3 不穏なお誘い
通称、鳥の手紙はグレイセルが若き日に発明、実用化に成功した。しかし、製法が複雑過ぎて発案者本人しか作る事ができず、二十年以上経った今でも高価なため、流通は未だ上流階級が主となっている。
それがかえって送り、送られる事が単なる手紙のやり取り以上の関係を示す事態にまで発展している。書き手の瞳の色を映す、という仕様も神秘性を感じさせ、少なくとも好意を抱いている相手でもない限りは使用を控えるのが普通だった。
「……うん、クロードのその認識で大体あってるよ」
向かいの席に座った父と、その友人の会話が妙に遠くに聞こえた。
灰色の鳥が姿を変えた封筒には王家の蝋封と、そして宛名はまさかの子爵家三女、とある。食事会は微妙な空気に包まれ、ルイーズは隣に座った婚約者の視線に応える勇気もなく、ただその手紙を呆然と見つめるしかない。
「……もらう心当たりは?」
顔を上げると、初めて見る父の戸惑ったような声と視線に、ルイーズは必死に首を横に振った。他の貴族の子供は幼少期から他の家との交流を積極的に図るそうだが、ルイーズは婚約者がいるのでその必要もなく、領地の外に友人と呼べる存在もいない。ましてや王家なんて、雲の上にも等しい存在に思えた。
「……結局のところ、ルイーズばかりに家の事情を押し付ける形になってしまったのは悪かったと思っている。…それと、冬の初め辺りからずっと様子がおかしいのは違うのか?」
「……それは」
父の心配が、灰色の鳥の手紙が全く関係ないところに及んだ。冬の初め、ルイーズは姉から特別な人に贈りなさい、と渡された鳥の手紙を使っている。返事をもらって浮かれる様子は、確かに事情を知らない父からすれば。
「それは違わないけど、違う……!」
「その時期に、私がルイーズ殿に手紙を頂きました。嬉しくてつい、浮かれて宝飾品なんて贈りましたが、今思うと軽率ですね」
ごめん、と紅い瞳がルイーズを見た。微かに苦笑するような響きを帯びていて、この状況で一体どういう事だ、と声を荒げてもおかしくない人が一番冷静さを保っている事実に、親子はとりあえず揃って安堵する。
「まあ、……ヒューイ君が疑っていないならいいんだが……」
「とにかく、開封してみましょうよ」
父はまだ何か言いたそうな様子だったが、とりあえず一旦は口を噤んだ。ヒューイに促されて、ルイーズは慎重に封を開けた。中に入っていたのはシンプルな便せんと、二つの穴が開いている黒い薄い形状の物体が二枚入っている。
「それは仮面舞踏会で使う奴だね。王太子殿下が好きで、よくあちこちで開催してるよ」
成り行きを見守っていたグレイセル曰く、顔を隠して出席する夜会の形式らしい。仮面で顔を隠している間は身分や家柄などの話を持ち出さず、とりあえず楽しく過ごすのが決まりだとか。
現在の貴族制度から大きくかけ離れた形式に、年配の者や古くから伝統ある家の出身者からは不評だが、逆に若い貴族の子弟達にはそのやり方を歓迎する声が多いという。
便せんは、その殿下からの仮面舞踏会の招待状だった。四年前に届け出があった子爵家三女の婚約誓約書について当日、会場で直接会って話したい、と。開催は二日後、場所は王都中央公園を貸し切って盛大に行うらしい。
「殿下の為人とかは……まだ何とも言えない。兄弟もいないから王位継承を争う相手がいなくて目立った動きが無いからね」
「……それにしても、身分にこだわらないと言う割には私が結婚して子爵家に婿入りする事に関しては一言ある、と。それともわざわざ応援でもしてくれる気なのでしょうか」
「い、……今更撤回なんて絶対嫌です」
ルイーズは、面白くなさそうな声音のヒューイの腕を思わず掴んだ。何しろ、既に子爵領は婚礼の準備をほとんど済ませ、後は花婿の到着を待つばかりのところまで来ている。
何より、ルイーズ自身が受け入れたくない。顔を合わせたのが今日の話だとしても、ヒューイの事を考えながら過ごした時間は決して短くない。
「……仮に脅されたとしても、それであっさり引き下がる程、お上品な育ちではないのでご安心を。……そういうわけで、二人で出席してきて構いませんか、お義父上?」
「王族からの招待だ。……断れない以上は行くしかないだろう。気は進まないが」
