12.幸福の涙
「大地の神に仕える大神官ともあろう者が、まさか魔女派の人間だったとは……」
そう呟いた殿下の声には、驚愕の色が窺える。
団長さんやシャルマンさん達も同様に、それぞれ複雑な心境で考え込んでいるように見て取れた。
風土病に罹った私の治療を任されたルディイエ大神官は、魔女ジャルジーへの危険分子を排除すべく、私を神殿に閉じ込めようとした。
しかしその策略は失敗に終わり、彼は自ら命を絶った。
私が全てを話し終えると、グラースさんは強く握った拳を震わせていた。
「私がっ……! 私が貴女を一人にしてしまったばかりに、貴女をそのような危険な目に遭わせてしまった……‼︎」
治療が始まる前、私はグラースさんとサージュさんとは別の部屋に待機させられていた。
今思えばそれは大神官の作戦の内だったのだろうけれど、信頼出来る神殿の者として接していた彼からしてみれば、今回の出来事はあまりにも予想外だったはずだ。
私も彼の立場だったとしたら、自分では手の出しようが無い案件は専門家に任せるべきだと判断しただろう。
けれどもグラースさんは、全ての責任が自分にあるのだと言うように、激しい後悔の渦に飲み込まれようとしていた。
「ミスター・サージュの機転により、貴女は窮地を脱する事が出来た……。しかしそれは、私が貴女の警護を任された騎士としての役目を果たせなかった事の、何よりの証明です……!」
「グラースさんは悪くありません! 彼を警戒しておかなかった私の責任です。あの大神官と顔を合わせたのは私だけだったんですから、私が彼の企みに気付いていなければいけなかったんです!」
彼が抱く後悔や自身への怒りは、彼自身の責任感の強さ──そして、私の自惚れでなければ、私を大切に想ってくれているからこそ大きくなってしまう感情なのだと思う。
「ですがっ……、それでも私は……貴女を……!」
「よく聞いて下さい、グラースさん」
私はいつも彼に心配を掛けてばかりで、これまで何度困らせてしまったのかも分からない、そんな人間だ。
それなのにグラースさんは、こんな私に愛想を尽かさずにいてくれる。今も、そしてこれまでだって。
「私は……貴方や騎士団の皆さんからしたら、いつも危なっかしくて頼りない女だと思います。……でも! そんな私がここまで頑張ってこられたのは、皆さんのお陰なんです!」
「そのような事──っ⁉︎」
否定の言葉を口にしようとしたグラースさん。
そんな彼の唇に、私はそっと自身の指先を押し当てた。
「……本当に、皆さんのお陰なんです。だって皆さんは……皆さんが居るアイステーシス王国は、私の居場所なんです」
婚約者のオルコに裏切られ、夢も恋も、そして命すらも失おうとしていたあの日。
私は彼らに救われて、治癒術師として働ける場所を与えてもらえて──そんな新天地には、傷付いた私の心に優しく降り積もる雪のような人が居た。
グラースさんに出会ってからの日々は、毎日が楽しくて新鮮で……。
私はふと、金髪の逞しい騎士、ティフォン団長へと顔を向けた。
「……ティフォン団長。団長さんには、これまで何度も励まして頂きました。団長さんが開いて下さった私の歓迎会、とっても楽しかったです! あの時のお礼も兼ねて、この任務が終わったら、新年会に向けて料理を練習しようと思ってるんです。ただその前に、書類仕事のサボり癖は直してもらいたいですけどね?」
「さ、最近は結構真面目にやってるだろ⁉︎ それに、殿下の前で言う事ないだろぉ! ……まあ、新年会は俺も楽しみにしてるがな」
殿下の冷たい視線を浴びながら焦りを隠す騎士の隣に立つのは、美しいラベンダー色の髪の魔術師──魔術師団長のシャルマンさんだ。
「シャルマンさんには、美味しいお茶をご馳走して頂いたり、魔女の事でご実家にまでお邪魔させて頂いたり……。公私を問わず、いつも支えて下さっていらっしゃいますよね。……貴方の事は、絶対に解決してみせます。シャルマンさんには、これからも笑っていてほしいですから」
「……ええ。ありがとう、フラムちゃん。アタシもフラムちゃんの為なら、一肌も二肌も脱いじゃうんだからね!」
「ふふっ。こちらこそ、頼りにさせて頂きます」
そんな艶やかな微笑みを浮かべる美しい魔術師の横には、見慣れた黒いフードを纏う無愛想な青年が並ぶ。
けれどもその青年は、私と視線が交わると少しだけ表情が柔らかくなった。
「サージュさん。サージュさんは、私にとって騎士団のお仕事で初めての患者さんでしたね」
