9.魔女と交わした契約
一瞬のうちに、私はどこか見覚えのある建物の中に居た。
それと同時に指輪の記録の時間が進んだようで、さっきまでお城に居たはずのレヴリーとカミール王もここに移動している。
「ここは……もしかして魔女の遺跡?」
私の呟きが聴こえている訳ではないだろうけれど、まるで私に返事をするようにレヴリーが口を開いた。
「流石は魔女が封印された場所……。この先から濃密な瘴気を感じるね。カミールおじさん、そろそろお願い出来る?」
「ああ、任せてよ」
扉の前に立つカミール王は穏やかに頷く。
すると彼の隣に小さな竜巻が生まれ、その中から愛らしい少女が現れた。
少女は爽やかな若草色の髪を揺らしながら、隣に居る王を見上げて微笑んだ。
「わたしの力が必要かしら?」
「うん。これからこの先に向かうんだけど、君の風魔法で瘴気を散らしてほしいんだ」
「そんなの簡単だわ。このウェントゥスちゃんにお任せなのよ!」
まるで森に住む花の精のように柔らかな笑みを浮かべたらウェントゥスという名の少女。
その頭上には、色とりどりの花を摘んで編んだであろう花冠が乗っている。さらさらとした髪から覗く尖った耳も愛らしい。
きっと彼女はカミール王と契約している大精霊なのだろう。エルフの国を建国した王は風の御子だから。
となると、レヴリーは風の御子に弟子入りしていた事になるのよね。
「さて、行こうか。魔女の魔力の大部分は封じられているが、どんな隠し球を持っているかは分からない。注意は怠らないようにね」
「魔女……? それって、わたしの──」
「細かい事は気にしないで、ウェントゥス。さあ、君の力を貸してくれ」
「……カミールが、そう言うなら」
ウェントゥス様は何かを言いかけていたようだけれど、カミール王はそれを遮った。
二人の間には微妙な空気が流れている。けれど、レヴリーはそんな彼らの事はあまり気になっていないようだった。
風の大精霊ウェントゥス様は、遺跡を進む二人を瘴気から守る為、絶えず風の壁を作り続けていた。
魔女の瘴気が酷いというのは聞いていたけれど、この当時も私達の時代のような真っ黒なもやが内部を満たしている。
そうして遺跡の最奥であろう大扉の前に到着し、レヴリーとカミールは顔を見合わせた。
「覚悟は出来ているかい、レヴリー?」
「勿論だよ。ボクが見付けた答えは、これしかなかった。他の手を探すには……あまりに時間が足りなかったからさ」
王の問いに答えたレヴリーは、どこか悔しそうに言葉を返す。
それを受け止めたカミール王の表情は曇っており、少し俯いていた。
しかし、そんな王を励ますようにレヴリーが明るい声色で言う。
「大丈夫だよおじさん。これでおじさん達が救った世界をボクも支えていけるんだ。それに……」
と、彼は王の傍らに佇むウェントゥスに目を向けた。
「これ以上大きな犠牲を出すのは好ましくない。彼女もきっと、それを望んでいるんじゃないかな?」
「…………?」
不思議そうに首を傾げるウェントゥス。
そんな少女の頭を、レヴリーが優しく撫でる。
「……さ、行こう。ボクの気が変わらない内に、ね」
そう言って笑ったレヴリーの顔は、どこか無理をしている時のシャルマンさんの笑顔にとてもよく似ていた。
いよいよ大扉が開かれ、そこから更に濃度を増した瘴気が溢れ出して来た。
それは最早身体に纏わりつくような泥に似ている。これが過去の記録の世界でなければ、私だってひとたまりも無かったはずだ。
ウェントゥスは必死に風で瘴気を吹き飛ばし、前に進む道を作り出していく。小さな身体ながらも、大精霊としての力は充分に備わっているらしい。
「むむむむぅ〜……!」
「その調子だ! もう少し頑張れるかい、ウェントゥス?」
「が、がんばる……!」
瘴気を払う程の風魔法ならば、きっとフランマが使う浄化の炎と似た系統の魔法だろう。
そんな魔法を長時間行使し続けている彼女の疲労はかなり溜まっているはずだ。
「ウェントゥスの限界が来る前に用を済ませろよ、レヴリー!」
「分かってる。……それじゃあ、行ってくるよ」
ウェントゥスの風の刃で斬り裂かれた瘴気は真っ二つに割れ、真っ直ぐな道を形作った。
そこを一人進んでいくレヴリーの手には、小さな玉のようなものが握られていた。彼はその玉をしばし見詰め、改めて前を向いて歩き出す。
私も彼の後を追っていくと、正面に私の身長よりも大きな塊が見えてきた。
その塊はどうやら巨大な水晶のようで、あちらこちらから突き出した結晶の柱の中心部に人影があった。
「……囚われの魔女よ。どうかその目を開けて、ボクを見てほしい」
レヴリーがそう語り掛けると、水晶の中で眠っていた人物がゆっくりと目を開ける。
血のように紅い瞳。
夜闇によく似た漆黒の髪。
思わず目を奪われてしまうような白い肌。
それは、私があの夜に見た人影と酷似していた。
「わらわに何用じゃ……。この愚かな女を嘲笑いに来たのか……?」
彼女の両手は頭の上で纏めて拘束されて、まるで牢獄に閉じ込められた犯罪者のようだ。
身に付けているのはボロボロになった黒いドレスで、きっと元々はとても優雅で品のある衣装だったのだろうと想像出来る。
この女性があの大魔女ジャルジー……?
