12.魔女の封印
急いで遺跡へと向かうと、異常な気配を感じた。
よどんだ空気とマナ。そして、そこに倒れ伏す騎士と魔術師達が居た。
私はフランマと顔を見合わせ、頷き合う。
二人ですぐに彼らの元へと駆け付け、身体の状態を見ながら声を掛けた。その間フランマは周囲に危険が無いかどうか、見張りを買って出てくれた。
「王国騎士団、専属治癒術師のフラムです! 私の声が聞こえますか?」
「う……ううっ……」
私が呼び掛けた騎士さんは、その声にうっすらと目を開けた。
彼の顔や鎧には細かな切り傷が無数にあり、刃物で付けられた傷にしてはその数がかなり多い。他の怪我人達も同様の傷を負っているように見える。
騎士が三人、魔術師が二人という人数を纏めて相手にしたであろう事から、敵は恐らく魔法による一斉攻撃に出たのだろう。
全員出血量は多いものの、適切な治療を施せば充分助かる怪我だ。目蓋を斬られた人も居て、そこから出た血がべったりと顔に張り付いていた。
「癒し手、殿……? あの男は……あの男は、今どこに……」
「すぐに傷を治しますから、怪我の事は安心して下さい。団長さん、私もすぐに追い掛けますから……」
「ああ、こっちは俺達に任せろ! 殿下、我々は遺跡内部へ……!」
「うむ。グラース達の事も気掛かりだ。行くぞ」
私は治療の為に詠唱の準備に掛かる。
団長さんと殿下、ヴォルカン王子とバザルトさんは遺跡の入り口に続く斜面を降っていった。
大気中のマナを集めた私は、いつものように痛み止めの魔法から順に治療を開始する。
彼らが意識を失っていた原因は主に酸欠によるものだったようで、自然治癒力を向上させる魔法を掛けてしばらくの間彼らを休ませた。
そうして意識がはっきりとしてきた彼ら五人は、その間にここで起こった事について話してくれた。
グラースさんとシャルマンさんらと共に遺跡の調査へ向かい、黒騎士が倒れた事を知らない彼らはそれを警戒して外での見張りを任されたのだという。
そこへ突然、見慣れない若者が奇襲を仕掛けてきたらしい。
「黒騎士は大剣を持っていたと聞いていましたが、あれはどう見ても騎士のような姿ではありませんでした。まるでどこかの貴族のような出で立ちで……」
「貴族……ですか?」
「ええ。仕立ての良い礼服を着ていましたから、殿下の生誕パーティーを抜け出してここへ迷い込んだ方なのかと思ったのですが……。そう思ったのも束の間、その若者は突然私達に風魔法を行使してきたのです」
その若者が使ったという風魔法は、無数の風の刃を生み出す広範囲の魔法だったらしい。
それだけならまだしも、その風は彼らを傷付けるだけでなく、呼吸までも困難にさせる程の強風だった。
どうにか反撃しようと魔術師の一人が防御魔法を唱えようとしたものの、声を発するのもままならない状況になす術が無かったそうだ。
世の中には詠唱無しで発動出来る簡単な魔法もある。そして、天才的なセンスを持つ魔術師は高度な魔法ですら無詠唱で発動可能な者も居る。それが私の先生でもあった。
けれども魔術師団では無詠唱を可能とする人材は貴重で、見張りをしていた彼らの中にはそれを実行出来る人物は居なかった。万事休す、打つ手無し。
「そんな時、ここに居たもう一人の騎士が運良く風の渦から抜け出せました。我々は既に意識が朦朧としている中、風魔法の適性があった彼は何らかの方法で脱出出来たのだと思います」
「そして、礼服の男に立ち向かっていった彼は……男が放った火炎に呑まれてしまいました。そこから先は僕達もあまり覚えていません。ここに彼が居ないという事は、僕達が倒れた後も戦って、遺跡の中へと逃げ込んだのかもしれませんね……」
私はそれを聞いてすっと立ち上がった。
「それなら、その礼服の人は遺跡の中へ向かったグラースさんとシャルマン達に遭遇しているはずです。きっと今頃、団長さん達も……!」
「行くのかい、フラム」
問い掛けてきたフランマに、私は大きく頷いた。
