4.変化と兆候
花の聖水を試す事を決めた私とシャルマンさんは、お城の地下にある魔法実験室へと場所を移した。
この実験室は、その名の通り様々な魔法を使用しても室内が損壊しないよう、特殊な素材と防御結界を組み合わせて作られたものらしい。魔女の調査で空室が増えていた事もあり、すんなりと使用申請が通ったのだ。
室内は至ってシンプルな作りで、壁も床も天井も石材で閉ざされた広い空間だった。
「では、簡単に手順を説明しますね」
聖水の使い方一通り説明をし終えたところで、シャルマンさんが首を傾げる。
「呪いを解く為に使うなら、これはアタシが使うよりフラムちゃんに使ってもらう方が良いのかしら?」
その言葉に、私はついさっき自分が口にしていた内容を思い返す。
『誰かの呪いを解く為に使いたいのなら、その人を助けたいっていう、君の真心をたっぷり込めて作ってみてね』
と、先生の本にはそう記してあった。
私はその記述に従って、シャルマンさんの呪いを解く為に心を込めて聖水を作った。
その結果、瘴気に呑まれていたトネールさんを解放する事が出来たけれど……。シャルマンさんが気になっているのは、聖水を作るのと同様に、使用時にもそういった感情が重要になるのではないかという事だろう。
「言われてみれば……私がトネールさんに聖水を使った時も、彼が辛そうだったから、それをどうにかしてあげたいと思って……」
「人の想いの力って、良い方にも悪い方にも作用するのよ。例えば、ありったけの恨みを込めて作った呪具なんて、相手にとんでもない苦痛や恐怖を与えるの。もしかしたらこの聖水は、そんな風に相手の為を想って使う事に意味があるのかもしれないわ」
彼の予想を聞いて、私はある事を思い出した。
*
ファリアス先生の元で治癒術師として勉強を始めて間もない頃、私は先生に言われた通りにポーションを作る事になった。
メモに書かれた通りの材料を揃え、器具を準備し、レシピに沿って正しく作った初めてのポーション。
完成したそれを先生に見せると、彼は突然作業台の上に置かれたナイフに手を伸ばし、それで人差し指を軽く切り付けたのだ。
「なっ、何してるんですか先生!」
「いやいや、君が作ったポーションの効能を確かめようと思ってね。こうして自分の身体で試した方が手っ取り早いだろう?」
「そ、そうは言っても……」
戸惑う私をよそに、先生は瓶に入ったポーションをちょろちょろと指先に垂らした。
事前に先生が実演してくれたポーションを再現したつもりだったので、その効果は無事発揮され、先生の指先の傷はじわじわと塞がっていく。
「良かったぁ……。ちゃんと成功していたみたいですね」
ほっと胸を撫で下ろした私に、しかし先生は困ったように首を振った。
「これはまだ未完成だよ」
「えっ? でも、私はちゃんと先生のレシピ通りに作りました。傷を治す効果もきちんと……」
「効果は出ている。だけど、これぐらいの軽傷に対して明らかに傷の治りが遅かった」
言いながら彼が薬品棚から取り出したのは、数時間前に先生が作っていたポーションだった。
「同じ材料、同じ道具、同じ手順で作った治癒のポーション。けれども僕と君とでは、その効能に小さな……うーん、地味に大きな差があるんだよ」
こちらに戻って来た先生は、またさっきのようにナイフで指先を傷付ける。
すぐに血が流れ始めたそこに、今度は先生のポーションがぽとりと垂らされた。
「あっ……!」
指先の傷は、ほんの一滴のポーションで瞬く間に完治していた。
私のポーションではそれ以上の量で、そしてそれ以上の時間を掛けて傷口を塞いでいったというのに。
その事実に、私は思わず自分の目を疑った。
「ほらね。全く同じポーションのはずなのに、その効能は目に見えて明らかだ」
「どうして……どうして私と先生のポーションにこんなに差が出るのでしょうか? もしかして、先生の方が魔力の質が良いから……とか?」
すると、先生は言う。
「いや、魔力の質に関しては君の方がずっと上だよ? 僕なんてただ魔力量が多いだけだ。それに、こんなに基礎的なポーションには魔力の質は対して関係無いんだよね」
「うーん……。質に関しては先生の方が良いような気がしますけど……それが無関係なら、効能の差を生んだ理由がますます分かりません」
「多分君は、僕のレシピにおいて最も重要な点を見逃している事になる。一番最初のここ、しっかり声に出して読み上げてみてくれるかな?」
