探偵少女、ミカンの迷宮
『探偵』
漫画やドラマではよく見るのに対して普段お世話になることはまず無い。というか出来るだけお世話にならない方が平和だと思う。たぶん。
けれども、僕にとって探偵というワードは聞きなれたものだった。
成瀬 美柑。このお話の主人公について。
彼女はクラスメイトでありながら探偵を名乗っている。それは高校生探偵という、いかにも物語が始まりそうな肩書である。(まあ、実際こうして物語が展開されていくわけなのだが。)背はかなり低く150cm弱。小学生で成長が止まったような背格好だ。しかし決して怪しい薬を飲まされたわけではない。僕のじっちゃんの名に懸けて保障しよう。ところで、僕はそんな彼女を友達として見ているわけだが。彼女はどうも違う視点をお持ちらしい。
彼女は僕のことを助手と呼ぶ。
学校で起きた事件、まぁ事件なんて彼女は言うけど、ちょっとした日常生活の問題やハプニングを、見事推理で解決する。すごいすごい。僕はつまるところ自称探偵に巻き込まれた、ある意味一つの事件の被害者だ。
しかし、彼女のすぐれた洞察力から導き出される推理は、探偵を名乗って恥はなかった。
ほら、今だって。
「そうね、この中に保健室の備品を使った者がいるのなら、サッカー部の浜田くん。違う?」
そう、僕はまた彼女に巻き込まれている最中である。貴重な僕の放課後が無残にも探偵ごっこ(どうでもいいこと)に費やされているのは別として、説明すると今は容疑者全員呼び出して特定するくだりだ。
「なんで俺なんだ?」
浜田君は答えた。正直助手として彼にお詫びの言葉をささげたい。
「備品が盗まれたのは16時から17時の時間帯。即ち部活中。その間何があったか、バスケ部の飯田くん。あなたなら分かるよね。」
「ああ、そんときチームメイトの田中がひどい捻挫して保健の先生を体育館に呼んだんだ。」
飯田君は彼女の問いかけに真面目に答えた。いいんだぞ別に、雰囲気作らなくたって。
彼女は毅然として推理ショーをつづけている。
「そう、そして偶然にも容疑者も怪我をした。ここまで来られる程度のね。容疑者は保健室に行ったのだけれど先生はあいにく体育館にいた。だから勝手に備品を使い、そのまま部活に戻ってしまった。」
「待てよ、じゃあなんで俺なんだ、俺以外にも運動部員はいるだろ。」
浜田君の言葉は大きさを増し、はやくなる。
「ここは私の予想なんだけど…」
そう言って、彼女は浜田に近づき肩へ手を伸ばした。
「なんだよ…」
浜田君は渋い声を漏らす。
「ふんっ、くっ…」
しかし身長190cmの浜田君には成瀬の手は届かなかった。
「助手!」
苦しい呼びかけに、とりあえず僕は無言で成瀬さんのところに行く。
「助手、浜田の左肩を押せ!」
気のせいだろうか、成瀬は怒っているようにみえた。
「え…?まぁ…はい。」
どうせこれが決定打となって、浜田君が犯人になるんだろうな。
「おい、よせって」
おもむろに浜田君は身体を背けた。これは何かある。
「助手。やってしまえ。」
僕は心の中で、失礼しますすいません、と三回唱えたのち
「痛っつ!」
彼の患部をつついた。
「浜田、最近左肩が上がりぎみだったよね。君にそんな癖は無かったはずでしょ。君がそんな姿勢になり始めた時期と、事件が発覚した時期がほぼ一致するけど、どう思う?」
彼女は周りの生徒より低い位置から、高らかに言った。
「すいません、俺っす。べつにちょっとくらいかと思ったら、盗難騒ぎになるとは思ってなくて」
事件を認めた浜田君、いままで言うのを憚っていたが、さすがに即効性の高価なシップを根こそぎ持っていくのはどうかと思うよ。まあ、なにはともあれ……
「…事件解決だな。」
彼女は言った。
今日も彼女の事件簿は、白星に終わった。
*
「今回もお手柄だね、成瀬さん」
僕と成瀬さんは学校近くのファストフード店で今日の打ち上げをしている。正直事件のたびに訪れるのはお財布に厳しい。
「うん、まぁ今回もつまらない事件だったんだけど。」
成瀬はバニラシェイクをすすりながら告げる。
「でも人の役にたったから探偵としてはオッケーなんじゃないの?」
「そうだけど…まぁ、何度も言うように私を楽しませる良い事件がないのかしらね」
と、物思いにふけたような顔をする。
「…そうやって毎回事件発生フラグ立てるけど大した事件は起きないと思うよ。実際、起きない方がいいし。」
