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7 子爵領の花嫁と花婿



「……話を聞こうにも、この有様で」


 王城の医務室に緊急で、そして内密に呼び出した西の若き侯爵は、ベッドに横たわる弟のアランの姿に絶句した。獰猛な獣に襲われたで済んだわけもなく、その全身は包帯で覆われて現在は鎮静剤を投与されて死んだように横たわっている。

 

 しかし実際は、虎に飛び掛かられ足場から落下しての足の骨折のみ。それを、檻に戻っても気が立っている虎を調教師が宥めている隙に、下手な証言ができないように手指と顎の骨を砕いたのはアストラの腹心だった。その調教師は、虎が人を襲った事実を揉み消す代わりに、アランの事は他言するなと脅してある。西の侯爵領には絶対興行に行くな、とも。


 往診した医務官は落下や獣の噛み傷でない事は察したが、こちらも王太子の直属である。診断書には虎に襲われましたとしか表記していない。


「表向きは私の体調不良、という事で夜会は中止としましたが、このような証言も複数ありまして」


 続いてアストラが取り出したのは小さな貝殻を模した装置である。楽団の演奏を吹き込んで別の場所で再生する、という目的で技術開発局にわざわざ招いた隣国人に作らせた小道具だった。


 しかし今、手にしている貝殻もどきが繰り返す侯爵の弟の肉声は、王太子を操るのは容易である、人の言葉を鵜呑みにする愚かな子供だ、他の侍従も大した実力を有していない腑抜けだらけ、と解釈次第では反逆に問う事もできる内容。これに関しては罠に嵌めるまでもなく、日常的な言動を集めたに過ぎない。


「……アランが、僕の主催した夜会で虎を招待客にけしかけようとした意図について、この場で兄である侯爵殿に伺おうと思いまして。……もちろん公の場に持ち込んでも全く構いませんが」


 アランをアストラの侍従に送り込んだのは、軍に強い繋がりを持つ西の侯爵家である。弟が勝手にやった、で済む話ではない。どうしてそんな事をしたのか、アランは証言できる身体ではない以上、好き勝手に推測されるだろう。


 一人だけ、アランが虎を実際にけしかけた相手だけが余計な証言をする可能性がある。けれど、夜会の正式な招待客のリストにその男の名前はなく、西の侯爵が辿り着くのは難しい。そして、その男の義兄にあたるカーライズ公爵一派と、この西の侯爵家の深刻な対立関係を考慮して、アストラは繋がらない方に賭けた。


「……もしここでこの先、貴殿が僕に従う誓約が頂けるのであれば、今回の件は長年の侯爵家の忠誠も鑑みた上で、アランの暴走という事で私の胸の内にしまいます。この装置も破壊しましょう」


 社交界に要らぬ波風は避けたいから、とアストラは心にもない言葉を付け加える。西の侯爵家はまだ代替わりしたばかりでまだ、引退した先代の指示を逐一仰いでいる状況だ。けれどこの場に的確な対処法を耳打ちしてくれる存在はいない。


 公の場でアランの、反逆にとれる行動を暴露して侯爵家の存在を危うくするか、それともここでアストラに頭を下げるか。どっちを選ぶかは考えるまでもない。 


 

 

「……装置、壊さない方が良かったのでは」

「この場で終わる、と思うからサインしてくれたんだ」

 

 アストラは上機嫌で、西の侯爵家の現当主が一筆書いた誓約書を弄んだ。侍従のヴィクターが、アストラが約束通り踏んで壊した貝殻の残骸を掃除している。アランは邪魔なので別の場所に移した。


「知らぬ存ぜぬ、で開き直られたら台無しですよ」

「……その時は本当に、侯爵家は潰す」


 役に立たないなら意味がない。もっと役に立つ人間に入れ替えた方がいい。アストラは懐から、さっき破壊したのとは別の装置を取り出して再生した。勿論、吹き込まれた内容は壊したものと全く同じで、目にしたヴィクターの呆れた顔を前に、王太子は増々機嫌を良くする。


 

