5.悩める二人
「気分はどうですか、フラム」
そう言って、グラースさんはコップに入った飲み物を二人分、テーブルに置いた。
御子達による意見交換の後、案内された部屋で私はなかなか眠れずにいた。
それを気遣ってくれたグラースさんが、メールさんの所から水を貰ってきてくれたのだ。
「プリュイ様から、よく冷えた飲み水を頂いて参りました。レディ・メールも、この暑さで寝付きが良くないようです」
「そうでしょうね。この国はかなり暑いですから……」
私は腰掛けていたベッドから立ち上がり、少し離れた位置にあるテーブルに近付いていく。
手に取った水の入ったコップの表面には、室内との温度差によって発生した水滴が付いていた。それを一口喉に流し込めば、モヤモヤとした感情も洗い流してくれそうな爽快感があった。
「丁度喉が渇いていたので、とても美味しく感じます」
「それは何よりです。カウザのお二人には、後ほど改めてお礼を申し上げなければ」
「そうですね」
ぷつり、と会話が途切れる。
グラースさんは、今回の遠征で私の護衛として正式に任命された。これはクヴァール殿下の指示だ。
今、このスフィーダのお城には、私をはじめとした御子と各国の代表者──国王と王子が集まっている。
そこを魔女に狙われる危険もあるという事から、全ての御子にもきちんと護衛をつける事になったのだ。
だからこうしてグラースさんが私の部屋に居るのだけれど……。
普通に考えれば、女性の護衛をする騎士が深夜に部屋に入るなど、考えられない話だ。私も、相手がグラースさんでなければかなりの抵抗がある。
それはつまり、周りの人達にとっても今の状況はおかしな事で、これが切っ掛けで変な噂が立つ可能性もあるという訳だ。まあ、互いに好意を抱いているから間違いではないのだけれど。
それに、こうして彼が側に居てくれる事で助かっている面がある。
『癒す事しか能が無いのなら、貴女は大人しくここで待機していた方が良いのではありませんか?』
あの時、シャールさんにぶつけられた言葉が、今も頭の中にこびりついていた。
彼の発言に間違いは無い。
実際、癒しの水を扱える大精霊のプリュイ様が居れば、私なんかが居なくてもどうにでもなるだろう。
私は癒す事しか出来ない、戦う術を持たない女。その事実は、今すぐ覆せるようなものではない。
──私は役立たずなのではないか?
そんなネガティヴな思考に意識が沈みそうになると、何かに縋り付きたい気持ちになるのだ。
例えば、いつでも私の事を一番に想ってくれる人に──。
「……フラム、顔色が優れませんね。また先程の事を思い出してしまったのですか?」
「グラースさん……」
気落ちする私に、グラースさんが静かな声で語り掛ける。
「彼の言い分は……否定しきれない部分もあるのでしょう。ですが、それでも言い方というものがあります。私はどうしても、貴女を傷付けるような発言をした彼が許せません」
グラースさんは優しい人だ。
私がオルコに殺されかけ、朽ちるはずだった命を拾ったあの日から──グラースさんはずっと、私を見ていてくれた。
初任務でサージュさんを助けに、森へ向かったあの時も。
ベルム村の近くに現れた古代鰐を倒すべく、遠征に行ったあの時も。
彼と二人で、王都で買い物をしたあの時も。
殿下の生誕パーティーに向けて、ダンスの特訓に付き合ってくれたあの時だって、グラースさんはいつも私を見ていてくれたから。
出会ってから今日まで、私達は互いの様々な一面を見てきた。
だからこそ彼は、私がどんな思いで治癒術師を目指し、ここまでやって来たのかを深く理解している。
そんなグラースさんだから、シャールさんに嫌味を言われたあの時、彼はまるで自分の事のように怒ってくれたのだろう。例え、侮辱をされたのが私に対してだけであったとしても。
「貴女の治癒魔法の素晴らしさや、そこに至るまでの努力を彼は理解していません。理解するつもりも無いでしょう。貴女は周囲の者達だけでなく、御子として世界までもを救おうと、その小さな手で全てを護ろうとしているというのに……」
それを何も分かろうともしない彼が、私はどうしてもゆるせないのです、と彼は言った。
けれども私は、いくらあのエルフの騎士に見下されようとも、歩みを止めることはない。
私に出来るのは、治癒術師として患者さんを癒す事。そして、炎の御子として魔女に立ち向かう事。
自分にはそれぐらいしか出来ないのだから、せめてその役割だけはまっとうしなければ、全く話にならないもの。
私は両手で持っていたコップを置くと、ガントレット越しのグラースさんの手を取った。
「良いんです。あの人には、好きなように言わせておけば良いんです」
「ですがフラム、このままでは貴女の名誉が……!」
心配する彼に、私は笑顔でこう答える。
「もうすぐ古代種の討伐が始まります。そこでシャールさんに、私の実力を見せつけてやるんです! 炎の御子は──アイステーシス王国騎士団の治癒術師は、世界で一番凄いんだって教えてあげるんです!」
「フラム……!」
暗い表情をしていたグラースさんは、驚いたように目を見開いた。
それから間も無く、とろけそうな程に甘い笑顔を浮かべて、
「……そうでしたね。貴女はそういう女性でした。花のような笑顔の似合う、私達の大切な治癒術師です」
彼は力強く頷いた。
そうだ。いつまでも落ち込んでいるなんて、私らしくない。
どれだけ失敗しても、どれだけ出来ない事が多くても、持てる知識と経験を最大限に活かして前進する。それが私の生き方じゃないか!