「…わかってるわ、でも何か、ほら、物足りないの。欲求不満?なのかしら。」
たぶん言葉の意味間違ってると思うぞ、それ。日常が物足りないならぜひ運動部か何かに入ることをお勧めしよう。
「そうかい。良い事件がくるといいね」
「やけに素直ね。今日は機嫌でも良いの?」
「別に?」
そう言った途端、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「隠し事ね!わたしが当てて見せる!」
正直、こんな友達気持ち悪いと思う。だが、これが彼女の性分なのだ。
「はあ、いいよ。じゃあ当ててみな。」
でも、なんだかんだで、僕は彼女の推理は好きだ。だって必ず当たるから。それから数分後、面倒だったので適当に返したと、推理が的中する。もちろん、それなりの論拠と共にね。ただ、これが最後の彼女が解決できた事件とは、誰も思わなかっただろう。
*
翌日の早朝、ついに、彼女にとって最後の事件が起こる。
「ん?どうした。助手。血相も変えて。」
僕はなるべく、出来る限り冷静に言った。
「……事件だ。」
すると、成瀬はにやりと笑って、顎に手を当てた。
「へぇ。助手からとは珍しい。しかも相当焦るほどの事件。はたしてその心は?」
「……人が死んだ。」
「え。」
*
「……つまり、目撃者はあなただけなのね。今のところ。」
「そうだな。」
僕らは僕の話した事件内容を整理しながら現場へと向かう。
「もう一回整理するわね。」
「あなたが早朝、美術科担当の先生に頼まれて美術準備室に備品を運んだ時に吊るされた死体を発見した。」
「ああ。」
「吊るされた死体。っていうものだから、首吊り自殺では無いのよね。」
「ああ、誰かの手が加わっているように見えた。」
「で、その事はまだ私以外に告げてないと。」
「そういうこと、でなきゃ騒ぎになって成瀬さんが調査出来ないでしょ。」
「……私が事件を解決することを優先するなんて、とうとうあなたも助手が板についてきたじゃない。」
「…それはどうも。」
「ついたわね。」
そう言って成瀬さんは準備室のドアを開けた。
すると、中には白く生命感のない女子生徒が吊り下がっていた。それも首を吊っているわけではなく、片手を麻縄できつく締められつり下げられている。その下には対照的とも呼べる、柔らかい太陽の絵が置いてあった。
「…え。ウソ…本当に…」
ここで僕は成瀬の青ざめた顔を初めて見た。
成瀬のことだからこんなことにも物怖じせずに現場検証へと足を進めるかと思っていたが、やはり、彼女は女子高生。いくら名探偵とはいえ超人ではない。
「…びっくりすると思うけど、早くしないと…」
「うん、わかってる。」
早口でそう言った成瀬さんを僕は後ろで見ていた。。
「うん、ちょっとだけ手掛かりは見つかった。でも、死体をそのままにするのはまずいから一度警察を呼びましょう。」
そりゃあ終わったら呼ぼうと思っていましたとも。
「わかった。先生に伝えてくる。」
*
「…それにしても、どうして死体には手を出さなかったの?」
予想外の出来事により、僕らの授業は自習となった。僕らが第一発見者として呼び出されるまでのしばしの間、僕は彼女の推理を聞いている。
「それくらい察しなさいよ。まぁいいわ。警察が来て死体を調べる時に私たちの指紋がベタベタついてたら怪しまれるからよ。」
「なるほど。で、手掛かりとは?」
「そうね、あの死体の足元にあった絵画があるじゃない?」
「うん。」
「それの額縁に挟んであったわ」
彼女は一枚の紙切れを取り出した。やはり、何か手がかりを見つけたようだ。
そこにはこう書かれていた。
【おお、汝よ。気付いたか。全知の者は其方を迷宮へと誘うだろう。太陽曰く、全知の者は必ず統天の前に佇む。月をすくう銀の匙、金の器を持つ少女、そなたは輝きを失う。ではまた会おう、その場所で。】
「なんか不自然な文だね。」
率直な感想だ。
「ああ、恐らく太陽はあの絵画のことだろう。」
「なるほどね。」
「とにかくここで二度出てくる『全知の者』をハッキリさせたい。私の予想だとこれは犯人のことだろう。」
いつそんなこと考えたんだろう、この子は。
「…多分そうだろうね、そして、この紙に気付いた僕らを試している?」
「…憎たらしいがそうだろうな。」
「じゃあ暗号を解くしかないってことだね」
「いや、その前に犯人の意図がわからん。」
