10.染まりし者
「さぁて、いよいよ遺跡の調査を始めるわよ」
旧宿舎の調査では、黒騎士の手掛かりは見付けられなかった。
念には念を、という探索だったのでその結果でも仕方が無い。
旧宿舎から少し歩いていった先に、ぽっかりと大きな穴が空いた地面がある。その下に続く斜面の先には、古代の魔女を封印したとされている遺跡への入り口があるのだ。
「サージュちゃん、魔法の準備は出来てるかしら?」
「勿論だ。崩れないようしっかり補強してやるさ」
この近辺で黒騎士を目撃したというミスター・サージュ。
彼の協力を得た私達は、地震によって崩落の危険が残るこの場所の再調査を開始する。
ミスター・サージュは得意の地属性魔法を行使し、広範囲の地面の強度を上げた。
それによって安全性が確保された私達騎士団・魔術師団の合同調査隊は、早速遺跡の内部へと進んでいく事になった。
「黒騎士の魔力の残滓はありますか?」
「……どうやら黒騎士どころの話じゃなさそうね。研究者さん達からの報告も受けていたけれど、ここの状況はあまりよろしくないみたい」
シャルマン魔術師団長の声色は暗い。
彼の話によれば、毎月国を代表する研究者チームが定期調査としてここを訪れているが、ここ数年遺跡の奥からは瘴気が溢れ出してきているというらしいのだ。
その話に、ミスター・サージュも険しい顔付きで加わった。
「瘴気が溢れているというのが事実なら、例の封印も弱まってきている危険性があるんじゃないか? ここに使われている石材は教会や神殿にも使われる聖石。その石が持つ闇耐性の効果でどうにかこの中に瘴気を押し留めている……。そんなところじゃないかと思うが」
「そうね。特殊な石材のお陰でしょう。けれど、この遺跡が造られてかなりの年月が流れているわ。その効果も、封印までも弱まったこのタイミングは……相当危ういでしょうね」
「それを黒騎士が知っていたという事か……? そうでも無ければ、わざわざこんな所まで来る用事も無いだろう」
魔術師同士の会話はテンポが早い。
普段から専門的な分野を仕事にしているからだろうか。私が入る隙が無さそうだ。
「そもそも、黒騎士が結界を越えてここまで来たというのもおかしな話なのよ。あの結界はそう簡単に抜けられるようなものじゃないの」
ミスター・サージュが見たという黒騎士は、結界の周辺で姿を消したと言っていた。
けれど、それは単に森の中で姿を見失っただけの話だとは思えなかった。
今シャルマン魔術師団長が言っていたように、強固な結界が張られたこの遺跡周辺には陛下の承認を受けた魔術師が居なければ、立ち入る事が出来ない。
それなのにここまでやって来たという黒騎士には、何らかの目的があったように思うのだ。
最近になって頻繁に出没し始めた黒騎士。
そして、遺跡奥から溢れ出しているという瘴気。
この二つには、何か関係があるような……。
「ちょっと待って」
シャルマン魔術師団長の声に、私達は足を止めた。
遺跡の入り口からずっと階段を降りて、そこから伸びる通路を歩いていった先。
魔力を流し込んで開く仕掛けの扉を前に、彼が言う。
「さっきから感じるのは、ここに入り込んでいたかもしれない黒騎士の魔力。……そう、思っていたんだけど」
扉の奥から、記憶に新しい嫌な気配がする。
肌を刺すようなその力は、魔力と呼ぶには穢れすぎたもの──古代鰐から吹き出した大量の瘴気と、瓜二つの気配だった。
自然と腰の愛剣に手が伸びる。
「どうやら研究者の話は、間違いではなかったようですね」
「こんなに濃い瘴気、扉を開け放った途端にとんでもない事になるぞ……⁉︎」
遺跡はかなりの広さがあると聞いていたが、まだ調査を始めて間も無い段階だ。
最初の扉を開けようという時に、まさかこんなにもおぞましい瘴気を感じる事になるとは想定していなかった。
私は隣で扉を見詰めるシャルマン魔術師団長に問う。
「ここまで瘴気が押し寄せているというのは、想定内でしたか?」
「そんな事ある訳ないじゃない! ……アタシの予想でしかないけど、この扉が破られたら取り返しが付かない事態になるかもしれないわ。そうなる前に、魔術師団総出で新たな瘴気封印を施す必要があるでしょうね」
「瘴気封印? それは魔女の封印とは異なるもののようですが……」
彼は頷き、簡単な説明をしてくれた。
「アタシ達に出来るのは瘴気の封印だけ。魔女封印は古代の御子達が大精霊と共に総力を挙げて行った、命懸けの封印だったと言われているの。だから、アタシ達みたいなただの魔術師では魔女の封印なんて出来っこないのよ」
地水火風を司る大精霊。
その大精霊に認められし者こそが、それぞれの属性魔法のエキスパートである御子なのだという。
