第5話
エフィル、ティアラを連れて『初心者の洞窟』を冒険し、赤字を出したその夜。
俺はランタンの柔らかな灯りの下、社長室のソファーに腰掛け、執務机の上のプレジデントプレートを眺めながら、今後どうするかを考えていた。
『初心者の洞窟』の探索で赤字を出さないためには、エフィルを外して俺とティアラの二人で踏破するぐらいのつもりが必要かもしれない。
そうすれば、収入が銀貨30枚としたら、支出がティアラの賃金である銀貨6枚だけだから、銀貨24枚が手元に残る。
ただ、この銀貨24枚も、そのまま会社の金庫に入るお金ではない。
冒険者カンパニーを維持してゆくためには、ほかにも様々な経費がかかる。
経費のうちの大きな一つは、雑用をする人の人件費だ。
冒険者カンパニーは役所を相手にする業種でもあるので、書類処理や役所対応などの雑用が、かなり面倒くさい量で存在する。
もし仮に、これを適切に処理してくれる雑用係がおらず、俺が冒険者として実働しながらこれも兼務しようとすると──多分俺が過労死するんじゃないかって思えるぐらいには、細々とした事務仕事が存在している。
で、うちの場合はメイドのリアナさんが、家事の傍らでこれを兼務してくれる形になっている。
だから俺は、そういう面倒事から解放されて、わりと好きに動けるという寸法だ。
ちなみに、一応俺もその辺の仕事をできるようになっておこうと、さっきリアナさんから色々聞いてはみたのだが……さわりの段階でもう、脳が拒否反応を示して、早々にギブアップした。
役所への提出書類って、どうしてああ面倒な決まり事が多いのかね……。
というわけで、メイドのリアナさんは、手放したくない人材である。
家事全般も含めて、彼女の働きに対する給与は、当然に支払わないといけない。
で、そのリアナさんなんだけど、「経営が軌道に乗るまでは、住み込み三食付きの前提なら、私の日当は銀貨1枚で構いませんよ」と言ってくれた。
父親が社長をしていた時代には、住み込み三食付きに加えて最終的には銀貨6枚の賃金が支払われていたらしいから、本当は同じ額を支払ってやりたい。
だけど、そう贅沢が言えるかというと、「やってみなければ分からない」というのが正直なところだ。
なお、この街における最低ランクの職業の日当は、銀貨6枚という額らしいが、住み込み三食付きを前提にした場合には、この最低額は銀貨1枚という金額になる。
最初はこれ、酷い格差だと思ったんだけど、よくよく計算してみれば納得できる話だった。
この街で、住むところを持たない根無し草の人間がそれなり人間らしい生活をするために必要な最低額は、一日あたり銀貨3~4枚といったところらしい。
これは、三食を外食や買い食いで済ませ、夜は安宿に宿泊するというスタイルの生活に必要な、最低限の金額だ。
で、この生活を一週間続けると、週あたりの生活費は銀貨21~28枚程度となる。
日当が銀貨6枚の仕事を週五日行なえば、週給は銀貨30枚。
銀貨30枚の収入から銀貨21~28枚が最低限の生活費で消えると考えると、住み込み三食付きが前提なら最低賃金が銀貨1枚になる、というのは、まあ納得できる話だ。
いずれにせよ、住み込み三食付きで日当が銀貨1枚というのは、この街の最低賃金労働者に相当する扱いであると言える。
リアナさんには、半ば専門的な仕事を請け負ってもらっているというのもあるし、可能であるなら、仕事の質に対して正当な賃金を支払ってやりたいなと思う。
だけど、その旨をリアナさんに伝えたら、
「お気持ちはありがたいのですが、それよりも今は、赤字経営とならない持続可能な会社経営を実現していただくことの方が、優先であると思います。……僭越かとは存じますが、私としても、働き口がなくなるのは困りますので」
と、言われてしまった。
けど後半部の発言は、おそらくは偽悪的な照れ隠しのようなものじゃないかと思う。
だって、リアナさんほどの有能な人なら、この会社がなくなっても、新たな働き口が見つからないはずがない。
つまりは単純に、俺のことを心配してくれているのだ。
ちなみにリアナさんによると、彼女の雇用コスト以外にも、冒険者カンパニーの経費項目は、まだまだたくさんあるらしい。
彼女から色々と教わったが、その辺まで一気に考えていくと頭がパンクしそうだったので、その辺りのことはまたの機会に考えようと思う。
それよりも、まずは目の前に見えている数字だけでも、黒字を出すことだ。
それ以上の不安要素は、それができるようになってから考えたほうが、テンションの面でもいいだろう。
