目かの爆発の後、邪竜オルコはその巨体を岩盤の上に叩き付けるようにして落下した。

 そこから先は、地属性魔法のプロフェッショナルの出番である。


「そうやって、あんたはいつも自分の失敗を他人のせいにしてきたんだろう。どうせそういう奴に決まってる。僕の父親とそっくりだからな」


 どうにか立ち上がろうと足掻く邪竜の前に、一歩ずつ静かに前進するサージュさん。

 その後ろ姿には、どこか物悲しいものが感じられた。


「だから僕はあんたみたいな奴が大嫌いだ。死ぬ程嫌いだ。おまけにあんたはフラムの婚約者だったんだろう? あんなに心優しい女性の心を踏みにじった上で、魔女なんかの手下になり下がったんだよな。それはもう確実に彼女の人生の汚点だよな。なら、あんたはしっかりその罪を償うべきだ。あんたが彼女の人生に関わった事を後悔させてやらないと。ああ、間違い無い。絶対そうだ」


 恐ろしさを感じる、冷たい声。

 どこで息継ぎをしているのか分からない程の早口で告げられたその言葉の裏に、彼は何を思い起こしているのだろう。

 けれども、今の彼に声を掛ける事は躊躇われた。

 サージュさんはゆっくりと拳を握り締め、言葉を紡ぐ。


「……我が呼び声に応えよ、大地の精霊よ。我が拳は、全てを砕く大地の鼓動なり」


 そして、大きく勢いを付けて、鱗の剥がれた邪竜の脇腹に拳を叩き込んだ。


「一発で終わると思うなよ……? 《ポワン・トランブルマン……ドゥ・テールッ‼︎》」

『ぎゃああああああああっ‼︎』


 右手、左手、右手、左手……。

 降り注ぐ岩石の如き拳が次々と繰り出される容赦の無い攻撃に、オルコは情け無い叫び声を上げてのたうち回る。

 その一発一発が、ドムッ、ドムッ、と重い響きをもたらし、私達の鼓膜を振動させる。


『グブッ……! ガァッ……、こん、な……どうし、て……!』


 どれだけの時間、殴り続けていたのだろう。

 ある程度魔力を使い果たしたのか、ふとサージュさんが手を止めた。

 邪竜は見るも無残な姿となって、口からごぷりと真っ赤な血を吐き出していた。


「……口ほどにも無かったな。どれだけの力を手に入れようが、それを使いこなす器というものが、あんたにはまるで無かったらしい」


 ぐったりとうつ伏せに倒れ込んだままの邪竜に背を向け、サージュさんはこちらへ戻って来る。

 すると、グラースさんとすれ違いざまに彼が言う。


「アレにとどめを刺すのは、氷の騎士──あんたの役目だ。あんたが彼女を……幸せにしてくれ」

「……ええ、言われなくとも」


 グラースさんは真っ直ぐに前を見据え、歩き出す。

 私達はその背中を見守りながら、彼が唱える魔法の光と、すっかり辺りに満ち溢れた精霊の気を全身で感じていた。


「我が呼び声に応えよ、氷の精霊よ」


 クヴァール殿下とティフォン団長の大魔法と、シャルマンさんによる複数回の爆炎魔法。

 そして、長時間に渡って行使された、サージュさんの地属性の強化魔法。

 彼らの魔法によって集った精霊達の気と、霧散したマナによって、グラースさんの詠唱がより強固なものとなっていく。


「我は願う。我が敵を呑み込む、絶対なる久遠(くおん)真白(ましろ)を今ここに」


 更にこのスフィーダ火山には、星の命の脈動とも言える地脈がある。

 それらの環境が整っているからこそ、本来であれば彼の実力では制御しきれない大魔法の発動を可能にするのだろう。

 詠唱により、彼の魔力が、星の魔力(マナ)が、精霊の気が一つの意思として統一されていく。

 天高く掲げた剣の周囲に、膨大な水色の魔力が渦巻いている。

 そしていよいよ──その全てが彼の意思をもって行使される瞬間が訪れた。


「出でよ、白の大波──《プリュ・フォール・アンピュルシオン……アヴァランシュ!》」


 彼が剣を振り下ろすと同時に、とてつもない量の雪崩が邪竜を襲う。


『やだ……嫌だっ……! 僕はまだ死にたくない‼︎』


 邪竜の叫びは、その巨体ごと白の波に押し流された。

 雪崩の勢いは止まる事を知らず、邪竜の巨躯をずんずんと煮え滾るマグマへと押し進めていく。

 それに気付いたオルコは叫ぶ。


『分かった、分かったよ! 君達の方が僕よりずっと強い! 勝者には従おう、だから! だからどうか、僕を……』

「貴方はそう言って命乞いをする女性達を、何人も手に掛けてきたのでしょう? そんな貴方の最期には似合いの場です。貴方によって振り回され、踏みにじられた女性達の怒りを、その骨の全てがマグマに溶かされる最後まで──存分に味わいなさい」