そう言って先生が指差したのは、作業台の目の前に貼り付けられたレシピが書かれた紙だった。
私は言われた通りにそれを読み上げる。
「ええと……『ポーションを作る時は、全ての工程においてしっかりと心を込めること』……?」
うんうん、と頷く先生。
この注意書きがそんなに重要な事だったのだろうか。
「僕がポーションや魔道具を作る時はね、それを使う人の事を想いながら作業をしているんだ。ここをおろそかにしてしまうと、せっかく作ったポーションも存分にその力を発揮出来なくなるんだよ」
「ほ、本当にそんな事があるんですか?」
「あるある! 現に僕と君とでは、とても同じように使ったとは思えないポーションが出来上がっているじゃないか」
「うっ……た、確かに、それを目の前で見せ付けられましたね……」
落ち込む私を見ながらニコニコと微笑む先生。
「治癒魔法も同じでね、誰かの為に使うものは気持ちによって大きく左右されるんだ。今度はちゃんと相手の為に、君の真心を込めたポーションを作ってほしいな」
「……わ、分かりました! 二度目は失敗させません。絶対に先生のポーションのような、素晴らしいものを仕上げてみせます!」
「うんうん、その意気だ。また僕が実験台になるから、今回は僕の事を想いながら作ってみれば良いと思うよ?」
「また先生に指を怪我させてしまうのはちょっぴり気が引けますが……何度も繰り返させないよう、一発でやり遂げますね!」
*
相手の為を想う事で、その効果は最大限に発揮される。
それはポーション作りも、治癒魔法も同じ事。
先生のその教えがあったからこそ、私は今日まで騎士団の治癒術師としてやって来られたのだと思う。
ならば、きっと……呪いを解く事にだって通ずるものだ。
「……フラムちゃん?」
シャルマンさんの呼び掛けに、私は過去から意識を浮上させた。
そうだ。きっと先生の教えは正しいはずだ。
私は背の高いシャルマンさんの顔を見上げ、口を開く。
「すみません。少し考え事をしていました。でももう大丈夫です! シャルマンさんの仰る通り、ここは私にお任せ下さい!」
「ええ、是非お願いするわ。それじゃあ、さっき受け取った聖水は一旦アナタに返すわね」
結局二度手間のようになってしまったけれど、これで私達の決意は固まった。
私は彼から聖水の瓶を受け取り、シャルマンさんも解呪の準備として服を脱ぎ始め……え⁉︎ 何で脱ぐんですかシャルマンさん‼︎
「ちょっ、えっ、シャルマンさん⁉︎ な、何で急に服をお脱ぎになっていらっしゃるんですか⁉︎」
「ああ、一声掛けてからにしておくべきだったわね」
「一声掛けられても困るし驚くんですが……!」
「大丈夫よ、脱ぐのは上だけだから!」
そういう問題なのだろうか!
彼はパパッとローブを脱いで丁寧に畳み、少し離れた床の上に置いた。そのまま中に着ていたものも同様に脱ぎ、細身ながらしっかりと筋肉のついた上半身を露わにする。
魔術師に筋肉は必要なのかと疑問に思うものの、彼の攻撃手段といえばダイナミック水晶玉蹴りからの爆炎魔法だ。安定したキック力を得る為には、そうした肉体作りも欠かせないのかもしれない。
「……って、あの……シャルマンさん、その背中の模様は……」
肉体美に思考が飛んでいた最中、私は彼の背に見慣れない複雑な模様があるのを発見した。
それはまるで、何かの術式を刻み込んだもののように見える。
「これがソルシエール家の男子に引き継がれる、呪いの象徴よ。産まれた時から背中にあるの」
「それが……今までずっと……」
「聖水の効果が出れば、この紋章も消えるはず……。だから、こうして服を脱げばすぐに確認出来るでしょ?」
私に分かりやすいように背中を向けている彼の声色は、普段と変わらない明るさだった。
けれど、自分の意思とは関係無く呪われる定めを背負った彼が、この紋章の事を何も気にしていないはずがない。でなければ、こんな風に呪いを解こうとなんてしないもの。
「さ、準備は出来たわ。お願い出来る? フラムちゃん」
こちらに向き直った彼に、私は大きく頷いた。
「はい、勿論です。それでは……始めます」
これが成功すれば、彼は愛の呪いから解放される。
そうすれば彼は、呪いに振り回されない人間関係を築けるようになるだろう。
私は思い切り良く小瓶の中身を宙にまいた。
シャルマンさんが何にも縛られないように。長く続いた呪いを、今ここで終わらせる……!