古代種の魔物を何体も操り、人類全てを敵に回した伝説の魔女──そんな彼女が、まさかこんなにも弱った状態で封印されていただなんて……。
「笑わないよ。ボクはアナタと取引をしに来ただけだ」
「取引……?」
「アナタから溢れ出す瘴気を止めるには、アナタを殺す事が一番の解決策でね。でもそれは成功確率が低いし、アナタが四人の御子と戦った当時と比較しても戦力不足だ」
レヴリーが言うには、魔女を閉じ込めている水晶は御子達の力によって作り出された特殊な封印魔法なのだという。
中から逃げ出せないよう、そこに封じた者の魔力を最小限に抑え、外部からの攻撃にも耐えるらしい。
しかし、一度でも封印を解き魔女が自由になった途端、抑えられていた彼女の魔力は一気に解放されてしまう。
力を取り戻した魔女に再び対峙するには、もう一度四人御子が揃うしか無い。
けれどもカミール王以外の御子達は、既に寿命を迎えていたり、新たな御子の誕生を待つしかない状態だった。
「そうなると、アナタの瘴気そのものを抑え込む道具が必要になる。それがコレだ」
そう言って、レヴリーは手に持っていた玉をジャルジーに見えるように指で摘んだ。
「でも、この魔道具はまだ未完成でね。瘴気を集める核となるエネルギーと、術式を発動させる為の契約が必要になる。それでボクはこうしてアナタとの契約にやって来たんだ」
すると、ジャルジーは不機嫌そうに顔を歪める。
「契約じゃと……? そのようなもの、わらわに何の利益があるというのじゃ」
「そうなんだよね。このままだとアナタには何の得もしない事になる。だからボクもアナタも得をする契約を結ぼうと思うんだけど……どうかな?」
ジャルジーはレヴリーを怪しむように、ジロリと彼を睨み付けていた。
けれどレヴリーはそんな視線に構わず話を切り出した。
「ボクはこの遺跡から瘴気を溢れるのを止めたい。その為なら、アナタが望む事には可能な限り応えるよ。流石にここから逃がしてあげる事は出来ないけどね」
「……そうじゃな。退屈しのぎにはなるやもしれぬ」
「アナタはボクに何を望むの?」
彼がそう問えば、魔女は目を細めてニタリと笑ってこう言った。
「わらわをここから逃す気も無く、わらわの手駒になるつもりも無い……。そんな目をしてやって来た男が、大魔女と呼ばれしわらわから溢れし力を留めにやって来たのじゃ。多少の不利益は被ってもらわねば気が収まるまい?」
契約を結ぶ意思を見せたジャルジーに対し、レヴリーは空いた方の手で空中に光の文字を刻み始めた。
その文字はどうやら古代文字のようで、私には読めそうに無い。
「契約せねば発動せぬ術式というのは、双方の合意と魔力が必要となるものなのじゃろう? わらわは地上の者共がどうなろうと構いはせぬが、いずれ時は満ちよう。今は目の前の玩具で楽しまねば損というもの……。わらわの願い、しかと書き留めるが良い」
「アナタの望みは?」
「そなたの子孫……男児にのみ、偽りの愛を引き寄せる呪いを授けてやろう。嘘で塗り固められた愛ほど虚しいものは無い……。わらわと同じ苦しみを、是非ともそなたとそなたの子孫にも味わってもらおうぞ」
あの光の文字が二人の契約を綴る契約書の役割なのだろう。
その証拠に、ジャルジーの声に合わせて彼が新たに文字を書き込んでいた。
しかし、それよりも私は彼女の口から語られた言葉に驚愕していた。
レヴリーの子孫──つまり、シャルマンさん達ソルシエール家が代々受け継いでいた呪いは、彼と魔女との間で交わされた契約によって生まれたものだったのだ。
全てを書き留めたレヴリーは、小さく息を吐いてから呟いた。
「……契約は完了した。これでこの魔道具……いや、呪具に等しい道具の術式が完成する。こんなデメリットが無ければ発動しないだなんて、ボクはやっぱり天才なんかじゃなかったんだろうな」
彼の声は、未だ風が吹き荒ぶ室内に掻き消されていく。
そして、レヴリーは名残惜しそうな表情で後ろを振り返った。
「ボクの家族には、きっととんでもないものを背負わせてしまったんだろう。それから、おじさんにも……」
しかし、彼はそれを吹っ切るように呪具の玉を握り締める。
「……だけど、やるしかない。いつかボク以外の誰かが、この悲しみを断ち切ってくれると信じて……未来を託すよ」
すると、彼の足元に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
それと同時に不気味な光を放ち始めた呪具と、苦痛に歪むレヴリーの顔。
さっき彼は核となるエネルギーが足りないと言っていたけれど、もしかして……これから彼は呪具の素材になるつもりなの⁉︎
「何じゃ、そなた死ぬつもりか? その魔法陣……自身の魂を核として使うつもりじゃな」
「さ、流石は大魔女……だね。一目見ただけで、分かるんだ……」
息も絶え絶えに答えるレヴリー。
彼はもう立っていることすらままならず、ぐったりと床の上に倒れ込んでいた。
これから彼が死ぬというのは、変えようの無い事実だ。
けれども私は、目の前で命を投げ出そうとしているレヴリーを放っておくなんて出来なかった。だって彼は、世界の為に命を捨てようとしているんだから──!
「もうやめて……! きっと他に方法があります! だから……」
しかし、彼に近付こうとした私の脚はピクリとも動かない。
急に自由を失った身体に混乱していると、頭がふらふらとしてきた。
これで指輪の記録が終わるというのだろうか。彼が絶命するまでの光景を眺める事しか出来ないまま……⁉︎
「そなたのような男に出会えていれば、わらわの人生も少しは違っていたのやもしれぬな……」
そう呟いた魔女の寂しそうな顔を見たのを最後に、私の意識はそこで途切れてしまった。




