1話 橙色の始まり
__キーンコーンカーンコーン
「起立、気をつけ、礼」
「「さようならー」」
入学式の後のホームルームが終わる鐘が鳴り、号令のための仮学級委員になった藤田さんの号令の声が響く。さすが中学の頃も学級委員をやっていただけあってか、その号令の響きはとても心地よく耳に残った。
県立 泉緑高等学校。私が今日晴れて入学することになった学校である。まあ元々超難関私立高校に入るつもりであったし、特に“晴れて入学“というほど大袈裟に表現される必要はなく、難関校を蹴ってまでこちらに来たのだからあくまで入学することは必然的なことであった。
少し話が逸れたが、この県立泉緑高校は“県立”というだけあって設備も何もかもが一般的で、偏差値もお世辞にも高いとは言えない。少し他の学校と違うことがあるとすれば、無駄に学校の土地が広いことくらいだろうか。確かここの学校の校長が県で結構な力を持っているとかなんとか。まあ大人の事情なんか知ったこっちゃないが、私がわざわざこの学校に来た理由は、その土地の広さによるものだとも言えるだろう。
学校について細々と書かれたプリントや、良く学期始めに配られる『携帯電話の依存に注意!』や『ダメ!薬物』などと書かれたどうせゴミになる広告プリントを仕方なくファイルにきちんとしまいながら隣の席をチラリと見る。猫背気味のポニーテールの女の子は、相変わらずホームルームの時からずっと携帯を弄りっぱなしだ。
「『携帯電話の依存に注意!』ですよ。」
気になって仕方がなかったので、ファイルにしまいかけたプリントを突き出して言うと、彼女はホームルームに終わった事すら気づいていなかったのか「うわぁ!」と声をあげ、体制を崩し大袈裟に驚いた。
「終わってたの、ほんとに気付いてなかったんですね。号令の時に座りっぱなしだったのもわざとだったのかと思ってたんですけどそれすら聞こえてなかったなんて。一番前の席だから先生、『誠に遺憾』って顔してましたよ。」
「うっわー。ごめんごめん。ちょっと親からの連絡がうるさくってさぁ。…ってか『誠に遺憾』って武士かっ!」
その喋り方はさっきまでのひどく怖い顔をしながら携帯に向かっていたその姿とは対象的な、とても人当たりの良いものだった。顔を上げた事により露わになった容姿もとても整っており、なるほどこれが世に言う“イマドキ”なのかと納得できる制服の着こなしをしている。いや、襟やタイではなく髪に刺したタイピンや第二ボタンまで開けられたシャツをみるとこれはもしや“チャラい”に属するものでは、とすら思える。
「…しつこく注意するのも野暮なのであまり言いたくないんですけど、話はちゃんと聞いたほうがいいですよ。明日教科書代、持ってくるって聞いてましたか?」
「わっ!ほんとに?全っ然聞いてなかった。ありがとう!」
「いえ」
一通り伝えたいことを伝え終えたので、帰りの準備の続きをしようとしたのだが、ポニーテールの彼女が自身の顎に手を当て私をじまじま見てくるものだったので手を止め再び彼女に向き直った。なんだか“イマドキ”女子に品定めをしていられるようで少し鬱陶しく思ってしまう。
「…なんですか。もう提出物の連絡はありませんでしたよ。」
「んー、いや、せっかく隣なんだしさ、自己紹介くらいしとこうよ。」
「はあ。」
入学式直後ということもあったので、環境が変わった学生のよくある典型的な流れに身を任せて見ることにする。
「あたしは西条紅葉。元女バレキャプテンなんだ。君は?」
「…天野七星。元文芸部部長です。ちなみに明日席替えなので、『せっかく隣』は訂正させて頂きます。」
「もー、いいでしょ。同じクラスなんだからよろしくして無駄なことないって。それより『元部長』っていう共通項も見つかったことだし、これからよろしくね!」
あまりにもその目が私を真っ直ぐ見てくるものだから、耐えきれず目を逸らしてしまう。たまたま横目に映った見るからに目立つ系女子のグループが連絡先を交換していた。私とよろしくなんてしてないで彼女はあちらに行くべきではないのか。そんな素朴な疑問を抱えたが、結局は私には関係ないという結論にたどり着いたので適当に返事を返した。
「よろしく。」
__西条さんと連絡先を交換し合った後、ようやく準備を終えた私はある場所に向かうため無駄に長い渡り廊下を歩いていた。ある場所、とは私がこの学校に来た本来の目的でもある。まだ数階は内装が整っていないので完全とは呼べないのだが、二、三年前に突如この学校に作られた十階建ての大きな建物。今も歩く度にその建物は近づき、存在感を強調させ、私の気持ちを徐々に昂らせた。
ここ、県立泉緑高等学校には十階建ての図書館棟がある。
実際目の当たりにして見るとかなりの迫力で、何でこんなものわざわざこの学校に作ったのだろうと思うくらい、外観は立派なもので周りのボロ校舎から浮いていた。入口の二重になった自動ドアをくぐると駅の改札のような機器が設置されていたので今日ホームルームで配られたカードをスキャンし中に入る。まるで大学の図書館だ。
中は外観に劣らない、いやむしろ予想以上に綺麗で立派だった。入口付近に置いてあった校長と図書館棟が表紙のパンフレットを手にとると、どうやら一階は自習スペースらしく、本棚が少なくパソコンが置いてあるテーブルが多い事にも納得をした。