「さて……」
というわけで俺は、目前の目標に向き合うことにする。
できるだけ少ない雇用コストで、『初心者の洞窟』をクリアするという目標だ。
俺は執務机上の、プレジデントプレートを操作する。
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アーヴィン……HP:336/ATK:180/DEF:62/HIT:116/AVO:38
ティアラ……HP:300/ATK:140/DEF:36/HIT:107/AVO:40
エフィル……HP:552/ATK:240/DEF:116/HIT:127/AVO:39
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コボルト……HP:170/ATK:110/DEF:25/HIT:90/AVO:20
ゴブリン……HP:230/ATK:125/DEF:30/HIT:95/AVO:25
殺人コウモリ……HP:260/ATK:140/DEF:35/HIT:100/AVO:40
ジャイアントラット……HP:220/ATK:115/DEF:30/HIT:90/AVO:25
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これは前回、『初心者の洞窟』を探索したときの、戦力データだ。
これらの数値類がどういう意味を持つのかは、イマイチわからない。
ただ少なくとも、俺もティアラも、あそこで遭遇するモンスターと比べて、決して弱いわけじゃないというのは分かる。
「だけど……」
俺は呟きながら、再びプレジデントプレートを操作する。
プレートに表示したのは、「冒険者カンパニーの蘇生責任について」という項目だ。
以前にも述べたが、この世界には、死んだ人間を蘇らせる『蘇生魔法』が存在する。
そしてその魔法の存在は、社会にわりと広く普及し、活用されている。
まあ、寿命で死んだ人なんかは、蘇生してもまたすぐ死んでしまうらしいので、不老不死というわけにはいかないみたいだが。
で、冒険者カンパニーには、雇った冒険者が雇用中に万一死亡してしまった場合に、その冒険者を蘇生魔法で蘇らせなければならないという「蘇生責任」が掛けられている。
ただ、この蘇生魔法をかけてもらうには、蘇生術師を擁している街の神殿に対して、とんでもない額の寄進をしなければならない。
このとんでもない額というのが、具体的には、銀貨1,000枚だ。
冒険者を雇って、誤って死なせてしまったら、冒険者カンパニーは銀貨1,000枚という莫大な代償を支払わなければならない。
……いや、死んだ人の命が100~150万円で買えると考えれば、これを莫大というのもまたちょっと違うのかもしれないが。
いずれにせよ、銀貨数枚の取り扱いに頭を悩ませている俺にとっては、銀貨1,000枚というのがとんでもない金額であることは間違いない。
ちなみにこの金額、支払えるか支払えないかで言ったら、うちの会社は払えるだけの資本を持っているらしい。
というか、冒険者カンパニーを設立するためには、「うちは万一の際のための、蘇生代金を支払えるだけのお金を持っていますよ」という証明その他として、最低でも銀貨3,000枚という資本を用意しておかなければならないとのこと。
その上で、蘇生代金積立金として一週間ごとに積み立てて行かなければならない金額もあるらしく、先代から引き継いだこの会社が、蘇生代金を捻出できないような状態であるわけがなかった。
さて、いずれにせよ、だ。
そんな事情があるわけなので、冒険者カンパニーというものは、雇った冒険者が死亡する可能性については、蛇蝎の如く避けなければならない。
人道的な視野で言えば当たり前のことかもしれないが、会社の利益の面で見ても、同様のことが言えるわけだ。
と、考えると、やっぱり安全マージンを高くとる戦略自体は、間違えていないことになる。
ただ、その程度をもう少し考えて、ちょうどいい塩梅と言えるラインを、模索しなければならないということだ。
で、俺とティアラと二人で『初心者の洞窟』を踏破するのは、可能か不可能かで言ったら、ひょっとしたら不可能ではないのかもしれない。
ただ、「本当に大丈夫?」と聞かれると、正直不安は大きい。
そこまで精密な実感を伴って、大丈夫とは言い切れない。
一方で、エフィルを雇ってしまったら、わりと完全に安心ではあるが、利益が出ない。
ということは、だ……。