「意図?」
「こんな紙切れ、普通第一発見者が気付く訳が無い。仮に警察が気付いたところで何もないしな。」
「だから文中に”おお、汝よ。気付いたか。”ってあるんだ…」
「みたいだな。つまり、犯人は私たちがこの紙を見つけるように何らかの形で仕組んだことになるから…」
「待って、でもどうしてそんなことする必要があるんだ。別にあの女子生徒を殺害する目的なら僕らに知らせる必要もないじゃ無いか。」
「なるほど…犯人の真の狙いを見つけなければならないのか。」
成瀬さんは今までよりも遥かに深く考え込んでいるようだ。童顔にシワがよる。
『今から呼ぶ生徒は直ちに職員室まで来てください。繰り返します、今から呼ぶ生徒は…』
僕らを呼ぶ放送が鳴り、席を立つ。
「じゃあ、明日までに考えをまとめとく。」
成瀬さんはそう残した。
*
翌日。朝。
「やっと暗号を解読したわ。」
嬉しそうな顔で朝の挨拶も無しに彼女は言った。
「マジか…」
「ええ。まず暗号を全てひらがなにするの。」
成瀬の身長は低いが彼女は鼻を高くして言った。
「するとこうなる。」
成瀬さんは【おお、なんじよ。きづいたか。ぜんちのものはそなたをめいきゅうへといざなうだろう。たいよういわく、ぜんちのものはかならずとうてんのまえにたたずめ。つきをすくうぎんのさじ、きんのうつわをもつしょうじょ、そなたはかがやきをうしなう。ではまたあおう、そのばしょで。】と書かれていた紙を掲げた。
「で?」
「まず、全知の者は必ず【統天】の前に佇む。とあるが、統天という言葉などそもそもないんだ。つまり統天は別の意味である可能性が高い。では、『とうてん』と読む熟語を挙げていこう。」
そう言って成瀬さんは紙に文字を書いていく。
”洞天”
”当店”
”読点”
と。
「さすがに道教の教えの引用では無いだろうし、当店ってどの店?ってなるから…まぁここは読点として考えて、さっきの平仮名にした文の読点の箇所をより抜くと…
『おお、』『いわく、』『さじ、』『しょうじょ』『あおう、』になる。そして、読点の前の字をさらに絞り込むと…」
お、く、じ、ょ、う、
「屋上?」
「そう。屋上で会おう。そう言ってるに違いないわ。」
そう言って成瀬さんはフスンと鼻で笑った。
「にしてもありがちな暗号ね。考えた奴はもう少し捻れなかったのかしら。」
「まぁまぁ…犯人も頑張って作ったんだろうし、ね。とりあえず、どうする?」
返事はたかが知れてるけど聞いてみた。
「行くしか無いでしょ。屋上。」
成瀬さんはにやりと微笑んだ。
*
【僕は先に行ってます。】
そう書き残した手紙を置いて、僕は彼女よりも先に屋上へ行った。
【相手は殺人犯だし、成瀬が行くには危険だとおもう。】と、書き足したからまぁ……絶対来るだろう。
屋上階のドアが開く。
「…誰もいないじゃないか、助手。」
僕は屋上で塀に寄りかかり、彼女を待っていた。拍子抜けした彼女の顔は、どこか面白さを感じさせられた。
「…みたいだね。」
「…私の推理が外れたのか…?」
彼女は気に食わない顔をして悩む。
「まさか、成瀬さんの推理が外れるとは。まさか。」
僕は戯けた態度で言う。すると彼女は
「いや、それでも私は必ず犯人を突き止めてやるんだ。」
真っ直ぐな目でそう言った。
どんな事件もあっさりと、クールに解決する彼女。僕は益々その彼女が悩み、そしてその事件が”迷宮へと誘われる”その姿が見てみたくなった。
「へぇ…そうなんだ。」
「どうした?助手。なにが可笑しくて笑っているんだ?」
「悪いね。」
「……おい、まて、まさかお前!」
僕は寄りかかっていた屋上の塀から滑り落ちた。もちろん意図的な行動だ。
そう、
彼女が驚くような出会ったことの無い事件。
彼女が喜ぶ隠された挑戦状。
ありがちな暗号。
これらを用意したのも、ぜんぶぜんぶこの為だ。僕は彼女をどうしても迷宮入りさせてやりたかった。
正直、飽きたのだ。
僕は彼女と同じように、彼女にとって簡単な事件がたやすく解決されていくさまがつまらなかった。だから、彼女には絶対に解けない事件を作った。
彼女は永遠にこの事件を解決出来ない。
なぜなら、彼女はこの物語の主人公で、僕はその語り手だから。
語り手が死ねばこのストーリーは動かない。
そうだろう?
僕が地面に到達する頃には、この物語は終わりを告げる。
「…探偵少女。未完の迷宮の完成だ。」