早速設置されたエレベーターで二階へと行ってみると、圧倒的な生徒の多さと騒々しさに驚愕し落胆する。こんな図書館棟があるくらいだから本当に本が好きで来ている生徒が多いと思っていたのに、ほとんどの生徒が友達同士でこの大きな建物を興味本意に見物しているだけだ。
二階の雑誌コーナーはあまりにも人が多かったため、人気の少ない三階から見て回ることにした。
三階は参考書コーナー、四階は資料、五階は漫画、六階は料理、音楽などの趣味に関する本。七階以降も見ようとしたがそれ以上上の階はまだ準備中のようで一般用のエレベーターのボタンは押しても反応しなかった。パンフレットを見る限り、七、八階が海外文学、九、十階が日本文学となっている。元文芸部、ということでもちろん日本文学には目がなく、それを一番の楽しみにしていた私はおあずけになってしまうことに少しがっかりした。大体本の真髄でもある日本文学のフロアが何故まだ開放されていないのか。というかこの図書館棟はいつになったら完全に開放させるのか。様々な不満を抱いたが、ここで何を思ってもどうにかなる訳ではないので仕方なく六階からエレベーターで下に降りて帰ろうとしたとき。エレベーターのすぐ隣にある七階に繋がる階段が、普通なら『立入禁止』のテープが張ってあるはずなのに、何もされていない無防備な状態であることに気付いてしまった。その時頭にふと浮かんだ“侵入”という物騒な考え。
だが階段の状態がこれなら、もし誰かに見つかった時でも言い訳ができる。日本文学の誘惑に負けた私は、意を決して“侵入”を決行することにした。
階段を使って日本文学フロアである九階まで上がった私は、今まで見た事のない充実した本の量にとても驚き高揚した。内装もほとんど完全しているに等しく、本当に準備中なのかと疑うくらいである。
三階から六階までとは打って代わり、端から端までじっくりと眺め普通本屋では見ない本を見つけ更に感動する。ここまで来てしまうと残りの十階も気になってしまうわけで、また立入禁止されていない十階行きの階段に煽られて結局最上階まで来てしまった。
九階と同じように端から本棚を眺めていると、ある事に気がついた。途中から本棚が空っぽだったのである。さらにその隣には本が数冊乗った台車が置いてあり、ああ、そうだ、まだ準備中だったのだと急に侵入してしまった事に対する罪悪感が込み上げてきた。
見つかる前に帰ろう、そう思い階段の方へと方向転換したとき、
「あれ?誰かいるんですか?」
図書館の人なのかまでは分からないが若めの男の人の声がして、驚いて固まってしまった。恐る恐る声のする方に目を向けてみると声の相手は予想外なもので、図書館の役員ではなく今日の入学式で一年生の副担任と紹介されていた新任の地学教諭だった。
「何だ、うちの生徒か。」
その男はさっきとは全く違った口調と声色でそう言うと、後はもうどうでもいいかのような態度を取った。初対面の生徒相手にボロ出しまくりな教師だなと思ったが、さほど気を抜いていたのだろう、窓枠に組んだ腕を置くと、煙草を吸っていた最中だったらしく左手の指に挟まったそれを口にくわえた。
「何で立入禁止なのにここにいるんだ、とかないんですね。先生としてどうかと思いますけど。あと校舎内の喫煙も」
「別に立入禁止のフロアに入って来たのは俺も同罪だし、いちいち生徒に注意なんてしてられねえよ。」
開いた窓から入ってくる風により、男の纏った白衣の裾が揺らぐ。見るからに、というか担当科目も理系の割にわざわざこのフロアに侵入してくる理由なんてあったのだろうか。
「あの、何でこんな所にいるんですか。」
「別に、下見だよ下見。あとお前、授業ではこのキャラで行かねえけど余計な事言うなよ。ここで煙草吸ってんのも。一年目から飛ばされる気なんてないんでな。お前がここに来たのも黙っておくから。」
下見。それは何のことかはよく分からなかったが、男がそう言いながら見つめる先がここが十階であるがために建物に邪魔される事なく日の沈み始めた夕焼けの美しい空が満遍なく広がっていることだけは理解できた。
「別に言った所で私が得する訳じゃないですし、でも校舎内での喫煙は控えて下さい。」
更に強い風が吹き、男の吸っている煙草の煙がこちらへ来たのでわざと大袈裟にむせてみせた。男は不機嫌そうな顔をすると少しこちらを向き言う。
「分かったよ。バレたら面倒だし。校舎内では一日一本までにするって。」
「『控える』って本数の問題じゃないですからね。」
男は更にムッとした顔をすると再び窓の外に顔を向けた。私もこれ以上話しかけても仕方のない気がしたので、本当に図書館の人に見つかってしまう前に帰る事にした。
__泉緑高等学校 担当教科︰地学 一年副担任
北見暁斗
さっき男がこっちを見た時に僅かに見えた教師が付けるネームタグ。
図書館棟から出た私の歩いている長い長い渡り廊下は図書館に向かうときとは全く違い、夕暮れによってほとんどが橙色に染まっていた。
ご察しの通り、七星は本オタクです。
一応紅葉はクラス一可愛いとかそんくらいの顔面偏差値。
登場人物はあと六人くらい?増える予定。
話の途中に出てきたタイピンは、七星たちの代は緑学年なので緑色です。学年ごとに違います。
更新ビックリするほど遅いですが、これからもよろしくお願いします!