7.一面の紅
「あの、まだ時間が掛かりそうですか……?」
「申し訳ございません。我々も手を尽くしてはいるのですが、この奇病の治療は、慎重に行わなければならないのです」
この国の風土病に罹った疑いのある私は、治療の方法を知るという大地の神殿にやって来た。
案内された部屋では、伝統的な治療法を知る男性神官による治療が行われている。
中央の床には魔法陣が描かれており、その中心に私が座っている。部屋の四隅に建てられた赤い蝋燭が、どこか奇妙な雰囲気を醸し出す。
聞き慣れない言葉で呪文を唱え続ける神官。私は徐々に傾いてきた太陽を窓の外に見ながら、焦りを感じていた。
窓の外に見える、傾き始めた太陽。
夕方には、私達は火山に向かわなければならない。それまでにお城に戻らなくては、古代種討伐作戦に同行出来なくなってしまうからだ。
「ですが……もう間も無くで仕上げです」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、心配はご無用ですよ。間も無く……間も無くですとも」
神官のその言葉に、私は安堵した。
良かった。もうすぐ治療が終わるのなら、集合時間には充分間に合いそうだ。
……でも、妙だな。治療ももう終わる頃だというのに、身体の怠さは全く取れていない。
全ての詠唱を終えないと発動しない魔法……なのだろうか。
その時、室内は異変に包まれた。
私を取り巻く魔法陣が、禍々しい紅の色に発光し始める。それと同時に、頭の中を引っ掻き回されるような、強烈な不快感が私を襲う。
「うっ……ああぁぁあぁぁぁっ‼︎」
頭が痛い。
気持ち悪い。
涙が溢れ出る。
痛い……苦しい……っ! 頭がどうにかなってしまいそう……‼︎
すると、悶え苦しむ私の耳に、ひどく冷静な神官の声が聞こえてくる。
「魔術式は無事、完成したようですね」
「ぐっ……あ、貴方……私に、何を……!」
両手で頭を抱え、嫌な汗が噴き出している私に対し、彼は薄気味悪い笑みと共に私を見下ろした。
「炎の御子……貴女の自由を封じれば、我々が崇めるあのお方への被害を抑える事が出来る。貴女には、事が済むまで眠っていて頂きますよ」
「あの……お方……?」
思考が纏まらない。
私を封じて、得をするのは誰?
私は御子。炎の御子だ。
御子の力を脅威として捉えている人物といえば──
そこまで思考を巡らせたところで、視界は瞬時に紅に染まり──私の意識はぷつり、と途絶えてしまった。
******
「なあグラース、まだ治療が終わらないというのは妙じゃないか?」
ミスター・サージュのその疑問は、私が先程から抱いていたものと完全に一致していた。
そろそろ城に戻らなければ、我々騎士団をはじめとする救援部隊の出発時刻に間に合わなくなってしまう。
奇病の治療を受けるフラムと離された私と彼は、もう何時間も別室での待機を余儀なくされていた。
「治療にはそれなりの時間を必要とする、との説明は受けましたが……貴方の仰る通り、違和感があるのは間違いありません」
すると、向かいの席に座っていた彼が立ち上がる。
「……仕方無いな。少し席を外す。そこらを歩いている神官を捕まえて、治療の状況がどうなっているのか聞いてくる」
「分かりました。どうか、宜しくお願い致します」
任せておけ、と短く返事をして、ミスター・サージュは部屋を出て行った。
それからしばらく彼の帰還を待っていると、彼は女性の神官を引き連れて戻って来た。
神官は、心底申し訳なさそうに頭を下げる。
「治療を受け持つ者から、御子様のご病状は、かなり深刻であるとの報告を受けております。大変申し訳ございませんが、御子様の完治に至るには、まだ数日はお時間を頂戴してしまうかと……」
「……と、いう事だそうだ。どうする、グラース? 彼女は、安静にしておかないとまずい状況らしい」
「安静に、ですか……」
彼女がそこまで重い病に冒されていたとは、思いもしていなかった。
私の考えが甘かったのだ。私がもっと彼女の身体を労っていれば、フラムがこのような目に遭わずに済んだかもしれない。
