9.魔女の虜
「クソっ……! 何なんだよあの馬鹿みたいに強い騎士は……!」
礼服に身を包んだ男は一人、夜の王都を歩きながらそんな愚痴を零す。
「フラムの情報が入ったから、この目でその姿を確かめてやろうとしたのに……」
フラムの婚約者だった青年──オルコは、とある情報筋からの目撃談を元にアイステーシス王国へとやって来ていた。
オルコは裏から手を回しクヴァールの生誕パーティーの招待状を入手し、今夜城の内部へと入り込む事に成功する。
そして王子と共に会場へとやって来たフラムの姿を目にしたオルコは、彼女の生存を信じざるを得なかった。あの時殺害したはずの婚約者は、己よりも格上の男の隣を歩いていたのだ。
驚きがあった。怒りがあった。憎しみがあった。
自分に捨てられたゴミ同然のあの女が、何食わぬ顔をして平穏な日常を謳歌していた事実が腹立たしかった。
すぐにでも息の根を止めてやりたい衝動をぐっと堪え、パーティーの終盤にでも機会を窺って行動に出ようとしていたオルコ。
しかし、フラムはどこかの貴族らしい男と共に会場を出てしまう。
アイステーシスの王子だけでなく、別の男にまで言い寄られているフラム。彼女を手放したのは自分だが、それを他人に取られるのも良い気分ではない。
その男ごと道連れにしてやろうか……そんな事を考えていた矢先、事件が起こった。
大広間の窓を割り、会場を壊し怪我人を出した招かれざる客が、オルコの計画を更に狂わせたのだ。
会場の警備をしていた騎士達によって避難誘導が始まり、他の招待客に混ざって城を飛び出したオルコ。フラムの行方は分からず仕舞いで、会場もあの有様ではパーティーどころでは無い。
「次の機会を狙うしかない……。あいつは生かしてはおけない。僕の事もあの王子には知られているだろう。僕が関与していると勘付かれないよう、また別の計画を立てるしか……」
情報提供者の協力があれば、次こそは上手く計画を進められるだろう。
提供者は城の内部に所属する人間だ。連携さえ出来ればフラムを狙う絶好の機会も訪れるはずだ。
焦りすぎるのも良くない。本当にフラムが生きていた事を確かめられただけでも、今日ここに来た意味はあったのだから。
その時、オルコの頬を生温かい風が撫でた。
背筋を何かが這いずるようなゾワリとした感覚に襲われ、妙な寒気が身体を駆け巡る。
「な、何だよ今の……!」
思わず声を震わせたオルコは、きょろきょろと辺りを見回した。
しかし、彼以外に人気の無い王都の裏道には人影は無い。
けれども誰かにずっと見られているような気がして、どうにも落ち着かなかった。
「……さっさと宿に帰るか」
大きな宿では人目も多い。
王都アスピスの中でも寂れた裏路地にある小さな宿を目指し、オルコは足早にその場を後にする。
……はずだったのだが。
「……女の……声……?」
どこからか微かに聞こえて来る、しっとりとした女の声。
ついさっきまで恐怖で足を早めていたというのに、いつの間にかオルコの歩みは止まっていた。
『……の声……て……るか……』
『……わの……が……こえて……るか……?』
そして、徐々に明確に耳に届き始めたその声に、彼の意識は段々と混濁していく。
その声は頭の中にこびりついていくようで、このままではいけないと思っていても強烈な力によって溶かされていく正気が、今の彼にはただ立っていることすらも困難にさせていた。
ガクリと膝を折ったオルコは、僅かに残った意識でどうにかここから立ち去ろうと脚を動かそうとする。しかし、既に身体の自由すらも失った後だったらしい。
「お前、は……誰、なんだ……⁉︎」
オルコの必死の問い掛けに、女の声がゆったりとした語り口で答える。
『わらわは……偉大なる大魔女、ジャルジー。そなたの内に秘められた憎悪、わらわは大層気に入ったぞ』
「大、魔女……?」
『そなたは真の愛を欲しておろう? 良いぞ。憐れなそなたに、わらわの寵愛をくれてやろうではないか』
大魔女ジャルジーと名乗ったその声は、どこからともなく聴こえ続ける。
『さあ、契約じゃ。大魔女ジャルジーの虜として、そなたに歴史に名を刻む栄誉を授けようぞ。……そなたの名を、告げるが良い』
脳を鷲掴みにされ揺さぶられているかのような気持ちの悪さに、オルコは脂汗が止まらない。
その声の主に逆らってはならないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