 何度も思う。

 どうして私は、オルコと婚約してしまったのかと。



 彼には友人が居なかった。共に笑い合えるような、気の置けない友など、一人も紹介された事が無かったのだ。

 彼の家の裏事情を知った今ならば分かるけれど、オルコだって望んでドラコス伯爵家に産まれた訳では無い。

 彼の側に居たのは、お金で雇った用心棒達と、お屋敷の使用人達と、私だけ。

 オルコは早くに母を亡くし、伯爵家の地位を押し上げようとする多忙な父のもとで育ったのだと、彼とお酒を酌み交わした折に聞いた事があった。

 そんな彼の孤独を埋める余裕の無かった私は、毎日のように治癒術師としての勉強に明け暮れていた。


 ……今思えば、私が彼との時間をもっと大切にしていれば、オルコの凶行を止める事が出来ていたのかもしれない。

 けれど、そんな『もしも』を思い浮かべたところで、全ては後の祭り。

 オルコは私を殺そうとして、私は彼と戦う道を選んだ。

 掛け違ったボタンは、永遠に直す事が出来ない。私達の運命の終着点は、ここだったのだから。


『助け……助けて、くれ……! そ、そうだ……フラム! お願いだよフラム、僕を助けてくれ‼︎ 僕が全部悪かったんだ。君という婚約者が居ながら、他の女にうつつを抜かした僕がいけなかったんだ! 君を手に掛けた事も大きな間違いだった……! 全部、全部謝るから……フラム……‼︎』