「……アストラ殿下、カーライズ公がお見えです。体調が優れないと聞いたとかで」

「……はあ?」


 その時医務室に飛び込んで来たのは別の侍従で、追い返せ、と命じる間もなくその背後から紫紺の瞳の公爵が姿を現した。

  

「……体調が優れないとも伺いました。それから王太子殿下が我が義妹の結婚相手について、心を砕いて下さっていたと聞き及びまして」


 相変わらず、どこまで本心か探るのが難しい真面目な表情を崩さない。しかし、本当に体調の心配をしているなら、こんな時間に来ないだろう。


 実際、面倒な相手だった。長年、仲が悪かった隣の侯爵領と、夫人同士が仲の良い姉妹という理由であっさり和解して勢力の拡大に成功している。その上、アストラが突けるような隙は一切見せず、公爵領の領地の運営を行っていた。真面目で誠実で、とアストラにとって、この上なくやりにくい相手だった。跡継ぎもいて、最大の懸案事項だった義妹の婚姻も片付き、しばらくは怖いものなしと来ている。 


「いかがでした、我が義弟は?」

「……為人はともかく、市井の育ちの者が貴族として振る舞うのは、やはり苦労の方が多いのでは?」

「……僭越ながら殿下には婚約者すらいない身で、あの義弟の言動は殿下を深く傷つけたのでは、といてもたってもいられず。なんというか、こう、……すっかり浮かれているので」

「……決してそういう卑近な理由で体調を崩したわけではないです」


 それなら安心ですね、と最後に冷ややかな視線を残してカーライズ公は医務室を辞した。やはり釘差しが目的か、と一度は引っ込めた怒りが再燃する。


 その矛先は、横で笑いをこらえているヴィクターに手近な枕をぶつける事で解消した。

 








 ルイーズは雨の音で目を覚ました。昼過ぎから子爵領に降り出して、今の時間帯が一番雨足が強いらしい。


 隣で寝ているヒューイが起きないまま、朝までぐっすりと眠れますようにと思いつつ、しかしおそらく真夜中なのに広い寝台の上にはルイーズしかいなかった。


 あれ、と首を傾げると夫婦の寝室の隣、ヒューイの私室へ続く扉の隙間から光が零れている。こんな時間にどうしたのだろう、と思いながら起き上がって、ベッドサイドに置いてあった水差しの中身をグラスに注いだ。


 向こうも一人になりたい時間があるからそっとしておくべきだろうか、と乾いた喉を潤して再び横になった。雨の音をかき消すために、ルイーズはここ数日の出来事を思い浮かべる。


 

 

 夜会があった日の翌日に、ルイーズとヒューイの正式な婚姻の手続きを終えた子爵家一行は、最後に姉家族達と王都一、と有名な紳士服のお店へ寄ってから帰路についた。お世話になりましたと滞在した公爵家にもお礼を言って、色々あった王都の滞在も終了した。 


 あの意地の悪い横やりを入れて来た王太子の事は気がかりだったが、とりあえず今は日が迫っている結婚式の準備が大事、と父に諭された。社交界においては義兄である公爵の傘下に入るので、面倒事は任せておけばいい、との言い分である。しばらくは領地で教える事がたくさんあるから、とそうして馬車を走らせる事数日、ようやく帰り着いた子爵領の屋敷の前では、報せを受けた母や使用人達が総出で待っていた。


「……優しそうな人で良かったわね」


 ヒューイと実際に顔を合わせ、お茶を飲んで会話をした後で母はそんな事を言っていた。そして、予想外の滞在が伸びた事で不在だった間にも、留守を預かっていた母が手際良く準備を進めてくれたおかげで、大きなトラブルなく結婚式を終える事ができた。


 子爵領にて代々、少しずつ手を加えながら受け継いできた花嫁衣裳を纏ったルイーズと、それから花婿として子爵領に迎え入れられたヒューイは、暖かい拍手と賛辞と笑顔に祝福された。




