第8話
「残念ながら社長、それでは勘定が甘すぎです」
ロナとティアラに賃金を支払い、残った銀貨13枚を持って社屋に戻ってリアナさんに報告すると、彼女は銀貨6枚という賃金の受け取りを渋り、そう言ってきた。
勘定が甘すぎる?
……そうなのか?
いや、リアナさんがそう言うなら、そうなのかもしれない。
でも、俺にだって意地ってモノがある。
可能であるなら、彼女の働きに対してあるべき賃金を支払ってやりたいという気持ちがある。
「でも、これがリアナさんの働きに対して払うべき、正当な賃金だろ。リアナさんは普通のメイドさんだったらできないような仕事まで、俺の代わりにやってくれている。社長の俺はそれで助かってる。だったら、これはリアナさんが受け取るべき、正当な給料だ」
俺がそう言って、一度突き返された銀貨6枚を、再びリアナさんに差し出す。
するとリアナさんは、凄く複雑そうな顔をして、こんなことを言ってきた。
「……社長、正当な賃金、正当な給料というのは、どうやって決定されるものなのでしょうか?」
……なんか、すごいけったいな事を言ってきた。
正当な賃金が、どうやって決定されるか……?
「それは……アレだよ、働いている人の実力と仕事内容に、相応しい額ってものがあるだろ」
「なるほど……つまり社長は、労働者側の要因のみによって、賃金が決定されるべきと考えておられるのですね?」
……うん?
どういうことだ?
怪訝な顔をする俺に、リアナさんが説明を始める。
「社長。いかな能力のある人材であっても、彼を雇っている会社に、それに相応する支払い能力がなければ、彼に高い賃金を与えることはできません。何故ならば、会社は従業員に高い給与を払うことを原因として、赤字経営を続けるべきではないからです。そんなことを続けていれば、いずれその会社は、倒産してしまいます」
…………。
えー、それはどうなんだ?
……いや、まあ、言っていることは分かるよ。
分かるが、ホントそれはどうなんだ?
「それはだって、会社側の都合だろ? 働いている側には関係ない話で……」
「ではお聞きしますが、社長。労働者の『正当な賃金』とは、一体誰が、どういった基準で、決定することができるのですか? 私の能力や働きに対する正当な賃金が銀貨6枚だというのは、どうして言えるのです?」
んんんー?
また難しいことを……。
「それは……それが妥当な金額だから、先代がその額に設定したんだろ」
俺はリアナさんの問いそのものに答えるのを避け、それっぽい理由を持ち出してみたのだが、
「いいえ、違います。先代は、私の能力や働きも考慮していましたが、会社の経営状況も鑑みた上で、その額に決定したのです」
そのそれっぽい理由は、あっさりと否定されてしまった。
むー……。
そういうことを言われると、こっちはその辺知らないのだから、真っ当な反論ができない。
でも、それだと──
「でもその考えで行くと、もし社長が自分だけ儲けようとしたら、労働者の給料ってどんどん下げられることになってしまうよね?」
──うん、そうだよ。
自分で言ってみて、納得する。
もし会社が、労働者の能力や働きに対して正当な賃金を支払わなくていいのなら、会社側は労働者の賃金を、好き放題下げられることになってしまう。
しかし、元の世界にせよこの世界にせよ、現実にはそうはなっていないし、そうあるべきではないと思う。
だけどその俺の疑問に対して、リアナさんは「そうですね」と答えつつ、「ですが、考えてみてください」と付け加える。
「社長、もし有能な労働者が、安い賃金しか払われずに雇われていたら、どうなるでしょうか? そうですね、例えば……アーヴィン社長は、19レベルガードのエフィルさんが、ほかの会社から銀貨6枚の日当で雇われていたら、銀貨12枚の日当を支払ってでも、彼女を自分の会社で雇いたいと考えませんか?」
あー……。
なるほどな、そういうことか。
「労働市場における市場原理というのは、そういったものです。そしてもし、エフィルさんの実力を銀貨24枚で買いたいと思う会社があったなら、その金額を支払ってしまっては採算が取れない我が社は、いかな有能な人材であれ、彼女をそれ以上の賃金で雇用すべきではないのです。……まあ、冒険者の場合はレベルという明白な指標から賃金相場が半ば決定されておりますから、この話はあまり妥当ではないのですけれど」
そこまで話して、リアナさんは、はぁっとため息を吐く。
「ところで、ですが──私は、他社からより高い賃金を約束されても、この会社を捨てて別の会社に就職しようという気は、今のところ毛頭ございません。このため私に対しては、労働市場の市場原理は、作用いたしません。従いまして、私に対する正当な賃金なるものは、この会社が問題なく支払える金額こそが、それにあたると言えます。──ご理解いただけますでしょうか?」
……んー?
途中までは納得できたんだが、最後の方は詭弁臭くないか?
俺がそう思ってなおも難しい顔をしていると、リアナさんが何やら小さく一礼をして、俺のもとに歩み寄ってきた。
執務机を挟んで向かい側にいた彼女は、机を回り込み、俺の真横へと立つ。
「な、なんだよ……?」
リアナさんは、少し冷たい雰囲気さえあるものの、美人だ。
そんな美人メイドさんにすぐ隣に寄られて、俺はどうしてもドキドキしてしまう。
「社長……失礼いたします」
リアナさんはそう、一つだけ断ってから──俺を優しく抱擁してきた。