第3話
「おいしいです! おいしいです! アーヴィン社長は私の命の恩人です!」
エフィルとティアラに雇う旨を伝え、前金として銀貨1枚を渡すと、ティアラは早速、その受け取った銀貨を使って、露店で買い食いを始めた。
露店にて銅貨1枚で売られていた、ハンバーガーのような肉を挟んだパンにむしゃぶりつくティアラは、涙すら流していた。
「あのねぇ……キミ、冒険に出るための装備は大丈夫なの? いくらプリーストって言ったって、丸腰はないよ? 今回はボクもいるからいいけど、普通は戦士と一緒に前線に出て、メイスやフレイルでモンスターを攻撃するのも、プリーストの仕事でしょ」
街中を三人で歩きながら、エフィルが呆れたようにそう言う。
と、ティアラは最後の一口をごくんと飲み込み、銀髪の少女に向けて反論した。
「失礼な! 最低限の商売道具ぐらいちゃんと確保してます! メイスと盾とレザーアーマーを売れば、そりゃ一月ぐらいは凌げますけど、そうしたらもう後がないじゃないですか」
「いや、分かってるんならいいんだけどさ」
そんなこんな話をしながら、エフィルとティアラの普段使いの宿に向かい、各自の装備品を回収する。
ティアラは本人も言っていたように、メイスと盾とレザーアーマー。
一方、宿に入ってから二十分ほどの時間をかけて戻ってきたエフィルはというと、ガッチガチのプレートアーマーに身を包み、大盾と槍とで武装していた。
「乙女の身だしなみには、時間が掛かるんだよ」
そう嘯くエフィルは、歩くたびにカチャカチャと金属が擦れる音を鳴らしている。
あのプレートアーマー、どう見ても相当に重そうだが……本人はどこ吹く風で、まったく平然としている。
彼女らの肉体的な能力に関しては、おそらく俺の考えている常識みたいなものは、通用しないんだろう。
ちなみに俺はというと、ロングソードにスケイルアーマーに盾という、そこそこ戦士らしい出で立ちだ。
元の世界の自分と比べて、筋力や体力といった身体能力は比較にならないほど優れているようで、相当重たいはずの武具は、さほど苦にならない。
ちなみに、1レベルの冒険者がスケイルアーマーのような高価な防具を着用していることはほとんどなく、通常はティアラと同じく、レザーアーマーというのが定番らしい。
このあたりは、通常の駆け出し冒険者と違ってお金持ちな、社長の特権みたいなものだな。
さてそんな三人で街を出て、林道を西へ三時間ほど歩くと、目的地である『初心者の洞窟』に辿り着く。
ここまでの道のりは、エフィルにとっては勝手知ったる庭のようなものらしく、まったく迷うことはなかった。
森の木々をせき止めるようにそそり立つ絶壁──そこにぽっかりと開いた洞窟は、入り口から奥に進むにつれて真っ暗になり、先が見通せなくなっている。
エフィルが荷物の中からたいまつを取り出し、火を点けて右手に持つ。
右手に装備していた槍はというと、これは一旦背中に括り付けた。
「戦闘になったら、たいまつは床に投げるから大丈夫だよ」
エフィルはそう気楽に言って、たいまつを掲げて洞窟の入口へと足を踏み入れてゆく。
そのあとを、俺とティアラが付き従ってゆく。
「二人とも、『初心者の洞窟』で遭遇する、主なモンスターは知ってる?」
洞窟の通路を歩きながら、エフィルが問いを投げかけてきた。
気軽な口調だが、その視線は真剣に前方へと向いている。
決して、自分の実力以下の場所だからと、侮っているわけではなさそうだ。
俺が分からずに首を振ると、横を歩くティアラが代わりに答えた。
「ゴブリン、コボルト、殺人コウモリ……ほかに何かいましたっけ?」
このティアラの返答に、エフィルが首を振る。
「一番危ないのを忘れてるよ。ジャイアントラット──ネズミだよ」
「ああ! いましたねそんなの」
「じゃあ、ジャイアントラットの何がまずいか、分かる?」
「何がまずいか……? えっと……可愛くて攻撃できなくなっちゃうこと?」
小首を傾げて答えるティアラの言葉に、エフィルの首がかくんと倒れる。
「あのねぇ……キミ、プリーストでしょ? そんなことでどうするの」
「……うう、すみません。まだこの洞窟、一回しか来たことないんです……」