そんな数日前の事を思い出し、ルイーズは再び寝転がって幸せなため息を零す。冬の初めに一番心配だった、会った事がない婚約者と仲良くやっていけるか、という問題も今は心配要らない。


 子爵領の各所への挨拶回りも終わり、ヒューイとルイーズは現在、父から子爵領の仕事のあれこれを学んでいる。子爵家の跡継ぎは、とりあえずどこへ行っても堂々と、かつ礼儀正しくしているようで評判は上々、と父が言っていた。


 領地の中の事はとりあえず落ち着いて来ている。緩く編んでまとめた髪をいじりながら、しかしルイーズは、はたと気が付く。 


 先ほど目を覚ましたのは眠る前にはヒューイが横になっていた側である。つまり、寝ながら転がったルイーズが蹴るか体当たりするかして追い出した結果、ヒューイは一時的に私室に引っ込んでいるのが今の状況なのか。

 

父と母は普通に一緒の寝台で眠っていたので特に疑問に思わなかったものの、しかし自分の寝ている時の事までは考えが至らなかった。

 

 そんな事を考えているうちに扉の向こうの明かりが消える。慌てて元の自分の定位置に戻ったルイーズの横に、眠っているはずの妻を気遣うように、極力足音を忍ばせて戻って来たヒューイがそっと潜り込んだ。


 その後いくらもしないうちに、眠れないのか、と当たり前のように問いかけられ、ルイーズは身体をぎくりと強張らせた。


「……どうして起きているとわかったんですか?」

「わかりやすい狸寝入りだったので」


 嘘がつけないのは良い事、とヒューイの笑い声が寝室に小さく響く。観念して身体の向きを反転させると、暗い部屋の中で目が合った。特に眠そうな表情でもなく、まだ雨の音も強いままだった。せっかくだからお話しましょうか、とルイーズは口を開く。



「……寝相? まあ、朝起きてくっついていると得した気分になりますよね。勿論、蹴飛ばされた事はないです」

 

 起きたのは雨の音と、それから昼間読んでいた本の内容でどうしても思い出せない事があったから、とヒューイは言った。一緒に寝ている人間の寝相については微妙にはぐらかされた気もする。 


「……こちらに来て、いかがですか?」

「『寒い』、という言葉の新たな使い方を知りました」

 

何か不自由に感じている事があれば、との思いから聞いてみたものの、ヒューイの明後日の方向の回答に、ルイーズは顔を覆った。



 

 結婚式や親族達を招いての食事会を終え、姉一家を含めた全ての招待客を見送った直後、ルイーズは浴室に送り込まれた。いつもより入念な髪や肌の手入れを施され、侍女達には勝負所ですよ、と励まされて寝室へ向かう事になる。何が、とは誰も具体的には言わない。


 それで一人、やけに広く新しいまだ木の匂いがふわりと漂っている寝台に腰かけた。よくわからないままここにいる事に不安を覚えながら、とりあえず緊張を紛らわすために家庭教師の教えを小さく復唱する。


「……寒いです」


 そうして後からやって来たヒューイに、すっかり春らしくなった暖かい気候にそぐわない頓珍漢な誘い文句を口にしたのだった。


 令嬢たるもの何事も上品に、後は殿方に任せて、が口癖だった家庭教師に言い聞かせられたセリフである。それ以上の肝心な事は教えてもらえなかった。


 結婚相手に会うのは暖かくなってからで、しかも予備知識があった方が迷惑をかけずに済むのでは、とルイーズは言ってみた。会った事がない相手に丸投げはどうかと思う、とも控えめに意見した。


 しかしそれはよくない、と何故か怒られて何も言えなくなり結局、ヒューイに全て委ねる事になったのである。終わってみれば家庭教師の言う事にも一理あったとはいえ、もう少しちゃんと教えてくれても良かったのでは。


 ちなみに寒いなら仕方ない、としばらく寝台で二人でくっついて寝転びながら花嫁衣装が素敵だった等、と他愛のない話をしばらくした。その夜は疲れていたので、二人共眠ってしまった。今となっては笑い話、という事になっている。



 