「カザレナの花弁よ、乙女の祈りを聞き届け給え……フルール・オー・ベニート‼︎」
花の香水は私の言葉と魔力に反応し、柔らかな香りと共に淡いピンク色の霧となってシャルマンさんを包み込んだ。
そして……
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「多少の変化はあったんだから、一歩前進って事で前向きに考えていきましょ?」
「ですが、シャルマンさんの呪いは……」
「もう、アタシよりフラムちゃんの方が落ち込むなんて……。優しすぎるのも困りものだわね〜」
フラムちゃんはアタシの呪いを解く為に、アタシの知らない所で努力をしてくれた。
結果としては、それは呪いを解くまでには至らなかったんだけどね。
でも、フラムちゃんが言うにはアタシに刻まれた紋章に変化があったらしいのよ。
「聖水の効果で紋章が薄くなったって事は、この方法は大きな間違いではない事になるわ。カザレナの花が何かのヒントになるのか……それとも聖水自体に特別な効能があって、それが呪いに干渉したとか……?」
「……無意味ではありませんでしたが、あれだけ気合いを入れて微妙な結果に終わったのは……何というか、色々と申し訳無いです」
紋章が薄くなった。
それはつまり、呪いの効果が弱まったとも考えられる訳なのよね。
これはまた後日検証するとして……。
アタシは悲しそうに俯くフラムちゃんの手を取った。
「今日まで何の進展も無かった解呪の研究が、アナタのお陰で進み始めた。これは、アナタがアタシの為に頑張ってくれたお陰に他ならないわ」
「シャルマンさん……」
眉を下げた彼女と視線がぶつかる。
フラムちゃんのくりっとした茶色い眼が、微かに揺れた。
「アナタに会えて良かった。アナタが優しい子で……アタシなんかの為に頑張ってくれるような子で、ホントに良かった……!」
こんなに親しくなれた女の子は、フラムちゃんが初めてだった。
普通の女の子はアタシみたいなキャラの濃い男とは距離を置くし、アタシ自身もこの呪いの事もあって、下手に近付く訳にもいかなかったから。
「こんなアタシでも、これからもアナタの側に居ても良いかしら……?」
彼女はアタシの呪いの事を知っても、ごく自然に接してくれた。
それがどうしようもなく嬉しくて、彼女と話すのが楽しくて仕方が無かった。
そうして気が付いたら、アタシはもっと自分を晒け出せるようになっていたの。
ティフォンちゃんともグラースちゃんとも、それにあのクヴァール殿下の前でだって、ありのままのアタシでいられるようになったから。
「……当たり前じゃないですか。嫌いな人の為に聖水を作るなんて、そんな事をする程優しい人間じゃありませんから」
フラムちゃんとの出会いは、アタシにとっての起爆剤だった。
「私は、シャルマンさんの笑顔が好きだから……だから頑張れたんです。また今度、一緒にお茶をさせて下さいね。次は私も何か用意していきますから」
アナタがアタシの笑顔を好きだと言ってくれたように、アタシもアナタのその笑顔に救われていたんだから。
そうして、アタシの手を握り返してくれた彼女は目を逸らし、薄っすらと頬を染めてこう言った。
「……ひとまず、服を着てもらえませんか? その、至近距離で男性の素肌を見るのは、プライベートでは恥かしすぎるので……!」
思いがけなかった彼女の初心な反応に、アタシはクスリと笑ってしまうのだった。




