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小話①


 ルイーズの一日はゆっくりと起き出すところから始まる。そうして母と一緒に身支度と遅めの軽い朝食を済ませた後、男性陣にそろそろお茶でもどうかと声を掛けに行くのだ。父と、結婚したばかりの夫、ヒューイとはこの時間には既に書斎兼執務室で、領地の運営についての仕事の引継ぎが行われている。


 今日は特に予定もないので、この後はルイーズも一緒に父の講義に耳を傾ける一日になるだろう。将来はヒューイと共にこの領地の切り盛りをしていくために、両親から教えてもらう事はまだまだたくさんある。



 本来なら子爵家三姉妹のうち、長女が結婚した時には次代に向けて領主の仕事の引継ぎが始められるはずだった。ところが上二人が嫁いで出て行ってしまったので、最終的には齢の離れた末っ子のルイーズが子爵家に残った。当主である父はようやく領主としての最後の大切な仕事に取り掛かり、随分と張り切っている。


「こんなにお天気なら、いっそどこかに出掛けるのが良かったかも。ああもったいない。ヒューイさんの、良い息抜きになったでしょうに」


 向かいの席にいる母は窓の外、庭の眩しい芝生を眺めて大いに嘆いた。今日は確かに外出しないのが惜しいくらい、気持ちの良い快晴だ。南に位置する子爵領はすっかり春めいていて、緑がどこまでも眩しい。腕の良い庭師達によって管理された、色とりどりの花がそこかしこに溢れている。


「私も、お父様のお話が一段落したら少しこの辺りを見て回るついでに、と切り出そうと思っていて」

「それはいい考えですこと。ルイーズ、あの人に任せてばかりだと将来のための有り難いお話とやらで、ヒューイさんも被っている猫がますます気が滅入るでしょうから。あなたが率先して空気を柔らかくするのが大事よ」

 

 母のありがたいお話にふむふむと頷きつつも、その中に少し気になる言葉があった。


「猫ですか」

「当たり前でしょう。昔からお嫁さんお婿さん、つまり家の外から入って来る人は大変なのだから、こちらが気を遣って差し上げないと」


 母は給仕の使用人に、王都にいる孫達からもらったお気に入りのお茶セットとお菓子の準備をお願いしている。

 それを横目にルイーズが声を掛けに行くため食堂を出ると、キュルキュル、という美しい鳥の声が外から聞こえた。この鳴き方は、といくらもしないうちに後ろから屋敷の家令がやって来て、来客を告げた。姉の嫁いだ公爵家の従者のようです、と続ける。


 ちょうどその時、おそらくは鳥の声を耳にしたらしいヒューイが、やや緊張した面持ちで書斎から顔を覗かせた。彼はすらりとした長身の、目の冴えるような赤毛の持ち主である。元軍人、という肩書だが物腰の柔らかい人である。


 ヒューイはルイーズがやって来るところだったのを見つけて、嬉しそうな表情を浮かべた。それは結婚したばかりの相手という思い込みなのかもしれないが、ルイーズもおそらくは似たような反応だったらしい。居合わせた家令が茶目っ気たっぷりに咳ばらいをした。

 

「お客様だそうです」

「そのようですね」


 執務室には父もいるので、ルイーズはあくまで事務的なやり取りを装った。目が合うだけでも楽しい二人は、仲良く応接間へ足を向けた。

 



 客人は勢ぞろいした子爵家の面々に向かって、上の姉に仕えているという身分を改めて明らかにした。雰囲気からして仕えている者の中でも、かなり格の高い人物であると推測される。

 客間に通された相手は丁寧な口調で、今後は定期的にやり取りを行いたい、という主人の意向を述べた。家同士の結束を高め、それぞれの将来と子供達全員のためでもある、というような説明が加えられる。


 今までは嫁いだ姉達とは、あくまで各自で手紙のやり取り程度だった。今は末っ子のルイーズが正式に結婚した節目であり、まだ領主としての仕事に不慣れであろうヒューイにとってもその方がいいのでは、という配慮らしい。

 現在の当主である父が、威厳を感じさせる物言いで了承の意を伝えると、何通かの封書が、贈り物やお土産と共に手渡された。


 

「……そういえば鳥を飼っているのですか? オウムらしき大きな鳥が、屋根の高いところにいるのが見えましたが」


 ああ、と見送りの際にヒューイが、子爵邸の上の方に向かって手をひらりとかざした。間もなく羽ばたきの音と共に大きな、優に一抱えはある夕陽のように輝く鳥が姿を現した。けれどしかし、差し出された先に触れる瞬間にはその姿は掻き消えた。ころりと彼の手に残ったのは、赤い羽根を象ったブローチである。


「……ああびっくりした。これが噂のあれですね。魔法の道具」


 世の中には魔法としか形容できない、実に不思議な品が売られている。最も有名なのは宛名書きだけで鳥に変身して届く便利な連絡手段で、それは基本的に思い合う人々同士が気持ちを贈り合う方法とされている。

 ルイーズの父である子爵には、この品々を作り出し世の中に広めた人物との接点があった。昔からの友人だそうで、かつては肺の病気の療養を兼ねてこの屋敷にも滞在していたという。

 彼は友人の娘であるルイーズが、ヒューイと仲を深めるのに一役買ったという話をすると、とても喜んだ。そうして一般には流通してさせていない品だけれど、と特別に結婚祝いという形で贈ってくれた。紅い羽のブローチと、碧い羽のカフスとネクタイピンである。並べれば、揃いで作られた物だと容易に察する事ができる。


 紅い方は持ち主が外へ出る時はブローチに、屋敷にいる時の姿は出入りしている使用人達曰く、風見鶏の真似事をして来客等を教えてくれる。生き物ではないのだが、抱きしめると温かいのでまだ寒いうちはとても重宝した。