「魔法のプロの魔術師さん達でも手こずる相手なら、ここでじっとしてはいられません。グラースさん達も心配ですし……」
「お気持ちはよく分かりますが……相手はとても危険な人物です。癒し手殿、ここは我々が参ります!」
騎士の一人が告げた言葉に、他の面々もしっかりと首を縦に振る。
しかし、そんな彼らをフランマが諭した。
「あんた達が向かったところでまた返り討ちにされるだけだろう? 心配しなさんな。フラムの事はこのあたしに任せときな!」
すると、魔術師さんが彼女の顔をじいっと見上げて興奮気味に言う。
「先程から気になっていましたが、この高濃度の炎の力を纏ったお方……もしや貴女様はシャルマン団長が仰っていた炎の大精霊、フランマ様ではありませんか⁉︎」
「ああ、そうだけど。それがどうかしたかい?」
「やはりそうでしたか! フランマ様がいらっしゃれば百人力……いや、千人力以上です! 我々が束になっても敵わない圧倒的な魔力量を持つお方がいらっしゃれば、癒し手殿の身の安全は保証されたも同然でしょう‼︎」
「こ、この方があの大精霊様……⁉︎ 確かにとてつもない魔力を感じるなとは思っていましたが、まさか噂の大精霊様が目の前にいらっしゃったとは……」
驚きを隠せない彼らを前に、フランマはケラケラと笑う。
「アッハハハ! まあ、これであたし達だけでも大丈夫って事は分かってもらえたかね?」
「ではその……私達、もう行きますね。もし私達が遺跡から戻って来なかったら……いえ、そんな事はさせません。必ず無事で戻って来ますね」
「はい! フラム殿、フランマ様。無事の帰還をお待ちしております!」
「ありがとうございます。では、行ってきます……!」
彼らに見送られ、私達も団長さん達を追って遺跡を目指して走り出した。
フランマは空を飛べるから問題無いけれど、パーティーの為に着替えたドレス姿の私はかなり疲れていた。
履き慣れないヒールの高い靴というだけでも走るのは大変だし、靴擦れだって起こすものだから、異変を感じたらその都度ひっそりと治癒魔法で足を治していたのだ。
靴擦れなんかで殿下や団長さん達に心配を掛けるのは嫌だったから、彼らに気付かれないように魔力反応の弱い下級魔法を使っていたのよね。
それはフランマにはバレバレだったから、ここまで走って来た間、彼女はなるべく私の速度に合わせて宙を並走してくれていた。流石は気が効く姉御肌のフランマ。そして私の契約相手である。
ヒールが折れないように注意しながら斜面を降りていくと、地下へと続く階段が見えて来た。
そこに到達した時点で、奥の方から嫌な魔力の気配と戦闘音が聴こえていた。やはり魔女の虜がここまで来てしまっていたのだろうか。
フランマが魔法で足元を照らし、急ぎすぎて転げ落ちないようにしながら進んでいくと──こちらに向かって、どす黒い瘴気が濁流のように流れ出して来た。
「なっ⁉︎」
「ここを離れるよ! しばらくじっとしてな‼︎」
真っ黒な瘴気が周囲を飲み込み、私は全身が痺れるような感覚に襲われた。
フランマは咄嗟に私を抱きかかえ、風のような速さで遺跡の外へ飛び出して行く。
ついさっき別れたばかりの見張りの五人組が待つ場所まで戻って来た私達を見て、彼らは慌てて集まって来た。
「癒し手殿! こんなに早く戻られるとは、一体何が……」
彼女は私をいたわるように、優しく地面に降り立った。
身体の痺れは完全には取り切れていないものの、フランマに支えてもらう事でなんとか自分の脚で立つ事が出来る状態だ。
「……何が起きたのかは分かりませんが、私達が遺跡の階段を降りている最中、急に瘴気が押し寄せて来ました。殿下達はまだ、きっとあの中に……」
痺れを取る呪文を唱えると、すぐに身体の異変は治った。
瘴気は人に様々な影響を及ぼすものだ。
きっと私が瘴気に呑まれたのがほんの一瞬だったからこの程度で済んだのだろう。彼女の的確な判断力に感謝だ。