エフィルはこれに心底呆れた様子で、その脅威についての説明を始める。
「はぁっ……えっとね、ジャイアントラットの爪や歯には、結構凶悪な病原菌が付着していることがあるから、奴らに引っかかれたり噛まれたりしたら、単純なダメージとは別に、体調を崩す危険性があるってこと。──まあ、プリーストがいて、キュアの魔法を使えるなら、大した問題じゃないんだけどね」
「……うう、無能ですみません」
「いや、それはしょうがないよ。この洞窟に来る段階で、キュアを修得してるプリーストの方が珍しいし」
そう言ってエフィルはフォローをするが、ティアラはしょんぼりとしたままだ。
……なんだろうなぁ、このエフィルって子。
有能なのは分かるし、悪気もあまりないんだろうけど、いちいち言うことが上から目線というか、他人を小馬鹿にした雰囲気があるんだよな。
ちょっと従業員としては、人間関係で確執を起こしそうな、扱いづらいタイプかもしれない。
「社長も、プレジデントプレートにある情報は、しっかり事前に頭に叩き込んでおいた方がいいよ。雇われた人の命も、社長の判断一つで狂うかもしれないんだから」
……まあでも、エフィルの言っていることは、たいてい正論だ。
俺は色々言いたいこともあったが、ひとまずは頷くにとどめる。
なお、『プレジデントプレート』というのは何かというと、冒険者カンパニーとして登録してある会社の社長に渡される、魔力が込められた金属板である。
三十センチ四方ぐらいの正方形の魔道具で、このプレートの上で指先を使って特定の操作をすることで、プレート上に多種多様な情報が表示されるようになっている。
例えば、雇用契約を結んだ冒険者のステータスを表示したりできるほか、すでに知られているダンジョンの情報なども収納されていて、そこに内包される情報量はかなりのものだ。
で、当然、この『初心者の洞窟』に関する情報も、ある程度収納されているわけで。
何のイメージもないところに、いきなり字面で説明されても頭に入って来ないだろうなと思って見ていなかったのだが、少なくとも一通り流し読みするぐらいは、しておくべきだったかもしれない。
その点は、少し反省。
まあ件のプレジデントプレートは、今も俺が背負っているバックパックの中に入っているので、そこから取り出して見ようと思えばできなくはないのだが。
さすがにダンジョン探索中に、注意をプレートに向けながら歩くのはちょっと危ないと思うので、それは今回は控えることにする。
そこはせっかく、自分が雇ったエフィルがいるのだから、聞きたいことがあったら彼女に聞けばいいだろう。
その方が、より生っぽい情報が手に入るだろうし。
「──っと、噂をすれば何とやら、モンスターのお出ましみたいだよ」
そんなことを考えていたら、洞窟の通路の前方から、三体のモンスターが姿を現していた。
闇の中から、たいまつの炎が照らす場所まで進み出てきた彼らは、人間の子どものような小柄な体に、犬の頭が付いたようなモンスターだった。
「あれがコボルト。この『初心者の洞窟』で遭遇するモンスターの中でも、掛け値なしに最弱のエネミーだよ。正直、ボク一人で相手した方が、被害は少なくて済むと思うけど──どうする、社長?」
エフィルはそう言いながら、たいまつを地面に落として、背中に括り付けていた槍を引き抜く。
しかし、エフィル一人で戦った方が、被害が少ないのか……。
ってことは、俺とティアラは戦場から離れて、この重装甲ボクっ子娘が無双するのを、ただただ眺めていればいいってことだ。
それは何だかなぁ──と一瞬思ったのだが、俺はふと、思いなおす。
俺は勇者でも、チート能力者でもなく、雇用主なのだ。
人を使うのが俺の本懐であって、必要もないのに自らの体を張って戦うというのは、どうも違う気がする。
「よし、じゃあエフィルに任せた。頼むよ」
「オーライ。──ま、大船に乗ったつもりで見ててよ」
エフィルはそう言って、自慢のプレートアーマーを鳴らしながら数歩前進して、コボルト達の前に立ちふさがるように、仁王立ちした。
「──さ、掛かっておいで、ワンちゃんたち」
その悠然とした態度のエフィルに、吠え声を上げながら飛び掛かってゆくコボルトたち──