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2.メロディに乗せて

「この先が大広間だ。準備は良いな、フラム?」

「……はい、殿下」


 殿下のエスコートで、遂に会場である大広間の前までやって来てしまった。

 既に会場では国内外からの多くの招待客が歓談をしているらしく、大扉の奥からは弦楽団の演奏と賑やかな声が漏れ聴こえている。

 色々な意味で緊張する私に、殿下が言う。


「……私が側に居る。不安であるのなら、もう少し強く手を握っても構わぬぞ」


 その言葉に、自然と指先に力が入った。

 彼はそれに応えるようにほんの少し握り返し、改めて前を向く。私も彼の隣に並ぶのに恥じぬよう、覚悟を決めて顔を上げた。


「では、参ろうか」


 殿下の言葉を合図に、扉がゆっくりと開け放たれた。

 その先に待っていたのは、色鮮やかなドレスにシックな礼服姿の老若男女。

 煌びやかな巨大なシャンデリアが照らす大理石の床に一歩、また一歩と脚を動かしていく。

 今夜の主役であるアイステーシスの王子の登場に、人々が拍手と共に盛大に出迎えた。

 私達が歩む道を形作る人の壁の間を抜け、大広間の中心部まで来た所で殿下が立ち止まる。

 そして殿下は拍手と音楽が鳴り止んだ頃、私達を囲む人々に向けて凛とした声で挨拶を始めた。


「今日、こうして皆が私の生誕二十五年を祝う会に出席してくれた事……。このクヴァール・フェ・アイステーシスは、皆に心からの喜びを伝えたい」


 殿下、今年で二十五歳だったんだ。

 私より年上で、団長さんとグラースさんよりも年下かぁ……なんて感想を胸中で漏らしながらも、真剣な表情で挨拶をする殿下の横顔を盗み見る。

 それにしても物凄い人数の招待客だ。王子様の誕生日を祝う為に、こんなに多くの人々が集まるとは……。ざっと見ただけでも百人は余裕で超えているだろう。

 これはアイステーシス王家の人望と、殿下自身の人柄によるものなのだろう。きっと彼は国民に慕われる良い王様になるはすだと、そう思わせる光景だった。


「今宵は心ゆくまで皆に楽しんでもらいたい。……フラム、心の準備は良いな?」


 最後の言葉だけは私に向けられ、それを合図にしたように奥に佇む弦楽団がワルツの優雅なメロディを奏で始める。


「私と……踊ってはくれないか?」


 そう言って殿下は私に手を差し出した。初めに踊るのは私達という事なのだろう。

 私はゴクリと唾を飲み込んで、彼の掌に自身の手を重ねた。


「はい、喜んで」


 声がひっくり返りそうになるのをどうにか堪え、私の返事に殿下は小さく笑みを零した。


 そこから先は、グラースさんに鍛え上げられた通りに殿下と身体を寄せ合い、音楽に合わせて軽やかにステップを踏む。

 彼にエスコートされていた時から既に思っていたのだけれど、殿下もクラクラしそうなぐらいに良い香りがするのよね。甘過ぎない引き締まった香り……これは香水の匂い?

 相手の顔を見上げてしまえばステップを間違えてしまいそうなので、なるべく彼の顔を見ないように覚えた通りの動きを続けていく。

 すると次の瞬間、殿下は小さな声でこんな言葉を口にした。


「……こちらを見上げてもらえないのは、少し寂しいな」

「も、申し訳ございません……!」

「初めての場で不安も大きかろう。だが、失敗を恐れて俯いて踊るのは美しくない。私がリードしているのだ、そなたに恥などかかせるものか」


 そういう意味で顔を上げられない訳ではないんです……!

 けれどもそんな本音を言えるような空気ではないので、私は恥ずかしさで泣き出しそうになりながらも彼の言葉に従った。

 ワルツのステップに合わせて揺れる殿下の、左分けの長い前髪。

 そこから覗く彼のトパーズのような瞳に、私の情け無い表情が映り込んでいた。


「そうだ、それで良い。背筋を伸ばし、音楽に耳を傾けろ。軽やかに舞うそなたの可憐さ、そしてその美しさはこの私が保証する」


 彼のアドバイスに従って、改めて姿勢を整える。

 大広間はいつの間にか私達以外の男女も楽しそうにくるくると踊り出す人々で溢れ、そんな彼らの姿を見ていると次第に気持ちが落ち着いて来た。

 これが音楽の……殿下と踊るワルツを楽しむという事なのだろうか。実際にドレスを着て踊ったのは今日が初めてだったけれど、気が付いたら自然に自分の口元が綻んでいた。

 そういえば、殿下のリードはグラースさんのものよりも安定していて、踊りやすいように感じる。

 練習の成果が出ているのか、それともこういった催しに慣れている殿下のお陰なのか。どちらにしても、間違って彼の足を踏んでしまうようなミスは無く無事に曲が終わった。


「……ありがとうございます、殿下。そして殿下が無事にこの日を迎えられた事を、心からお祝い申し上げます」

「ああ、ありがとう」


 心なしか普段よりも柔らかな表情を浮かべる殿下。

 その顔を見ていたら、私はある重大な事を忘れていたのを思い出し顔がこわばった。

 どうしよう。私、ダンスの練習に夢中で殿下への贈り物を用意してなかった……!