「ああ。ブラッドベアが森に出た時だったな。あの時あんたが騎士団に居なかったら、僕はあのままあいつに殺されていただろう。……だから今日、間接的にではあるが、こうしてあんたを助け出せて良かったと思ってる」
「私もあの日、サージュさんを助ける事が出来て本当に良かったです。サージュさんに色々な薬草やポーションについて教えて頂けたお陰で、見えてきたものがありました。これからもご指導、宜しくお願い致しますね」
そう言うと、彼は照れ臭そうに鼻を掻きながら頷いた。
私は次に銀色の髪の美青年、クヴァール殿下に目を向ける。
「殿下はカーシスの森で私を見付けて下さって、見ず知らずの他人である私の為に、いつも真摯に向き合って下さいました。あの日のご恩は、今も忘れていません。貴方がいらっしゃらなければ……私は今頃、この場には居なかったはずです」
「ああ、そうだったのかもしれぬな。……フラムよ。私はそなたが何者であろうと、どのような相手を選び取ろうとも、常にそなたの良き理解者となろう。これからも存分に頼ると良い」
「身に余る光栄です。私も、この先のアイステーシス王国の為に力を尽くして参ります」
深々と頭を下げ、私はこれまでの感謝を殿下に伝える。
顔を上げると、殿下は感慨深い面持ちで……けれども、どこか寂しさのようなものを感じさせる表情で、私に優しい満月色の目を向けていた。
そうして最後に、私は目の前に佇む純白の騎士を見上げた。
透き通るような空色の瞳。
雪のように白く、柔らかな髪。
いつもは穏やかな微笑みを浮かべるその表情は、不安の色に苛まれていた。
私は彼を怖がらせないよう、優しくその手を包み込む。
一瞬、ビクリと震えた指先。
その手はこれまで私と、そして護るべき民の為に振るわれてきた剣を振るうものだった。
しかしこの瞬間……このほんのひと時だけは、戦う為ではなく、互いの心を通わせる為の手段として、その感覚を解き放ってほしかった。
「……グラースさん。私はそんな皆さんが居るアイステーシスで、貴方と共に歩んできました。大切な人達を護る……。それは騎士である貴方も、治癒術師である私も同じ事。清く正しい騎士の模範である貴方は、私の憧れとも言える存在です」
「それは……それは、私も同様です。治癒術師としての誇りを持つ貴女の隣では、私もまた理想の騎士でありたいと……。そう胸に抱いた感情は、今でも忘れてはいません」
そう言葉を返したグラースさんは、少しだけ力を込めて私の手を握り返す。
その反応に、私は自然と口元が緩む。
きっと、私達は同じ事を考えているのだろう──そう、感じてしまったから。
「……私は、貴方のそんな所に惹かれているのだと思います。何事にも真っ直ぐで、私だけを見詰めてくれる──その淡い空色の瞳に」
「ええ、私も……。己よりも他者を優先し、恐れずに困難に立ち向かう貴女の姿に……私は強く惹かれています」
そして私達は、同時に同じ言葉を口にした。
「そんなあなただからこそ、私はあなたに恋をした」
私達が胸に抱いたこの想いは、間違い無く恋だった。
だからこの恋は、必ず実らせたい。
同じ理想を目指し、共に未来を歩む相手。
それはきっと、この人しか居ないから。
「……私はこれからも、グラースさんに心配を掛けてしまうと思います」
「私がそんな貴女を支えられる男になれば良いだけの事。そうでしょう?」
「グラースさんでも手に負えないぐらい、とんでもない事をしてしまうかもしれませんよ……?」
「何があっても貴女を護れるよう、この命を懸けて護り通すだけの事。愛する女性すら護る事が出来ないようでは、王国騎士団副団長の名に泥を塗ってしまいます」
すると、グラースさんは私の左手を軽く持ち上げた。
私の指先はみるみるうちに彼の口元へと寄せられて──
「……何より、貴女に相応しい男であれるよう、これまで以上に己を磨きます。もう二度と、貴女を離しはしない。どうやら自己嫌悪に陥るのは、私の悪い癖のようだ……。ですから、それも二度と致しません。その誓いを、この口付けによって証明しましょう」
──私の左手の薬指に、彼の熱い唇が落とされたのだ。
それはまるで、結婚の誓いを立てる指輪のようで……。
頬が熱くなるのと同時に、鼻の奥にツンとした感覚が染み渡る。
「……近い将来、この指によく似合う物をお送りします。返事はどうか、その時にお聞かせ下さい」
「はいっ……!」
その瞬間、堪えきれなかった雫が私の目からぽろぽろとこぼれ落ちた。
この世にこんなにも幸せな涙がある事を、私は彼のお陰で初めて知ったのだった。