しかし、口を開いたが最後だと訴える最後の理性が己の内で暴れ出す。
けれどもオルコは、少しずつその唇を開いていってしまう。
「……僕は……僕の、名は……!」
どこかの深き闇の中、女の形の良い唇が弧を描いた。
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「……詳細は後で陛下に尋ねよう。トネールの言葉が真実であれば、じきに手札を失った魔女が次の行動に出るはずだ」
「魔女の虜、だったな。そいつが魔女の封印を解いちまうかもしれねえんだよな」
クヴァール殿下はヴォルカン王子の言葉に頷いた。
大広間にはもう、トネールさんの亡骸は無い。殿下が呼び付けた騎士の手によって、既にお城の地下に安置されているからだ。
私は彼を救えなかった。
死して間も無い訳でもなく、一度魔女の手によって蘇っていた彼を救う手段は初めから存在していなかった。
けれど、それでも私はトネールさんを助けたかったんだ。
何度治癒魔法を掛けても変化は無かった。フランマにやんわりと言葉で止められたけれど、それでも諦めたくはなかった。
……でも、現実は甘くない。
炎の御子でも、やれる事には限界がある。
涙を拭った団長さんは、もう前を向いて殿下達の話に加わっていた。彼が一番悲しいはずなのに、私はいつまでもトネールさんの事を後悔したままだ。
目を赤くしたティフォン団長は、魔法を掛け続けていた私の肩に手を置いてこう言った。
──お前はやれるだけの事をやってくれた。その気持ちだけで、きっとトネール団長も報われる。
顔を上げて団長さんの方を見た瞬間、私は必死に堪えていた涙が一気に溢れ出していた。
私なんかが泣いていいはずがないのに。慕っていた相手を理不尽に失ってしまった彼の方が、ずっとずっと辛いはずなのに。
それなのに団長さんは、私の事を気遣ってくれた。
その優しさまでもが胸に染みて、じくじくと痛んだ。
私はまだまだ未熟な治癒術師だ。この世の誰もを救える訳ではない。
その中で最善を尽くす事が、私に与えられた役割なのだ。
……私も、前を向くんだ。ここで立ち止まってしまったら、この先も目の前で何かを失うかもしれないから。
「既に魔術師団には副団長を通じて応援を要請し、虜が魔女の遺跡に脚を踏み入れないよう魔法による防衛に全力を注ぐよう動いてもらっております」
ティフォン団長の言う通り、つい先程その旨を魔術師団に連絡していたところだった。
フランマとバザルト様は一足先に城下へ行ってもらい、並みの人間を遥かに凌駕する魔力探知によって魔女の虜になりそうな人を探してもらっている。
残る私達はすっかり寂しくなってしまった大広間で、今後の作戦を話し合う真っ最中だった。
国王陛下は身体が丈夫ではない為、こういった緊急時の対応は全てクヴァール殿下に一任されている。今回も殿下の指示に従って動く事になるのだろう。
「……グラースは魔術師団長の調査に回していたな」
「シャルマンさんの調査に……? だからグラースさんの姿が無かったんですね」
他の任務が入って会場警備から外れたとは人づてに聞いていた。でもまさかグラースさんがシャルマンさんと同じ任務に合流していたとは思わなかった。
殿下は把握していらしたようだけれど、この緊急事態はすぐに知らせた方が良いだろう。
そんな風に思っていると、殿下が続いて口を開いた。
「ああ。調査場所は……魔女の遺跡。騎士団の旧宿舎が隣接する、立ち入り禁止区域に出没したとされる黒騎士の調査だったのだ」
「黒騎士の……⁉︎ で、ですがトネールさんは……」
「重要なのはそこではない。トネールによる襲撃の直前に訪れた場所が問題なのだ」
魔女復活の兆しが見え掛けている今、トネールさんが発見されたという魔女の遺跡。
太古の魔女が封印された場所の調査をしているという事は、何かが起きて一番に異常が発生するのはそこに違い無いだろう。
「万が一魔女の虜がグラース達を突破すれば、魔女の封印が破られる危険性がある」
「そうなる前に虜をぶっ潰すか、最悪でも遺跡の手前でソイツを止めねえとマズいって話だな」
「うむ。黒騎士の危機が去った今、会場警備に充てていた騎士達には遺跡へ向かおうとする不審人物を取り押さえるよう命じてある。私達は一刻も早くグラースらに合流し、魔術師団員と協力し遺跡の防衛をすべきだろう」
そうして私達はお城の厩舎から馬を連れ出し、遺跡のある王都近郊の森を目指す事になった。