 そんな大事な事を忘れるような招待客は私ぐらいのものだろう。

 このまま黙っているのも失礼だろうし、きちんと白状して日を改めて贈り物をお渡しするべきだ。多分、きっとそのうが良い。


「……あの、殿下」

「どうした?」


 誕生日当日に渡せないのは心苦しいけれど、殿下への贈り物を纏めたリストなんかがあるはずだ。

 それに目を通せば私が何も用意していなかったのが一発で知られるだろう。

 私は次の言葉を待つ殿下に、思い切って真実を打ち明けた。


「わ、私……ダンスの特訓の事しか頭に無くて、殿下への贈り物をご用意出来ませんでした……。本当に申し訳ございません……!」


 深々と頭を下げた私に、何故か殿下が笑っていた。


「で、殿下……?」


 恐る恐る顔を上げると、彼は言う。


「フフッ……贈り物なら、既に受け取っているとも」

「えっ……? でも私、本当に何もお渡し出来ていないのに……」

「美しく愛らしいそなたと、私の為に開かれたパーティーでこうして踊れた……。この一時が、私にとって何よりも喜ばしい贈り物だったとも」

「私とのダンスが……贈り物……?」

「ああ。私の贈ったドレスを見に纏い、楽しそうに踊るそなたとの時間──それは何にも代え難い、胸弾む時間であった。受け取り主がここまで言っても、まだ私の言葉を信じてはもらえぬか?」

「い、いえ……!」


 本当にこんな事で喜んでもらえたのなら、私だって嬉しい。

 傷や病を癒す事しか取り柄の無い私が、それ以外の事で誰かに喜んでもらえるのなら本望だ。

 それに、今こうして微笑んでいる殿下の顔を見られて、私の方まで特別な贈り物を戴いたような気持ちになっていた。


「ソイツが例の女か、クヴァール」


 聞き慣れない男性の声。

 突然こちらに声を掛けて来たのは、真紅の長髪をポニーテールにした目付きの鋭い若い男性だった。

 赤地に金の糸で刺繍を施した異国の礼装に、首回りには黒い斑点が入ったふかふかの毛皮があしらわれている。真夏だというのに、この人は暑くないのだろうか。


「久し振りだな、ヴォルカン。彼女がそなたが会いたがっていた女性、フラムだ」

「別にオレが会いたがってたワケじゃねえよ! ウチのオッサン連中がギャンギャンうるせえから顔見に来てやっただけだっつの」

「フラム、彼が私の古い友人であるヴォルカン・ディニテ・スフィーダ王子だ」


 うわ、この人が例のヴォルカン王子⁉︎

 クヴァール殿下のご友人と聞いていたから、てっきり殿下に似た雰囲気のインテリ系を想像していたんだけど……真逆のタイプだったとは。


「お初にお目に掛かります、ヴォルカン王子。私は──」

「フラム・フラゴルだろ。堅苦しい挨拶とかクソ面倒だから適当で良い。おい、少しコイツ借りてくぞ」

「……そうか。では別室を用意させよう。そなたは信用しているが、念の為我が国の騎士団長を同行させるぞ。彼女の事情は把握している者だ、安心しろ」

「構わねえ。そんじゃとっとと案内してくれや」


 え、これもしかして急に知らない人と二人きりにされるパターンですか⁉︎

 いや、正確には団長さんも来てくれるみたいだけどどういう事なの⁉︎

 私の戸惑いは虚しくスルーされ、殿下は視線で呼び寄せた団長さんに簡単に事情を説明した。


「ヴォルカン、茶は運ばせるか?」

「そんなに長話にはならねえよ。で、ソイツが騎士団長か?」

「ああ。それではティフォンよ、彼らの案内と護衛は任せるぞ」

「はっ、承知致しました」

「んじゃ行くか」


 そうして団長さんが先導して大広間の出入り口へと歩いていき、それにヴォルカン王子も続く。

 突然大きく変わった流れについて行けず呆然としていると、ヴォルカン王子が面倒臭そうに振り向いた。


「何ボサッとしてんだ。置いてかれても知らねえぞ」

「も、申し訳ございません!」


 彼の呼び掛けで現実に引き戻された私は、行き交う人々の間を縫って二人の後を追い掛けた。

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