「……奥が深いな、と感心しまして」

「……それならいいんですけど」


 寒い場所が嫌い、と言っていたヒューイの役に立ったならいいか、とあの言葉の必要性について疑問が残ったルイーズは思う。


 他にも、料理長が子爵家の面々の目玉焼きの焼き加減を微妙に変えて提供している気遣いや、母がお喋りな点に驚いた、とルイーズにとっては当たり前だった事柄に、ヒューイはいたく驚いたらしい。


「……母はずっとあんな調子です」

「あの義父上の奥様だから、もう少し物静かな方を想像していたんですよ」


 父が寡黙な代わり、というわけでもないが、母は人と話すのが好きだった。朝食時にはその日の父のネクタイの柄についてアレコレ意見を述べるのに始まって、最近はルイーズの結婚式の時に姉が連れて来た可愛い孫達の事、と話題は尽きない。


 王都で最後に訪れた、姉や義兄の助言を参考に、ヒューイへネクタイを買うために寄ったお店で、せっかくだからと全員で父にネクタイを一本ずつ購入した。


 父は照れたのかぶっきらぼうに色は何でもいい、と言うので子供世代は空気を読み、いかにも好んで身に着けそうな濃紺やえんじ色の渋い物を選んだ。しかし孫世代は容赦なく、金色や花柄や熊ちゃん猫ちゃん、と自らのセンスに忠実な柄をプレゼントしている。


 その顛末を聞いて面白がった母が、色々と理由をつけてその奇抜なネクタイをつけましょう、と父に迫るのが最近の毎朝の光景だった。母自身は孫達に可愛らしいお茶会セット一式をもらい、お茶にしないかと嬉しそうに頻繁に誘ってくる。


「……あと、あの鳥の手紙を作った話とか」

 

 ヒューイの言葉に、父の友人として式に来てもらった鳥の手紙を作ったグレイセルの話が思い出された。




「……誰が見ても美しい物を作れ、って言われて考えたんだけど、一人一人の答えが違うから困ってね。空に海に花に美女に、金貨の輝きなんて人までいて」


 それで頭を抱えている時に、当時はまだ恋人だった女性に相談すると、悩める若き発明家の向かいに座って話を聞いて、一緒に悩んでくれたらしい。


「その時の、話を聞きながら僕を見てくれる彼女の瞳がね、すごく綺麗で何より美しかった。それで閃いた。どうにかして、これを作れたら最高だって」


 その発想から手紙が鳥になるまでも一応、難しい専門分野の事を一通り教えてくれたが、その場にいた誰も全く理解ができなかった。父が投げやりに、そもそも頭の構造が違うから、と締めてその場はお開きとなっている。




 

「……ルイーズが、今まで見た中で一番綺麗だと思ったものは何ですか?」

 

 隣のヒューイに問いかけられて、ルイーズはしばし思いを馳せた。ついこの間まで子爵領から外へ出た事がなかった世界の狭さでは、必然と答えは限られてくる。


「……紅い鳥、です」


 ルイーズの愛しい人の色を映した、夕陽のように美しい姿。拙い手紙に同じ気持ちでいる事を教えてくれ、不安でその場に頽れてしまいそうなルイーズを、一人ではないと勇気づけてくれた。


「ヒューイ様は?」

「……秘密で」


 それはずるい、と抗議したが、ルイーズも見ているものだと言われて考え込んだ。顔を合わせてからそんなに期間は経っていない。


「……王都の夜景とか」

 

 王太子に招かれた舞踏会の会場や白い虎、と思いつく限りで挙げてみたが違う、と言う。もっとオーソドックスな、と言われてもなかなか思いつかない。


 ヒューイの顔をじ、と眺めてみたものの、静かに見返されただけでヒントはくれなかった。少し小さくなった雨の音だけが部屋に響く。


「……どんな風に綺麗でした?」

「……喩えようもないくらい、幸せにしてくれましたよ」


 それきりヒューイは目を閉じて、ルイーズがそれ以上何を聞いても寝たふりを突き通した。



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