見知らぬ土地で、見知らぬ病に身体を蝕まれている彼女。きっと今頃、彼女は自分に降り掛かった不安と恐怖に苦しんでいるはずだ。
私はぐっと奥歯を噛み締め、己の愚かさを呪った。
「……では、こちらに騎士を数人配備します。神殿の警備を疑っている訳ではありませんが、彼女は我が国……我が騎士団の要となる女性です。私は副団長として、任務に向かわねばならぬ身。せめて、私の代わりに彼女を警護する者を用意させて頂きたい」
そうは口にしたものの、本音を言えば、私自身がここに残りたかった。
しかし、私がここに居ても出来る事など限られている。彼女の無事を祈り、この部屋で待ち続けるぐらいが関の山だ。
私は自分の心が押し潰されそうになるのを感じながら、それを副団長というあるべき姿に押し込んだ。
「それでは私の方から大神官様へ、その旨をお伝えさせて頂きます」
私には、騎士としての使命がある。
それと同時に、私個人の願望もある。
そのどちらもを完璧に叶える事など、とても簡単ではない。それは分かっている……つもりだ。
「……最後に、レディ・フラムの顔を見てから出発したいのですが」
「大変申し訳ありませんが、現在それは難しいとの事でございまして……」
せめて、この程度のささやかな願いぐらいは……と思って口にした申し出は、ぴしゃりと却下されてしまう。
……ここで駄々を捏ねても仕方が無い。古代種を討ち倒し、無事にここへ戻って来れば良いだけだ。
そう自分に言い聞かせ、私は無理矢理に笑顔を浮かべる。
「……承知致しました。心残りではありますが……彼女の事を、どうか宜しくお願い致します」
スフィーダ火山への出発前に、彼女ともう一度顔を合わせる事は出来なかった。
神殿の外へ案内されながら、私とミスター・サージュは、長時間篭りきりだった部屋を後にする。
その最中、私と神官の後に続くミスター・サージュが、背後で何かを指示するような事を囁いているのが耳に届いた。
「頼めるか? ……ああ、何かあったら知らせてくれ」
「……独り言ですか? ミスター・サージュ」
彼の独り言が気になったので質問をしてみると、彼は少しだけ慌てたような表情を見せたものの、すぐに平静を装った。
「な、何でも無い。それより、早く城に戻るぞ。殿下や騎士団長に報告しなければならないんだろう?」
「ええ、それはそうなのですが……」
彼は何か隠している。間違い無く。
ミスター・サージュとは、団長程ではないものの、それなりに長い付き合いになる。
彼は人付き合いが得意なタイプではなく、動揺が言動に出やすい人間であると私は感じている。
ただ彼は、他人を害するような嘘や行動に出るような人物ではない。私には言えない事を隠している様子ではあるが、それはきっと必要な嘘なのだと思う。
そう確信した私は、それ以上彼の奇妙な行動に口出しするのを止めた。
ミスター・サージュは、優秀な魔術師だ。魔術師団に入団してもおかしくない──むしろ、あの組織に属するべき人物であるはずだ。
そんな彼が何かを計画しているのだから、ここは彼を信じてみるべきだろう。
「……では、参りましょうか」
「ああ」
時刻は間も無く、夕暮れに差し掛かろうとしていた。
私達は神殿の長階段を降りきり、ふと背後に目を向ける。
彼女を残して行く事は、はっきり言って不安でしかない。
この世界には、古代種以外にも多くの脅威が潜んでいる。魔物や野盗、復活した魔女と、それに心酔する魔女派と呼ばれる一派。それ以外にも、例を挙げていけばきりが無い。
清浄な空気で満たされた神殿であれば、魔物などからの被害を受ける恐れは無いだろう。
けれども、その効果を受けない者──人間の悪意というのが、一番恐ろしい。
あの神殿には、大地の神を崇める神官と、彼らと共に神殿を守護する神官騎士達も居る。ならば、そこに預けた彼女も無事である──と、思いたいのだが。
「どうにも胸騒ぎがしますね……」
後ろ髪を引かれる思いだけれども、流石にもう行かねばならない時間だ。
「……待っていて下さいね、フラム」
いち早く戻って来よう。
彼女が待つ、大地の神殿に──。