「あんた達、フラムを頼んだよ。あたしは王子様達を救出に行って来る。浄化の炎があれば、ある程度はどうにかなるはずだ」
「瘴気が……⁉︎」
それだけを言い残して、フランマはまた遺跡の方へ飛んで行ってしまう。
遺跡がある方角からは、今も黒々とした霧状の瘴気がどんどん空まで溢れ出してきていた。
それらを焼き払う為の黄金の炎が何度か目視出来た。フランマが操る浄化の炎──フラム・サクレの炎だろう。
その証拠に、私の身体から魔力が吸い出されているのが分かる。
契約者である私の魔力を消費しなければ、フランマは瘴気に対抗する術が無い。彼女の炎が見えなくなっても、フラム・サクレを発動する為の魔力は吸い上げられ続けていた。
あれだけ濃い瘴気は、古代鰐の時と同等かそれ以上だったように思う。そんな瘴気をまともに浴びてしまえば、大精霊である彼女でも危険があるのかもしれない。
危険と隣合わせなフランマに対して、私は安全な場所で待っているだけ。そう思うと、彼女に任せるしか無い自分がとても不甲斐なかった。
皆の無事を祈ると同時に、自分へのやり場の無い怒りが胸の中を埋め尽くしていく。
──その時、空に飛び上がっていく一つの影があった。
遥か上空へと突き進んでいくその影は、ある一点でピタリと止まる。
月を背にしたそのシルエットは、まるで優雅に佇む夜の女王のようだった。
「あれは……人……?」
それを確認した私は、嫌な予感に鼓動が早まっていた。
溢れ出した瘴気。
騎士達を襲った男。
その男が向かった先は、太古の魔女が封印された遺跡。
そして、上空に浮かぶ謎の人影。
「もしかして……」
あれが魔女……?
そんな答えが脳裏に浮かんだ次の瞬間、全身が凍り付くような鋭い悪寒に襲われた。
何かの魔法が使われた様子は無い。
ただ一つ私が分かっているのは、あの人影がこちらを見下ろしている事だけだ。紅く輝く二つの目玉が、やけに鮮やかだったから。
しかし、その紅玉の瞳を持つ影は私が一度瞬きをした隙に消えてしまった。
私はあの人影を前に、指一本すら動かす事もできなかった。息をするのも忘れていた。あれだけの寒気を感じた視線を浴びたのは生まれて初めての経験だ。
「今、あそこに何か見えたよな?」
「俺も見えた……はず、なんだが……」
私と同じくあの人影を見たらしい騎士達は、互いの感想を述べている。
けれども、私のように悪寒を感じた人は誰一人居なかったらしい。
それからしばらくして、遺跡の中から殿下達が戻って来た。
彼らの話を手短に聞かされたところ、やはり魔女の虜が封印を解きに来ていたそうだった。
グラースさんとシャルマンさんが居たのは知っていたけれど、捜査協力としてサージュさんまで同行していたのは驚いた。
彼らはやって来た魔女の虜と戦っていたものの苦戦していた。後から駆け付けた殿下達と挟み撃ちにしようとしたものの、あまりにも強力な魔法を操る虜の前に充分な実力を発揮出来ず、包囲網を突破されてしまったらしい。
狭い通路での戦いで、大人数で立ち回るのは無理があったのだろう。
団長さんはグラースさん達はもっと奥の広いスペースで戦っていると予想していたらしく、まさか入り口の扉前で戦闘する事になるとは思わなかったらしい。
そうして魔女の虜は彼らを突破し、開け放たれた扉の奥から瘴気が溢れ出したのだ。
遺跡から逃げ出す間も無かった彼らは、バザルト様が作り出した岩のドームの中でフランマの助けを待ち、こうしてここまで帰還する事が出来た。
そして……。
「フラム、どうか落ち着いて聞いてほしい。私達は魔女の虜と戦い、その顔を見た。そして、奴が解き放った魔女の姿も、この目で目の当たりにした」
いつにも増して真剣な殿下の声色に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「古代の魔女は復活した。その封印を解いたのは──そなたの元婚約者、オルコ・ドラコスだ」