「……それは出来ないわ」

『そんなっ……うぎゃあぁぁぁ‼︎』


 遂に邪竜の肉体は、どろどろの溶岩へと沈み始めた。

 痛みに我を忘れたオルコの叫びと、イフリートの絶叫が重なり合う。

 それに罪悪感を抱かない訳では無い。

 けれども彼は……あまりにも多くの人を殺めてしまった。

 人々の命を救おうという一心で治癒術師となった私とは、あまりにも対照的に。



 あの日、オルコが私を短剣で突き刺した記憶が蘇る。

 意識が遠のく私に対して、彼が告げた言葉が鮮明に呼び起こされる。



【さようなら、フラム】



 彼に告げる最後の言葉は、きっと、これが相応しい。

 私は彼と過ごした日々に別れを告げるように、こう言った。



「──さようなら、オルコ」



『ウガッ……ギッ……! グアァアアアアァァッッ‼︎』


 邪竜は断末魔の叫びを上げると、どぷん……とマグマに沈んで消えた。

 悲しいとは、思わなかった。

 ただ、苦しいと……そう、感じるのだ。


「……これで、良かったんですよね」


 魔法の雪崩は止み、周囲の温度でみるみるうちに雪が溶けていく。

 それをぼうっと眺めていると、戻って来たグラースさんが、私をそっと抱き締めた。


「彼は……邪悪に呑まれてしまった。今の私達では、こうする事しか出来なかったのだと……そう、思います」


 ですから、とグラースさんが言葉を続ける。


「……どうか、泣かないで。これは、避けようの無かった戦いです。貴女一人が責任を感じる事ではありません」

「泣いて……ましたか……?」


 彼はそっと身体を話すと、いつの間にか私の頬を伝っていた涙に唇を寄せた。


「貴女の涙を、私が受け止めます。彼にあのような最期を与えたのは私です。貴女の悲しみは、私が共に背負いましょう」


 あまりにも理解の範疇を超えた出来事に、頭と心のバランスが取れていないのだろう。

 流した涙がどんな意味を持つものなのか──私自身、よく分かっていない。

 けれども、少なくとも私は……過去の私は、彼に少なからず好意を寄せていた。

 その頃の私の心が、彼の死を悼んだのかもしれない。





「残るは魔女ジャルジーの討伐、もしくは再封印だが……。ヴォルカンらが目覚める様子は無いか?」

「そうですね。無理矢理ではありますが、魔力回復のポーションを飲ませています。でも、それでもまだ意識が戻らないとなると……」


 邪竜との決戦の後、私は意識を失ったままのヴォルカン王子達の診察を開始した。

 王子とシャールさん、そしてメールさんの三人には、口移しでポーションを飲ませていた。

 ただし、男性に対してはサージュさんが引き受けてくれた。彼も医療の心得はあるから、特に大きな問題は無い。


「あの男の口振りでは、魔女もこの火山のどこかに潜んでやがるように聞こえたが……」

「闇雲に探すのも難しいわよねぇ。移動するにも体力を消耗するし、魔力感知を試してみても目立った反応は無いし……」


 この中で一番魔力感知能力に優れたシャルマンさんでさえ、魔女探しはかなり難しいものなのだという。

 大きな魔法を使った名残があればそれを辿れるそうなのだけれど、それすらも見付からない状況ではお手上げらしい。

 すると、殿下がこんな提案をした。


「古代種による脅威を跳ね除けた今、一度外に出て戦力を立て直すのも一つの手であろう。ヴォルカンらが目覚めぬ今、無理に魔女探しを続行するのは危険が大きい」

「それに、彼らを安全な場所で休ませた方が良いはずです。私は殿下のご意向に従います」


 グラースさんがそう言うと、私達もその提案を受け入れた。

 ひとまず騎士達を待機させている地点まで向かおうという事になり、ティフォン団長やシャルマンさんが誰を背負っていくかで話し合っている最中──異変が発生した。


 私達の背後──丁度オルコが沈んでいった辺りから、思わず身震いしてしまう程の凶悪な魔力を感じたのだ。

 ハッとして振り返ると、そこには黒衣に身を包んだ妖艶な美女が居た。

 その漆黒のドレスと紅い目を見て確信した。

 彼女は……太古の魔女、ジャルジーであると。


「ああ、口惜しい……。せっかくの逸材であったというに、こうも容易く手折られてしまうとは……」


 ふわりと宙に浮かぶその女性は、漆黒に染まった長杖の先端に取り付けられた真紅の宝石を撫でながら、私達を見下ろしている。

 グラースさん達は既に臨戦態勢で、鞘から剣が抜き放たれていた。


「魔女ジャルジー……! やはりここに現れたか!」


 団長さんの声に、彼女が微笑と共に反応する。


「ああ……。竜に堕ちた愚かな男の末路、狭間の空間からじっくりと眺めさせてもらっておったわ。しかし……此度の御子どもは、あまりにも脆いな。わらわはそれなりに警戒しておったのじゃが、実力を見誤っておったらしい」


 クスクスと笑う魔女の視線は私達──特に、倒れたままのヴォルカン王子達に向けられていた。


「大精霊を封じるまでも無い程度の力しか持ち合わせておらんかったわ。そのうえ……残った一人は非戦闘員ときた。これではわらわの勝利も確実すぎる。ああ、つまらぬなぁ……」


 残った一人とは、私の事だ。

 私はヴォルカン王子達のようには戦えない。サポートに徹する事しか出来ない裏方だ。

 大精霊も喚べず、まともに戦う術を持たない小娘だと──そう舐められているのだ、私は。


「……つまらなすぎるものじゃから、早に終わりにしてしまおう」


 すると、魔女は先程までの笑みを消して杖を振りかざした。


「ぐっ……あがっ……‼︎」

「グラースさん⁉︎」


 魔女の仕業だろう。

 グラースさんが急に苦しみ始めたかと思うと、その身体がふわふわと高く持ち上げられてしまったのだ。

 彼は首の辺りを抑えながら、しかし片手には剣を握ったままもがいている。

 どうにかして彼を助けねばと手を伸ばすも、彼はもう私達の手の届かない高さにまで到達してしまっていた。


「なあ、そこの女」


 魔女は私だけを見詰め、


「そなたは、この男と恋仲なのだろう?」


 その美しい顔を、愉悦(ゆえつ)の笑みで大きく歪ませる。

 彼女のその凶悪な微笑みに、私の心臓はドクドクと激しく鼓動する。


「そんな相手と死に別れれば……





 そなたは、絶望してくれるじゃろう?」


 声が、手が、脚が、震える。


「何、を……」


 魔女は軽く杖を一振りした。


 その次の瞬間、禍々しい黒い稲妻が、グラースさんの胸を貫くのが見えた。


「さあ……そなたはどんな顔をしてくれる? わらわに見せておくれ、絶望の顔という奴を……!」


 ガランガラン、と音を立てて、グラースさんの剣が地面に落下する。

 と同時に、彼の口から漏れ出た真っ赤な何かが、飛沫を上げて飛び散った。



 ──私は、その光景が何なのかを理解した瞬間、頭が真っ白になった。

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