 

 それでは、と二人で応接間に戻ると、既に父が中身を検めていて、宛名ごとに振り分けていた。


 姉からの手紙は結婚式はとても良かった、とこちらで滞在していた時の話から始まり、落ち着いただろうか、と近況を知らせる手紙である。王都で有名なお菓子や細工物の類、孫達からの可愛いお手紙、お勉強を頑張っていますというような報告を、母が嬉しそうに読み上げた。

 あちらの子供達が、身内を相手取って文書を送る練習も兼ねているのかもしれない。遠くに住んでいる祖父母、貴族階級を有する立場なのだから、最適と言えるだろう。


「ルイーズ、お返しの品を、特に子供が喜びそうな物を街で選んでおいて欲しい。隣国の最新式は王都より早く手に入るので、喜ばれるだろう」


 わかりました、と返事をしている横で、ヒューイが何やら分厚い封書を開封した。中に入っていた細かい字の文書には、赤字で細かい解説や注釈が大量に加えられている。


「何が書いてあるのですか?」

「ルイーズのお姉さん達のお家の、輝かしい歴史みたいですよ」

  

 どうぞ、と見せてくれたのは一枚には読み込んで重要と思える要点を抜き出せとか、所見を述べよなどと書かれている。ヒューイが目を通した後の資料に手を伸ばしてみると、上の姉がいる侯爵家の初代当主の生い立ちから詳しく記されている。硬い文章なので難しいが、ゆっくり読めば理解はできた。

 ルイーズを含め三姉妹は、結婚したら妻として、領地や家の運営方針について意見を求められる事もあるだろう、と父から色々な話を聞いている。過去の施策、意図並びに成果及び反省点くらいは説明できないと困る、との理由からだ。


「……どうして私宛には何もないのですか」


 義妹夫婦に向けて課題が、ルイーズにも次期当主夫人として十二分に自覚を、とヒューイと同量送られて来ても不思議ではないはずだ。それなのに自分宛には義弟はどうだ、真面目に取り組んでいるか、気を配っておいて欲しいとしか書いていない。 


「未熟な義弟への指導が目的でしょうからね。可愛い義妹には不要なのでは?」


 ヒューイは苦笑している。後でじっくりと取り組みます、と丁寧に封筒に文書を戻した。


「……義兄上達に必要な教えを乞う約束はしてあるので、予定通りというやつですよ。ほらあの、王都に着いてすぐ、ルイーズは姉君達とお話されている間に大体の打ち合わせはしておいたので」


 子爵家は王都から離れた小さな領地だが、それが姻戚関係上とはいえ、上の娘二人の結婚によって、にわかに高位貴族の当主と縁続きとなってしまった。そうなると立ち位置はかなり複雑なものになってしまっているらしい。困った事に義兄達のみならず、政敵とされるような立ち位置に所属している者、逆に近づいて益を得たいと考えている者、と干渉したい者が大勢いるらしい。

 実際、退役したヒューイを迎えに行くだけのはずだった王都での滞在中に妙な横やりが入っている。

 ルイーズは別の場所にいたので顔を合わせなかったが、ヒューイは学生時代に仲の悪かった同期生が突然出て来て、この件からは手を引けと露骨に脅迫されたらしい。


 他にも貴族階級の出身ではないヒューイをこの話に巻き込むのは大変危険である、といかにも心配で仕方がない風を装って吹き込まれた声があった。相手はあくまで協力を申し出るという形だったが、その割には意地の悪い言い方だった。さらにヒューイが、提案を受け入れるつもりはないと返事をすると、かなり気を悪くした様子で出て行ってしまった。


 今思い出しても大変に腹立たしい声を、ヒューイ様、とルイーズは無理矢理振り払った。


「私達は夫婦です。既に結婚した身ですから、あらゆる労苦には手を取り合って立ち向かうべきかと」


 それは父から再三言いつけられていた妻として夫を支えるという大切な役目であり、先日の婚礼の儀においても教会より、形式に乗っ取った形で確認された。今まで家の子供として安穏としていたルイーズはこの結婚を機に、今までとは違うやる気に満ち溢れている。

 ヒューイは領主として必要な教養や、物事の見方にはまだ自信がないと言うので、今までのように父の後ろに隠れてばかりではなく、支えていかなければならないためだ。


「あら、仲良しですこと。ヒューイさんは家の中に厳めしい顔の先生がいて辟易しているでしょうから、その意気です。ところで早いですけど、できたてのお昼をそろそろ頂きましょうか。もう用意が整っているそうなので」

「……」


 さあさあ、と母は明るい声で話をまとめた。厳めしい先生呼ばわりされた父は苦い顔をしているが、母は一顧だにしない。とりあえず受け取った物をそれぞれ自室に持ち帰る事になった。


 持ちますよ、と気を遣ってくれたらしいヒューイの顔を、ルイーズはじっと見つめた。彼は課題を出されて心配していると解釈したのか、大丈夫だと明るく笑う。


 この人は苦労して軍人になったのだが、父の要請に応じて今度は別の仕事を一から勉強して始めようとしている。結婚して初めて家族ができた、とも打ち明けてくれた。それまではずっと一人で生きて来た人なのだ。ルイーズはせめてヒューイに、この地で穏やかな時間を過ごしてもらいたいと思っていた。


 確かに、自分達にはまだまだ次期領主夫妻、として必要な経験は足りないかもしれないけれど、それは時間が解決してくれる。それを教えるのは後継に指名した父の役割であり、柔軟に円滑に進むように仲立するのが、自分にとっての重要な役割なのだから。

 

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