「明日の日没前には、この城を出発します。作戦の詳細は覚えていますね?」
「はい。ヴォルカン王子率いるスフィーダ軍と、各国の救援部隊の戦力を二つに分けて、スフィーダ火山に向かうんですよね」
「ええ、そうです。私達アイステーシス救援部隊は、クヴァール殿下とカウザ王国救援部隊と共に西側から。ヴォルカン殿下は、スフィーダ軍と白竜騎士団と共に、東側から攻略します」
日没の間は大人しくしている火山の古代種は、夜になると火山内部の洞窟へと姿を消すのだそうだ。
私達は比較的安全になる夕方から火山を目指し、火山への到着を目指す。
そこからはいよいよ、四大国同盟による古代種討伐作戦の開幕だ。
「移動にはまた白竜騎士団が協力して下さるそうですが……そこからはほとんど休む暇が無いでしょう。目蓋を閉じるだけでも構いません。どうか、今の内に身体を休めておいて下さい」
「分かりました。グラースさんも、出来るだけ疲れを取っておいて下さいね? 多分、私よりも皆さんの方が大変でしょうし……」
私がそう言うと、彼は眉を下げて首を横に振る。
「いいえ、この程度の事は疲労の内に入りませんよ。ですが、貴女のお気持ちだけはしっかりと受け取らせて頂きます。私は部屋の前で待機していますから、何かあればいつでもお呼び下さい」
「はい。お休みなさい、グラースさん」
「お休みなさい、フラム」
彼はそう言いながら、バレッタを外して下ろしていた私の髪を一房手に取った。
何をするのかと思いきや、グラースさんはあまりにも自然な動作で、私の髪に唇を寄せる。
そんじょそこらの王子様より王子様力を発揮する彼に、私はこの地域の気候とは関係の無い熱を頬に宿してしまう。
髪自体に感覚なんて無いはずなのに、彼の指と唇が触れたそこに意識が集中する。まるで、彼に直接唇を奪われたような──
「それでは、良い夢を」
彼が最後に発した言葉で、私はハッと意識を取り戻す。
気が付けば、グラースさんはいつもの優しい微笑みと共に、静かにドアを閉めていた。
暑さで体力を奪われたからなのか、いつもと違う場所で会話をしているせいなのか。ほんの一瞬の事だったろうに、私の頭は普段の何倍もフル回転していたように思う。
真夏の魔法というべきか、いつもよりちょっと……いや、それ以上に彼にドキドキしてしまった。
ああ、駄目よ私。仕事とプライベートはきちんと分けなくちゃ!
グラースさんに見惚れるのは自然の摂理かもしれないけれど、今の私は炎の御子として遠征に来ているんだから。気持ちはしっかりと切り替えないと……!
「……でも、さっきのはちょっと……危なかったかも……」
彼の顔が近付いたあの瞬間、ふわりと香ったグラースさんの汗の匂い。
ああ、彼は本当に男の人なんだ──それを無意識に感じ取ってしまったのか、私は魔法で魅了されたかの如く、彼の色香に惑わされてしまったらしい。
その事を改めて思い返していたら、急に恥ずかしさがこみ上げて来た。
「……〜っ、は、早く休まないとっ! そう、そうよ。これはお仕事。これはお仕事なんだから。余計な事は考えないで、しっかりとお仕事に集中するの。私はアイステーシスの御子なんだから……!」
ああだこうだと必死に自分を説得しながら、私はベッドに飛び込んだ。
それから、どれだけ起きていたかは忘れてしまった。けれども、気が付けば私は眠りに落ちていた。
******
翌朝、レディ・フラムの部屋に朝食を運んだ後の事だった。
「体調が優れない……?」
「はい……。しっかりと朝ご飯は食べられたんですが、どうにも身体が重くて……」
彼女に割り当てられた部屋のベッドに、私の愛しい人は青白い顔で腰掛けている。
「暑さで体調を崩してしまったのでしょうか……。ひとまず、すぐに団長に報告して参ります。何か良い薬でもあれば、すぐにこちらへお持ち致します」
「すみません……。ありがとうございます」
具合の悪い彼女を一人にするのは危険なので、私は途中で顔を合わせた部下のルイスに、彼女の部屋の警護を引き継いだ。
彼女が何か必要なものがあれば、すぐにそれを用意するようにとも言い付けてある。
今日の夕方にはここを出なければならないが……それまでに彼女が回復する確証も無い。
一体、彼女の身に何が起きたのだろうか……。