「これまでは大地の御子……スフィーダ王国のヴォルカン王子と、カウザ王国の水の御子、フェー・ボワ王国の風の御子の存在は知られていたの。けれど、炎の御子だけは一向に発見される気配が無かった……」
「しかし、炎の御子が……レディ・フラムが炎の御子である事が判明した。その四名がこの地に集えば……!」
「もう一度魔女の封印を行う事が出来るかもしれないわ」
四人の御子と四大属性を司る大精霊達が揃えば、古代に行われた封印術を再現出来る可能性がある。
いつ瘴気が溢れ出し、明日にでも魔女の封印が解けるかもしれない緊迫した今、早急に御子達をここへ呼び寄せる必要があるのだろう。
「ですが、その封印は命懸けなのでしたね」
「そう。相手は古代種全てを暴走させ、手駒にして操る程の膨大な魔力を持った魔女だもの。大人しく封印されてくれるような女じゃないでしょうよ」
それはつまり……フラムの命にも関わるという事。
彼女達にしか出来ない事だと言われれば、きっとフラムは自分の身の安全など投げ出してそれを引き受けてしまうに決まっている。
フラムの正義感や使命感は立派で尊いものだ。けれど、それによって身を滅ぼしてしまってはとんでもない。
世界の命運と彼女の命。
それを比較してしまう私は、騎士失格なのかもしれない。
けれども私は、彼女に何かあっては冷静でいられる自信が無いのだ。
フラムはきっと、魔女封印に挑むだろう。
その時私は──国を護る騎士として、彼女の側に居る事が出来るのだろうか。
ぐっと奥歯を噛み締め、剣を握る手に力が入る。
その刹那、私達は背後から異様な魔力を察知した。
階段の上……遺跡に続く斜面の方で、見張りを任せていた騎士達の叫びが聞こえて来た。
次の瞬間、騎士の一人が階段から転がり落ちて来たではないか。
「なっ……⁉︎ ま、まさか黒騎士が来たっていうのか……?」
後ずさるミスター・サージュの傍を通り抜け、私は落ちて来た騎士に駆け寄った。
炎属性の魔法で攻撃されたのだろう。騎士の髪は焼け焦げ、顔には酷い火傷を覆っているのが分かる。
「意識はありますか? 誰に襲撃をされたのですか?」
私の呼び掛けに、騎士の瞼が震えた。
「若い、男です……。あれは、黒騎士では……ありません……」
「黒騎士ではない……?」
ここに姿を現した敵だというのなら、黒騎士に違いないと思っていた。
しかし、彼の言葉通りであればその予想は外れていた事になる。
ならば彼らを襲ったのは誰なのか。
私や団長による厳しい訓練を重ね、日々成長を遂げている騎士達をこうも容易く倒してしまう相手……。
そんな者が、あの黒騎士以外にも居るというのか──!
「……っ! 来るわよグラースちゃん! ちょっと伏せて頂戴‼︎」
何かを察知したシャルマン魔術師団長。
私は咄嗟に身体を伏せ、倒れた騎士を庇うように包み込んだ。
「《エタンセル!》」
頭上で何かが空を切る音がした。
かと思えば、階段の方で激しい火花が飛び散る。シャルマン魔術師団長の爆発魔法、その中でも初歩の魔法だ。
しかし、それとほぼ同時にそれを吹き飛ばす強い風が吹いた。
敵がこちらへの侵攻を開始したのだろう。私はその隙に負傷した騎士に肩を貸し、急いでその場を離れるよう奥へと進んだ。
同行していた騎士に彼を任せ、私は剣を構えてシャルマン魔術師団長の隣に並ぶ。
「流石に今のは殺し損ねたか……。まあ、仕方が無い。次で纏めて片付ければ良いだけさ」
若い男の声。
一歩ずつ階段を降りる足音と共に現れたその男は、黒髪のオールバックに緑の眼を持つ、礼服姿の若者だった。
彼は通路に降り立つと、私達を見て目を細める。
「僕はもう、さっきまでの僕じゃない。この力があれば、何だって出来るんだから……」
「私の部下達を傷付けたのは貴方のようですね。私はアイステーシス王国騎士団副団長、グラース・アヴァランシュ。彼らを傷付け、そのうえ立ち入りを禁じられた地に侵入した罪……償って頂きます」
「グラースちゃんの言う通りよ! アタシはアイステーシス魔術師団の団長、シャルマン・ソルシエール。すぐにお縄にしちゃうと思うけど、可哀想だから名前くらいは覚えておいてあげるわよ?」
私達の言葉に、礼服の男はまるで悪魔にでも取り憑かれたような醜い笑みで応えた。
「僕が可哀想? この僕がぁ⁉︎ 本当に可哀想なのはお前達の方だよ!」
男は心底愉快そうに両腕を広げて笑う。
まるで世界の中心は自分であるかのような、堂々とした態度だ。
「お前達が仲良く地獄に落ちる前に教えてやるよ! 僕は偉大なる大魔女、ジャルジー様の誇り高き虜! 僕は邪魔なお前達をとっとと掃除して、この遺跡の奥に閉じ込められてしまった愛しいジャルジー様を解放して差し上げるのさ‼︎ アーッハッハッハッハ‼︎」