いくら何でも一方的に白紙撤回は不可能だ、と父は言う。そんな事がまかり通ってしまえば、王家と貴族達との信頼関係が根本から揺らぎかねない。
お食事中にすみません、と声がかかったのはその時だった。テーブルにやって来た宿の主人らしき恰幅の良い男性の後ろで、貴族の従者らしき恰好の青年が恭しく一礼する。
「カーライズ公爵夫妻より、手紙を預かって参りました」
エリーゼか、とルイーズの下の姉の名前を呟きながら、子爵が手紙を受け取った。ヒューイが隣のルイーズも読めるように手紙を広げてくれたので、一緒になって覗き込む。
「義弟殿……昼間は楽しかった、夜会の件は把握している、予定にない誘いで大変だろうから全面的に手を貸します、婚約者から目を離さない事、できれば公爵家所有の屋敷に滞在して欲しい、だそうです」
表に馬車を用意しています、と淀みない口調の公爵の従者が笑顔で付け加える。
「……貴族の付き合いって大変ですね」
「確実に味方なだけ、まだマシだ」
父とヒューイとが、揃ってため息を吐いた。
「……お風呂いかがでした?」
「……バラが浮いてました」
公爵の屋敷は王都の中心部にほど近い場所に建っている。エリーゼの話では周辺は多くが貴族所有の都会屋敷になっているらしい。子供達は長女のフローラのいる侯爵邸の方へ泊りに行ったらしく、屋敷の中は静かだった。
待ち受けていた姉に、とりあえずお風呂ねと連行されて男性陣とはお別れだった。昼間より幾分柔らかい表情の紫紺の瞳の公爵が、父とヒューイと、それから半ば無理やり引きずって来たグレイセルを屋敷の奥へ連れて行く。
ルイーズが案内されたのは、子爵領にある自室より大きいのではないか、と思うほど巨大な浴槽だった。乳白色の湯が満たされ、赤いバラがぷかぷかと浮かんでいた。
お風呂上がりに案内された部屋にはヒューイが、やはり疲れた表情でソファに座って暖炉を見つめていたので、いそいそとその隣に腰かける。
「……男湯には流石にバラはないですよね?」
「さあ……?」
ヒューイがあまりにも嫌そうな顔をしているので、ルイーズは思わず笑ってしまった。父とグレイセルはもう少し、公爵と話があるとの事で姿は見えない。
「……さっきは、信じて下さってありがとうございました」
「……婚約者殿に関しては疑う以前の問題かな、と」
わかりやすい、と暗に言われているようで面白くはないものの、昔から秘密を貫き通せた事は皆無である。
両親の結婚記念日に、三姉妹と使用人達でお祝いをしよう、当日まで二人には内緒ね、と念押しされたにも関わらず、ルイーズの挙動不審であっさりと露見してしまった事があった。
かと思えば、屋敷の庭に子猫が迷い込んだ時があって、ルイーズがこっそりと料理長にミルクを分けてもらって飼ってくれる人を探した事もあった。結局、牛飼いの家のネズミ番にもらわれていったものの、次の日の朝に父から、良かったなと言われて吃驚した事もある。
「……楽しそうですね、子爵領って」
「楽しいですよ、ずっとそこで暮らして来ましたから」
国境線はどんな場所でした、と聞いてみるととにかく寒かった、と返事が来る。
「持ち込んだ武器でバンバン威嚇して追い払えるうちは良かったんですが、そのうち雪が降ってくると大変でしたね」
しみじみと呟くヒューイに、とにかく子爵領は暖かい場所だと強調しておいた。雪が降る年の方が珍しい、と。それは国内でも珍しい場所で、保養地として利用する者も多い。
「……だから、ヒューイ様も一緒に帰りましょう」
舞踏会で何を言われるのかはわからないけれど、今から弱気になるわけにはいかない。ヒューイは四年も待ってくれた。ルイーズには、その分を支える事で返す義務がある。
「じゃあ、俺より絶対長生きして下さいね」
「……待って、そんなの私だって一人で残されるのは嫌です!」
慌てて腕に縋りついたところで、姉夫妻が部屋割りがどうこう言いながら扉を開けて入って来た。公爵がヒューイとルイーズの顔を交互に見比べて、やはり同室の方がいいのかと真面目な表情で言い出したため、誤解を解く羽目になる。
ヒューイの方はその必死な婚約者の小さな背を見ながら、一緒に帰ろう、と言われた言葉を胸に刻んでいた。